第10話 奈々子最後の仕事

高校に入って、奈々子は中学の時と比べ物にならないくらい、明るくなった。いつも、病気の事で、不安そうで、悲しそうで、辛そうだった、あの奈々子が。


「奈々子?あたしの事なめてる?」

「は?」

「なんか、俺もそんな気がしてんだけど…」


3人で教室のベランダで、奈々子の猫かぶりを問い詰める准と楓。


「何か隠してる事、あるんじゃないの?」

と楓が、目を合わせてグッとほっぺをつねると、奈々子は思ってる事を何一つ嘘なく答えた。

「にゃにもにゃいからにゃい?」

頬をつねられたまま、ふにゃふにゃとそう言った。

「「え?」」

「いてて…」

楓のつねり攻撃に負けず、即答で、奈々子は言った。

「何もないからだよ。発作もないし、2人とまだ3年間も一緒にいられるんだよ?怖いものなんてないの。それかな?」

「ふーん」

「あっそ」


2人はそれを嘘と見切れずに、素通りしてしまった。

「何?もう!2人ともあたしの事が大好きなんだから!しょうがないなぁ。寂しんぼさんたちは!」


(あ、今度は本当に猫かぶりだ…)


本当は、13歳の時の事を、奈々子は忘れられずにいる。

『准を支えてあげて』『奈々子ちゃんじゃなきゃダメなの!』

そう願った美麗に、この心臓は何処まで応えていけるのだろう?

奈々子は、いつも明るく振舞っていた。つまり、楓と准の勘は当たっていたのだ。


掴めそうで掴めない奈々子の言葉と心。



あの笑顔を、消してしまう…、そんな未来に恐怖がないはずもない。だって、楓は歳は一緒だったけど、何だか世話の焼ける妹みたいに思っていた。准は恋人を白血病で、たった13歳の恋人を亡くした。幸いにも、亡くなった美麗が残してくれた、奈々子と言う優しい子がいた。美麗にキスをした時、美麗だけだ。と言ったけど、奈々子とはたくさした。このくちびるの温かさを、どうしても覚えていたい。自分のくちびるに、焼き付けたい。しかし、奈々子と言う、またこんな恐ろしい病気を背負っている、女の子を好きなってしまった。と悲しくて、今、大好きで、うんと大切で、もし命が…それも、こんな細いロープを命綱も無しに、渡っているような、恋がいつまで続くのか、…2人はそこからいつ落ちるのか…。それは解らない。しかし、いや、落ちても構わない。構わないんだ。2人一緒なら…。1人でなんて言わないで。もうこれ以上、俺を孤独の渦にまみれこませないでくれ…。

もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だ。

いなくならないで…もう何処にも行かないで…。そう願う准。


けれど、准は頭がいいから、奈々子の仕草や、言動でスッと、

「奈々子?大丈夫か?顔色悪いぞ。保健室で休ませてもらおう」

「ごめんね准…」


奈々子は、弱弱しく体を准に傾けた。

「!」

奈々子は、…軽かった。驚くほど、体が限界だ、と物語っている。





高校に入って、1年間は、さっきも言った通り、心に闇があっても、3人なら、生きていける…と話していた奈々子。その時の奈々子の強がりをまんまと本心だ、と思ってしまったのが間違いだった。息が上がったり、体を重そうにエレベーターに乗ると、奈々子は必ずしゃがみ込む。もちろん人が乗っていない時だけ。


(もう…歩くのも…しんどい…かも…)

廊下の窓を支えに、奈々子は歩いていた。形だけ、運動着に着替えて、体育をしている生徒より、息が上がり、苦悶の表情をしているのに、1番先に気が付いたのは、楓だった。


が鳴ったのだ。

(!!不整脈!?)

すぐさま、奈々子のもとへ駆け寄る楓。

「先生!広瀬さんの具合が悪いです!すぐ室川先生を呼んでください!!それから救急車も!!」

「あ、はい!」

「奈々子!?大丈夫!?奈々子!!奈々子ってば!!目開けてよ!奈々子ぉ!!」


ざわざわと、体育をしていたクラスメイトには何が何だか解らず、只、呆然としていた。


「奈々子ちゃん!!」

室川は、出来うる手を尽くし、救急車が到着すると、

「楓さん、速く!!救急車に同乗してください!」

「はい!!!」

楓は冷静だった。

手を握って、

「大丈夫、大丈夫、大丈夫!!」

奈々子に聞かせ続けた。



救急車が病院に着くと、すぐさま手術が行われた。



「もしもし?准?」

「おう。どうした?」


「…奈々子が緊急手術。病院、来れる?結構…やばい状態みたいだから…」

「いますぐ行く!!!」


そう言うと、20分で、准が駆け付けた。

「奈々子は!?」

「まだ解らない…」


楓は冷静で、奈々子がこんな危険な体になっているけれど、准を呼んだり、奈々子の両親にも連絡した。只、とても怖い顔をしていた。


パッ!

手術中のランプが消えた。

そこから出て来た医師の顔は、一生忘れない。


「意識、戻りましたよ。娘さんはご無事です」


楓が床にしゃがみこむと、今まで見た事の無いくらい沢山、沢山、涙を流した。

「奈々子…お帰り…」

誰に聞かせるでも、自分に言い聞かせるでもなく、楓は、そう言った。


「楓ちゃん、ありがとう。本当にありがとう。奈々子が助かったのは、全部楓ちゃんのおかげよ。色々聞いたわ。救急車の中で、ずっと手を握ってくれたり、大丈夫って言い続けてくれたり、そもそも、奈々子の異変に一早く気付いてくれたのが楓ちゃんだったって、担当の体育の先生に聞いたの。本当に、ありがとう…」


と、奈々子の母親が、楓に深々と頭を下げた。


「だって…奈々子が死んだら…もう誰も守ってくれない…あたしと仲良くしてくれる人がいなくなっちゃう!!奈々子しかいないの!!私には、奈々子だけなの!!!」


「奈々子、お願い…。置いて行かないで…」

幻想の中にぽつんと残された少女のように、そこだけ空気が違う。

その空気はひんやり冷たかった。

「楓?…どうしたんだよ。らしくねぇな…」


奈々子の頑張りに、奈々子の両親と喜んでいた准がある人の異変に気付いた。

楓だ。


楓に目をやると、ひどく怯えている。それは奈々子が助かった事と関係あるのだろうか?そして、楓に近づき、

「楓?どうした?守ってくれないって…なんで?」


中学から楓とは、奈々子を通じての友達だったが、楓は、いつも堂々としていて、裏表なくて、悪戯が好きで、人を怒らせないを知った、意地悪も言った。嫌われるのが怖いなんて、そんな事でしり込みするような奴じゃないと、准はそう思っていた。しかし、誰にでも、1つや2つ、言いたくない過去や傷がある。それは、楓があんな風に取り乱すほどの過去があるからなのだろうと、准は悟った。



奈々子に、面会することが許された。

1番最初に奈々子の手を握ったのは、楓だった。


「奈々子、大丈夫?苦しくない?」

「…へーき」

「なんで苦しいの言わないの?」

「ごめん…高校は…楽しくて…3人でお昼ご飯食べてる時が1番好きな時間なんだ。失いたくなかったの…」

青い顔をして、奈々子は、軽く息を荒げながら言った。

「ごめん、俺たちが付いてたのに、こんな悪化するほど苦しかったなんて…気付いてやれなくてごめんな」

「もう…准まで泣かないでよ、男のくせに」

「恋人の生死にかかわる事なのに、ギリギリまで気付いてやれなかった…ごめん」

「もう…。もうごめんは要らない。生きてるんだから。私。ね?」


「「奈々子…」」


楓と、准の声が一緒になった。


「…ん…うん。生きてるね、奈々子は。まだまだ生きるもんね、奈々子は…。絶対」

「大丈夫だよ、楓。私がいなくなったってもうあんなことにはならない。『内田さんてフランクで広瀬さんや上原をからかうのとか好きだよね。なんか友達になりたい』って河合さんと油井原さんが話してたの聴いた事あるよ?頑張って話しかけてみたら?」

「…怖いよ」

「怖くない」

「怖い!」

「怖くない…」


真っ直ぐな奈々子の瞳と、囁くような、物腰柔らかい説得。


「なぁ、何が…あったんだよ」


その会話に入りたくて、准が割り込んできた。


「楓はね、小学校2年生の時、いじめられてたの。もちろん楓は何にも悪くないよ?だけど、楓、極度の人見知りだから、うまくなじめなくて…。そうしたら、いじめられるようになっちゃって…。」

「この楓が!?」

准には想像できなかった。楓と言えば、図々しくて、遠慮なしで、気が強くて、悪戯好きで、准だって背中を2回もつよーい力で叩かれた。そんな楓がいじめ?だけど、今の楓なら、幾らでも友達を作ったり、楓も、奈々子には敵わないが、結構可愛い。それなりにモテるのに…。


「楓が1番悲しかったのは、今の楓を見てわかるだろうけど、私と楓、髪長いでしょ?この長い髪がある時…けなされて…可愛くないから切っちゃえー!ってみんなして楓の横髪を20センチ切られたの。楓、すごく傷ついて、だから私も横髪切って、下校の車の中で、泣いてる楓を、『お揃いだね!楓ちゃん!』って言ったんだ。それがどんな風に伝わったかは解らなかったけど、次の日、土曜日だったから、一緒に初めて美容室に行ったの。それで、同じ髪型にしたの」


「すごく…すごく…嬉しかった…。あの時の奈々子は、ヒーローみたいだった。だから今も…奈々子以外とは怖くてあんまり喋れないんだ…」



そんな事、夢にも思わなかった。楓が…この太々しい楓が、奈々子がいなくなったら、小2に戻るのか?そんなの、奈々子は望まないぞ、と言いかけてやめた。美麗を失った後、自分には奈々子がいた。ついでに、冷やかされるのも解って、楓も准には大切な人だったから拒むこともしなかった。

それに、逆なら、ありそうかな…とも思った。楓が奈々子を守ってきたような、そんな逆も。でも、きっと親友ってこうなんだ。誰に言われるでもなく、保育園の先生や、小学校の先生、必ず

「みんな仲良くしましょう」

と言う。そう言ったなら、子供の小さな変化にも気づけ。それが先生、あんたらの責任だ。


しかし、その責任をしっかり果たしたのは、奈々子だったんだ。



そのエピソードを聞いて、准は、楓を、可哀想…いや、愛おしく思った。奈々子がずっと大切にしてきた人を、これからも大切にしよう…と心で思った事を、きっと伝わるはずだ、と声に出さず、言った。

すると、奈々子が、にっこり微笑んだ。

(すげー…奈々子、エスパー?)



コンコン

「はい」

「そろそろ面会終わらせていただいてい良いですか?消灯の時間なので…」

と看護師さんが伝えに来た。

「「はい」」

2人でそう答えると、

「奈々子、明日も来るからね」

「ちゃんと寝ろよ?」

「うん…。ありがと、准、楓…」

弱弱しく二人に笑顔で返事をする奈々子。




奈々子と、もっともっと話しておけば良かった。あの笑顔をもっと見ておけば良かった。

なんで、意識が戻ったと言うだけで、命が後どのくらい生きていられるか、医者に聞いておけばよかった。そしたら、消灯した病院の中でも、朝までは話をしたのに…。




次の日の朝、ナースコールが鳴り響いた。



看護師と、担当医が、慌てて奈々子の病室に駆け込んできた。



すると、心配は停止していた。慌てて手術室に奈々子を運び、電気ショックや薬の投与など、様々な処置が行われた。


しかし―…、


奈々子は、静かに、眠るように、命を果たした。



楓と、准は、それを朝聞いて、一目散で病院へ向かった。

そして、遺体安置所で、顔に覆われた布を取ると、涙が止まらないほど優しい顔で、奈々子は眠っていた。



2人とも、膝から崩れ落ちるように泣いた。



その2人の姿を見て、奈々子の両親はホッとした。『今日まで…一緒に居てくれてありがとう』



「楓ちゃん、上原君、自分が死んだら、これをそれぞれに渡してって言われてるの。読んであげてくれる?もちろん、中身は見てないから」

「……はい」

2人はそっと、その手紙を受け取った。



「准へ―…


准、初めて会った時、真っ赤な髪の毛に、びっくりしたのを、今もまだ覚え         います。でも、もっと驚いたのは、入場して、先生と、先輩の人たちに深々とお辞儀をした事です。

あ、この人は、多分、大切な誰かの為に、この髪の毛にしてるんだろうな…って思いました。勘、良いでしょ?

最初は准を好きになるなんて、一切思ってませんでした。だって、美麗ちゃんがいたから。

美麗ちゃんには、拒まれたこともいっぱいあって、心が折れそうな時もあったんだ。でもね、途中から、なんで美麗ちゃんが私を拒むのか、その理由が解りました。美麗ちゃんには、准、あなたがいたからだったんだね。

准は今、2人の彼女に振られた訳だ。どうだ、悲しいだろ!…茶化してごめん。でも、准には笑顔でいて欲しい。

きっと初めての彼女、美麗ちゃんには、敵わないかも知れないけど、准はいつも優しくしてくれた。



でも、…高校…卒業するまで生きられるか解らないって、主治医の先生に言われたから、こうして指が動き、自分の字が目視できるうちに、この手紙を書き上げないといけない、と思って、ちょっと文章がざつになってるかもしれないけど、我慢して?


あ、でも、准の第一印象は最悪だったよ?だって意気地なしのお嬢様、なんて普通言う?デリカシーないな、って腹が立ちました。でも、意気地なしなのは本当だったから、言い返すことも碌に出来なかったけど…。


ねぇ、准、准はこれからどんな子と付き合うんだろう?背が小さい子?笑顔が素敵な子?んー、でも、准は尻に敷かれるタイプだな、きっと(笑)

例え、どんな子でも良いから、また、恋をしてください。美麗ちゃんとあたしじゃ恋愛運、滅茶苦茶ないんだね、准は。でも、諦めないで。絶対准が逝くまでずっとそばにいてくれる人が必ず現れる。私の言う事、信じて。


どうか、どうか、幸せに。


                            奈々子より 」




「楓へ―…


楓、今日までありがとう。中学も、高校も、同じクラスにしてくれて。不安が一気に吹っ飛んだのを覚えています。

楓?1つ、強く言うよ?


楓は、強い子だよ。とってもとっても強い子だよ。そして優しい子。

もう何も怖がらなくて大丈夫。私や、准と一緒に居る、その時と同じように、周りの子に接すれば、怖いことはもう起きない。あれは、只の悪い夢。

そう、思って?


私が死んで、唯一無二の親友が悲しくて、泣いていたら嫌なので、この言葉を贈ります。


『楓と出会えて本当に良かった。これからも、楓は、私の中で友達、親友、大親友になって、その大親友を、心の中にしまってあの世まで持って行きます。そうすれば、私は1人じゃないから、寂しくもありません。だから、楓も、もっと、私や、准に接してるみたいに友達、作ってください。たーくさん!そうすれば、もう楓の心配はしなくてもよくなるから。私はそうしたら、眠ろうと思います。』



堂々と、友達何人でも作って、恋人も作って、素敵な青春を、謳歌しください。


                         それでは、奈々子でした」


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