神様との結婚!?後編

本当の敵がわかった時、呼ばれるようにみつけた神社があった。

街中にひっそりと佇む鳥居を見つけた。

ナビによると鹿島神社と表示されていた。


鹿島神社の主祭神。

鹿島大明神こと武甕槌大神は、日本建国・武道の神様であり、

神代の昔、天照大御神の命を受けて経津主命と共に出雲の国に天降りし、大国主命との話し合いにより国譲りの(日本の国を一つにまとめる)交渉を成功。
その後、日本中を歩き最後に関東地方の開拓と鎮撫に活躍した神様だそう。


まさに、武甕槌命こそ全ての物語が始まる前から、蒼い龍神さんを知る以前から、私がよく参拝していた。

そして蒼い龍神さんの存在を知った後、神社の彫り物の龍の姿を蒼い龍神さんの姿に重ねていた。


そして子供の頃、小学校で父と鹿島様を作り、藁の船で鹿島流しをしていた。

それはまさに、連想ゲームのように記憶のパズルが合わさった瞬間だった。

鹿島様を川に流す、その流れはやがて罪穢れを流すとされる、瀬織津姫に繋がる。


穢れこそ、手元に私の魂を止める為なら、体など必要ないという究極の思考。殺してでも捕らえようとするならば、その穢れを流してもらうしかないと考えた。

同時に武道や交渉ごとに長けた神様。武甕槌命には、何度となく助けられてきた。

手を合わせ祈る事で、未来が変わるなら…少しでも参拝する事で、力を強化できるのなら、守る術として私達は神社を巡ってきた。


そして私は、偶然通り見つけた鹿島神社を参拝しようとした。

鳥居の向こうは、明らかに集会所となり、神様は不在だった


それなのに場が綺麗なのである。

それほどまでに力のある神様なら、この状況を変えてくれるかもしれないと思い、市内の他の鹿島神社を探した。


川沿いにあった鹿島神社は、決して悪い場所の様には見えなかった。

しかし、鳥居付近に守り人がいた。

形相はよろしくない。むしろ、怖い印象である。

それでもその神社との縁を結び、力を借りなければならないと思った為、参拝した。

帰ろうとすると電話が鳴り、急いで戻る様に言われた。

慌てて帰ろうとした時、

『その魂、喰ろうてやろう』守り人が怖い形相で言っていると言うのである。

まずい案件になったと焦る私たちだったが…後から敵対する者の魂と理解した。


この様に後から、本当の意味を理解することの方が圧倒的に多く、そして感覚と気持が伴わないこともしばしばある。


命を狙われていると知った後、感じた感覚。

それは多くの神様たちが、身近にいるということ。


きっかけさえあればなんだっていい。

攻め入る為には、大義名分が必要なんだと決起盛んな神様もいた。


天照様に至っては、この者に我が入ることを知っての所存か、面白い。

痛い目に遭えばいいだろうと、楽観的。


遮那たんだけが、リャクリョの存在を察知するとは限らないのだ。

知ってて、仕掛けるのを待っていた?

そんな疑問が私の中で、浮上する。


しかし、目には見えない感覚だけの思考に、誰が正解を見極められるだろうか?

不安や苛立ちが、心を揺さぶるには充分だった。


同時に仕事でも、追い詰められる。

これまでの環境は、病気を良くするための努力を尽くした。

早期発見、早期対処が当たり前の世界から、老衰という曖昧な解釈と、現場の中できることすら無いという現実に向き合っていた。


そしてふと、思い出す。


救たくとも救えない。声すら届かず手を差し伸べることすらできないんだ。と嘆く天照様の言葉が蘇る。


この状況で、一体何を学べというんだ…そう考え込まずにはいられなかった。


しかし、力で奪われる未来は、命がけどころの話では無い。

こんな事で死んでいられないのだ。


そんな思いが湧いてくる泉の様に…怒りを感じていた。

物事は全て、諦め受け入れた瞬間に決まってしまう。

いつも崖っぷち人生の私でさえ、冗談じゃないと怒りを覚えた。


対策は?と考えても、何も浮かばない。

果たして、リャクリョは本当に悪なのか?

その地その場所で、神社を闇堕ちさせたのだろうか?

一気にひっくり返る様な出来事を、起こすには、物凄いエネルギーを使う。


どうやって封じるのか…そればかりを考えていた。

その時、リャクリョの意識にリンクした。

そしてリャクリョの怒りを知る。


自分を長い間封じ込めた人間への憤り。

そして自分の存在を、認めてくれる人間がいる可能性。

その者に認めらるなら、それでいい。共に居れるのなら、永遠の時を贈り物にする。

その思考は、時間が有限であるのか、そうではない存在なのかで、大きく分かれるのかもしれない…。


それでも私は、生きなければいけない。

まだ全てを成し遂げていない。

認められる作品を作り、生きることは有限だからこその価値があることを、伝える役目を担うと決めたからだ。


同じ時期、是宮は一つのキーワードに着目していた。

封印に対となる水晶。

狛犬も対となる。

灯籠も対となる。

姉妹巫女を乗せた2頭の馬

白髪の姉妹巫女…


対になるものでの封印。


そして桜井が言う。

果たして封印が必要なのかと、闇の存在である魔王を、封じようとした時、激しく抵抗された。

しかし、道理を説く事で読経を聴きにくる様になり、結果帰降した。


存在を否定するのではなく、認める事での繋がる未来。


そんな中みゆきちゃんは、運動会の歌を歌っている。

『待ってた、待ってた、うんどーかい』

子供たちにとっては、戦いは運動会に見えるのかもしれない。

それでも双方が、認め合えるそんな世になることを、私は望む。


天照様が言う光も闇も共にある世界。今はバランスが崩れただけだと信じたい。


その中で感じた。

本当の敵。

神様同士の敵と、私たち人間が人間として向き合わなければならない敵があるということ。


桜井に教えてもらった日蓮大聖人の言葉を借りて、説明するならば

「末法には三類の強敵充満す」

この「三類の強敵」とは「僭聖増上慢」「俗衆増上慢」「道門増上慢」を指すそうです。


僭聖増上慢とは、自分は神仏に等しい存在であり、通力を持つと喧伝する輩。


俗衆増上慢は、誤った知識で大衆を扇動する輩。


道門増上慢は闇落ちした寺社仏閣の宮司や僧侶やその他の似非宗教だそうです。

これらが必ず正しい仏法、即ち日蓮大聖人と南無妙法蓮華経に敵対するであろうと説明され、これらは皆「増上慢」即ち、増上して慢心している輩であると言うのである。


つまり、人としての敵が同じ様にあるということを理解したのでした。


究極の話を突き詰めるならば、敵は己の中にあるという解釈すらできるのである。


誰にでもある弱さや、慢心。

それらを自分自身が律しなければ、ならないという話だと私は解釈している。


だからこそ、身近に苦言を言う鏡となる存在が必要なのである。


巡り巡って、道理として。

宇宙の理である為に、どんなに巡っても【正義】【真実】は変わらないのである。

それを桜井に、日蓮大聖人の教えとして説かれながら、揺るがない事実として、これまでも目の前に突きつけられてきた。


充分な休息もないまま、ここ一年半ほど走り続けている気がする。

それでもまだ足りないと、枯渇する想い。

その想いがどこからきているのか、正直気持ちの整理ができていなかったのもまた現実で、その中で生きる為に、生活をしなければならない。


多くの役目に振り回されながら、それでもまだ光を感じられる今を、私は幸せに思うのである。


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