生き霊という現実 後編

翌22日、荷物が届いた。

それは半年前、叔母の店に忘れた要子の私物。


なぜこのタイミング?という絶妙な時に送られてきた。

その送り主の名前と品名を見た要子は、受取を拒否した。


つまり「託された思い」という呪いの箱は返された。


その先は受取拒否を知り、怒り狂う叔母の姿が容易に想像ができた。


そして要子は言う。


蠱毒の兵隊が作られている。

それは甥や姪から生まれて来るだろう子孫たち。


それに立ち向かう今として、甥や姪の母でもある妹の改心というキーワード。


要子が叔母からの箱を受取を拒否した事で、未来が変わる。


妹の体調が改善してきていた。

その影には桜井による、私の本家及び母方の先祖供養の読経があった。


本来還る場所へ戻された想いもまた、正常に機能していない現状を変えた。


元ある姿へ、本来戻る場所へ還ったのである。

自業自得という未来となって。


自分が招いていることに気づかないと、堕ちていく一方でしかないのである。

魔が気づきを邪魔し、回避すべき未来として気がついた時には、圧倒的に遅すぎる。


健康的な思考から、身心の健康を作り上げ、免疫力を上げる。


同じ状況で何を学ぶかの違いは、大きく未来を分ける結果となる。

学ばなければ変わらない、変わらなければ苦しいままである。


だからどんな困難も最後に笑い飛ばせればいい。

答えはシンプルで、そして自分が諦めた瞬間に全て終わる。


諦めない限り、物語は続く。


最後の着地点を決めているのは、自分自身。

そこで不幸のままゴールとするのか、粘ってひっくり返すのか。


これでもかと試練があったら、最悪の場合を考えていらない思考を捨てる。

最悪を考えたら、今がどれほど恵まれているのか気づくからだ。


恵まれていると気づけたら、勝ちも同然。そう思えないから苦しいし、だから抜け出せない。

トラウマも然り、書き換えればいい。


相手があるので変わらない現実だとしても、自分の中のストーリーを変えてしまう。


私は親にも愛されない、惨めな子供のまま終わらせない。

そんな親だとしても大好きな思いは変わらない。

一方通行でもいい。


自分の中の想いを否定するから、苦しくなる。


愛されなかった、憎まれてた、でも、私は大好きだった。

それで完結。


私の中の愛する思いは変わらない。

大切に思った瞬間も変わらない。


ただ、通じないだけ。


通じないものを自分の感情まで否定しても仕方ない。

通じるか通じないかは、相手に託されるから。


でも、私は大切だった。

シンプルにそれでいいのだ。


そして針の先ほどしか残っていないかも知れない、相手の良心の中にある神仏に手を合わせる。

「大切な存在に変わりないです」と。


桜井はこれを「不軽菩薩の振舞い」と説いた。


すなわちそれができるか出来ないかの違い。

それができるからこそ、本当の光に選ばれたのである。


中途半端だからこそ抜けられない迷宮を作っているのは、紛れもなく自分自身なのである。


永遠にエンドレスな無限地獄。


そう考えると人を憎むこと自体、無駄と気づく。


母や叔母は、私の幻影を求めて怒って苦しんでいるのだ。

そこに私はいないのに、である。


それで成功を妬んで生き霊を飛ばして、私の左腕にしがみつく。


そんな生霊さえも届かない高みに登ればいい。


どんなに思っても叶わないって自覚すると、結局その思いは自分に還る。

イライラや不安だったり、澱んだ想いとして還る。


結果、巡り巡って自業自得。


自分達の基盤すら危うくなる想いは、誰かが望んだことでもなく、自ら望んだ結果。

その望んだ負の未来がやってくる。


だから無駄に誰も憎むことなく、むしろ憎むくらいならぶつかったほうがいい。


その方が相手に伝わるし、伝わらなければそれまでなのだ。

その言葉の意味を真に理解できるまで、時間の差があるのだ。


みんな同じ時間を生きているようでも、経験値という部分で成長している時間軸があるのなら、ずれていて当然。


その人の時間軸を自分と同じだと思ったら負けなのである。

成長の度合いが違うのだとか、人間性のない未熟で残念な人とでも思えばいい。


初めから理解度に合わせて伝える方法が、人それぞれ違うんだと知る。

釈迦仏も相手の魂の成長の度合いに即し、時に応じ機に応じて様々な経を説いたのだと桜井は言う。


つまり「1+1=2」しか知らない小学1年生に、いきなり相対性理論を教えても理解できないのと同じなのだ。


そうする事で、作戦が変わる。

こっちがだめならあの手で行こうと、苛立つ事なく、相手が勝手に嫌になり離れてゆく。


苦手な存在、口うるさい存在、関わりたくないって逃げていくのを待てばいい。

その方がよほど建設的である。


その考え方のとんでもない思考が、人を惹きつける。


そして、「あれ、この人オモシレー」と感じた人だけが夢中になる。

それがカクヨムだったり、アメブロになる。


ツボに入ればみんな一緒。


そのツボ自体、壺かもしれませんでしょう?

壺がたくさんになれば蠱毒を作った壺さえどれかすら分からなくなり、正常に機能させられなくなる。


そもそも蠱毒をなぜ作る必要があるんだとなる。

そしたら自分達の思うような生き方をするためだと答えが返ってくる。


でも、それば真逆。

一人に気に入られるために演出するより、「そのまんまでコイツ好き!」を増やせばいい。


そのとんでもない思考が、やがて世界を変える。

そんな未来がやってくる。


だから嘉氶さん、硝鶴さん、稲杜さんたちが励ましてくれたのはこのことだった。


必ず報われる時が来るからって。


多くの人にこの仕組みを伝えるためにも、私の中に少しでも恨む気持ちや憎む気持ちが残っていたらダメだった。

だってそれは真実ではない。


理想論ではなく、実践としてやりきらなければならなかった


だからこその試練でしたと、胸を張って言えるようになった時こそ、変わった瞬間。

知識として身につけていたものを、自分の考えとできた瞬間。


人生を変えるほどの、目からウロコの賞賛が与えられるほど、そう考えるとめちゃくちゃ幸せな人生、有意義な人生だと知る。


その想いが根底にあって物書きが出来たら、大きな愛のエネルギーとなって循環できるのでは無いだろうか。

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