シャーマンとして生きる【悩み】



聞こえないはずの声が聞こえる。

それはその人が、心で強く願った言葉。


どんなに綺麗な言葉を並べたとしても、追い詰められた時みえる本当の姿。


それを感じさせまいと、演じる姿。


身内であったとしても、顕著にみえてしまう。


視えて感じる日常は、人格の崩壊をも招きかねない。


そしてその中、泥を喰らい足掻いてもがいている現在。


その環境から、抜けれれば本当に解決するのだろうか。


答えは、そんなにシンプルだろうか?


どんな出来事にも、意味があると考えるのなら

この職場で何を学ぶ?


結局、嫌な現実や苦手なことから、逃げているだけではないだろうか? 


退職を決意した自分の中で、湧き上がる疑問。


自分の力のなさ。

理不尽さも、目の前の仕事という場面になると全てがゼロになる。


何も感じなくなるのだ。

感じていると、そこにいられなくなるから、感じるという部分の自我を無くしてしまう。


ある意味サバイバル生活で身につけた、スキルなのかもしれない。


しかし、崩壊は目に見えている。

均衡を保つ為に、何をするか?

どう生きるか、私は悩んでいた。


自分の中に正義はあるか?

偽る心はあるか?

組織という枠の中で、生きるということは、自我を捨てなけれればならのかもしれない。


それと引き換えに手にするのは、社会的信頼という保証。


それがどれほど大きいかといえば、家のローンと置き換えれば、理解しやすくなるのかもしれない。


正しく、社会的信頼の基準となる。

何年勤務し、年収は?という具合だ。


しかし、そこに留まる理由をいつも見失う。


理由は人間関係のことが多かったけれど、今回はどうも違う。


理想的な会社組織。

お互いに気持ちよく仕事をしましょうというのは、当たり前なのかもしれない。

しかし、仲良し意識はお互いを許しあう緩さとなる。

規律も何もない無法地帯となった挙句、被害は弱者へ向かい、しわ寄せがいく結果となる。


ただのしわ寄せならまだしも、命という危機感があったなら、それを良しと見逃しができない現実がやってくる。


ある意味、無理案件になる。


しかし、それを違う立場に置き換えてみる。

神託を聞いたとき、理解したのだが、私が求める発言権という力は、神様は実態がないという部分で、同じ様に葛藤するという現実。


一部身勝手な人類を、なぜ守らなければならないという、悩み。

人を救うという使命。

そこに存在する、矛盾を聞いた。


規模が違う似た悩みを体験させられているのなら、おそらく今目の前の課題として、向き合わなければならないのだろう。



昨日の私は、ここまで分析していた。



これまで向き合えなかったからこそ、避けてきた部分は、更なる大きな問題となり目の前に現れる。


結果、解決しない限りエンドレスなのである。


そして状況の整理から、やっと見えてくる物事の本質。


それは自分が一番嫌で仕方がない部分。


そこを解決しない限り、繰り返し問題として現れるのなら、自分なりの解決策を見出さないと、先に進めない現実として理解するしかない。


一方、そんな理想を追えるほど、仕事に情熱を注ぐ気持ちは薄れていた。

なぜなら、やりたいことがありすぎて、もし比率があるとしたら、生活のための仕事。そう割り切るしかなかった。

前の自分は、正しくはやりたいことに、全力投球をしてきた。

しかし、結果は実らないどころか、全てが中途半端に思えた。


比重を考える様になって、一年が過ぎただろうか。

自分の中に80%しか自由に使えない力があるなら、自然とセーブしてこなそうと知恵がついた。


今思うと、その辺りからだろうか?

全てに対して中途半端で、形にできない。

社会的部分でも新聞に取り上げられたり、他業種のコラボ案件が舞い込んだり、順風満帆な話はいつのまにか自分の期待が大き過ぎた結果か。


形になったとしても私のモチベーションを保ち続けることが困難で、

しまいには、大きな仕事の依頼が来たとしても、こなせない現実に追われた。


それでもありがたいことに、どうしても私に作ってもらいたいというオーダーが重なり、結果何件かオーダーを抱える状況。


リアル仕事を軽視する様になってから、全てが止まった。と今なら言えるのかもしれない。


体調や仕事の負荷が心を蝕み、そして追い詰められる日々。

それさえも、感じない様になってゆく心。

人としてダメだろ。という話になるのだが、作家と名乗っており、作れない事情を話すと、いつでもいいんで待ちますとお返事。


こんな作家冥利に尽きることなどないのに、作れないどころか、身の振り方に悩む日々。


そうなると全ての問題が、リアル仕事の様に思えてくる。

リアル仕事があるからできないんだと逃げ道を作る。


つまり、自分の問題のすり替えをしているのである。

そうなってくると、八つ当たりに近いのかもしれない。


まあ、変えられない現状とストレスは社会人であれば誰でも、日々感じていることではあろうけれど。


それでもタチが悪い。答えが見えてくる。


じゃ、昔のように全てに全力投球したらと。


しかし、私は成長した。

全てに1人で全力投球する必要はないのである。

得意な人に得意なことを任せる。

まさにグループLINEの関係性である。


制作の世界で認められるような作家になる!という、天下を取るとでも言わんばかりの野望は、全てに全力投球していない限り、器用に手を抜く事もできない程、実は不器用なのである。


誰かの前だけでは、違う自分となり…また違う誰かの前では違う自分でいるなどと、高等なスキルもない。


全力疾走するしか選択がない自分の性格に気がついた。


そして職場の中の闇は、【世の中の縮図】そう考えた時自分の中で生まれる矛盾。


世界を変えるほどの光になりたいと願いながら、手の届く範囲すら変えられず、逃げるのである。


この葛藤も現実も全て、向き合えとばかりに並べられる。


簡単に何かを成し遂げることなど、存在せず目の前の現実に、必死になるしかなくて。

そしてその必死になるという現実はいくつも同時進行するという、かなり高いハードル。


ふざけんな!と怒りを覚えられるならまだマシで、受け入れようとする自分がいる。

そして待ったーっとなった。


天照様のシナリオとして、一度死んだ仮想世界の私。


何にも変わらない現実に気づく。


また、繰り返すつもり?

生まれる疑問。


それ自体苛立ちながら、思うのである。

おうよ、やってやろうじゃないか!?って。


たとえ辞めるまでの1ヶ月だとしても、延長し未来の3ヶ月先だとしても、その間在籍するわけである。


そのまんま闇堕ちして、過ごすのか、意味をもって過ごすのかで、大きな分かれ道となる。


人生を賭けるほどの、何か衝動的な時間があるとしたら、【今】でしょ。


意地でも全て、成し遂げてやる!

それが私の野望なんだ。

諦めようとしても諦められなかった思いは夢なんて、優しいものではなく必ず叶える必要事項になっている。


仮想世界で私が死んでから、本日で52日目を迎えた。



是宮は、あちこちの神社と縁を結ぶため、参拝してくれていた。


その翌日であるいつも通り、職場に行く前に参拝した。M総本山と、仮想世界の私が死んだとされるK神社。

同じ出来事が起きた。

参拝すると、ドンと重くなった。

正しくはズシっとなった感覚。


初めての感覚に何!?と戸惑う自分に、【御魂入れ】というキーワードが浮かぶ。


そして今回の記事を仕上げた。

職場の帰り、もしかすると神託の言葉が聞こえるのではないかと、期待もありM総本山へ寄った。


言葉はかけられなかった。

しかし、光の中心で蓮の花が開いた。


泥水を吸って咲く、蓮の花が今の自分の状況に近く、そして答えのような気がした。


己を信じて歩け…という言葉が蘇る。


これまで幾度となく、言われ続けた言葉。

それを胸に帰宅した。


選ばれた存在なのかもしれない。

しかし、神様は平等に人を愛し、成長するチャンスを与えてくれる。そこに気づくか、気づかないかの違いいでしかないのである。


私は、葛藤し答えを求め続けただけに過ぎないのである。


だからこそ、闇も光も共存するちょうどいいバランスの取れる世となることを願っている


あれから…2ヶ月すぎた自分は、かなり思考が変わった。物事を柔軟に受け止められるようになったきがする。

意地を張るようにしがみついていた、想いはほぼ消え、私なりのペースでいいんだという感覚でいる。


人は時に意地を張ってでも、進まなければならない時期があるのかもしれない。

しかし、いつも緊張地点にいるわけでもない。

緩んで張って…頑張ってを繰り返し、乗り越えてゆくんだと今なら思う。

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