最期の時間

病気の進行と共に食べれなくなって…

ホスピスへ移る予定のその方に聞いた。

食べたいもの。

それは、昔ながらの【はさがけ】天日干しのお米。

絶対、手に入らないと言われ…私はその絶対を覆す為に、叶えてあげたかった。


でも、それと同時に悩む。


本来、それは私の役目ではないのかもしれない。

でも、身寄りのないその方。

その方の願いを、最後に叶えたい。


その背景には、つい先日。終末期の宣告を受け、ホスピスへの移動を決めざるを得なかった背景と、施設での看取りと言う部分で、私の中で【最期の時間】と言うものが、大きなテーマになっていた。



看取り自体、私は縁のないところにいることが多かった。


だからこそ、余計思うのかもしれない。

その人らしく、迎える最期。


それが自宅の方もあれば、病院や施設の方もいるだろう。

その最期の時間、ゆっくり向き合うには、一人では耐えられないほどの想いがあるのかもしれない。


自分自身、看護師として。

そして彫刻師として、墓石に戒名を彫る仕事もさせていただいた。

遺影ガラスという部分でも携わる。

そして終活の講師として。

改めて考える。



実家との確執から、父の死を1ヶ月も知らされなかった。

遺産放棄問題があって、知らせを受けそして手続きをした。

それでもなお、人を軽ろんじて見ている部分に対して、苦言を言うしかなかった。


苦言を言うこと自体、自分の正義を守ろうとすればするほど、対立する。

それさえ口にできなくなるほど、距離を置いた。


忌み嫌われている、ということ自体。

私が認めたくなかった。

だから疎遠になった。


「忠言は耳に逆らい、良薬は口に苦し」受け入れ難い言葉は、人を遠ざける理由にされる。


しかし、それ自体気づけないことが多い。それが私と実家の確執の根源でもある。

だから、いつも思う。

施設で働くことは、自分で看ることができない、父母をいつしか重ねていた。


その中で多くのことを学んだ。

そして人生の格言的に、自分のにかけられた、生きている言葉たち。



人に恵まれた人生だったと、教えてくださった方の言葉は、私の目標になった。

私も、最期の時。

同じように思える人になりたいと、努力した。


最期の希望を叶えたい!

本来なら、自分の役目とは違うかもしれない。


それでも、叶えたい。

葛藤もした。

目の前の出来ることをやる。


それが私の生き方と、覚悟した。


そしてネットを検索し、30キロ単位で売っていることを知り、購入してでも用意したかった。


昨日は日曜日で、確認できなかった市内のお米屋さんに聞いた。


そしたら、ありました!

【無農薬・天日干し】あきたこまち。


1キロから購入可能で、精米ができる2キロを購入。


お米の旨みが全然違う。


あまりお米の味など、考えない私ですらこんなに違うんだを実感。



頑張っていれば、いいことあるんだなぁとしみじみと、言われた言葉。


その言葉は、大きな意味を持つ。


私はどんなに辛くとも、挫けそうな日々でも、最期に笑って死ねるように、後悔しない為に、懸命でありたい。

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