第9話 死なないで

「楓!!あった!!あったよ!!番号!!私も楓も!!」

「本当!?やったー!!これで後3年間、よろしくお願いします!!」

「へ?」

「ウフフ。2人とも受かったら、また奈々子と一緒のクラスにしてって、中学の時の学年顧問の先生に頼んどいたの!!」

「え―――――――――――!!もう、楓様大好き――――――!!!」

「であろう、であろう。わっはっは!!」

「おい」

「?」

後ろから男の声がした。振り返ると、准が恨めしい顔でこう言った。

「俺も、受かったんだけど、クラスは?なんで違うんだよ」

「いやだから!」

「はっ!?なんだ!楓、それは!!」

「良いじゃん。奈々子とあんたは恋人同士なんだから、外で幾らでも会えるでしょ?でも、私は学校じゃなきゃ、会えないけど、准は登下校奈々子の車でしょ?その車を我慢したのは誰だと思ってるの?」

「…はい。すみません」


「「「ははは」」」



奈々子と楓と准は、同じ高校を目指そうと決め、頭の良い准を中心に、中3になった日から、3人で図書館で猛勉強した。なぜなら、准と、楓は何の心配もなかったが、唯一、奈々子だけが、成績が安定せず足を引っ張ている状態だったと言う状況だったからだ。病気を持っている事も

けれど、学年でもトップクラスの准に1から…いや、0から解りやすく、丁寧に、1問1問解かせ、何処がどう解らないのか、公式の覚え方や、何活用が何処の問題に絡んでるか、関係代名詞はどう読み取るのか…などなど、本当に、中学の大皿意をして、3人とも同じ高校に受かる事が出来のだ。


入学式が終わると、その日だけは、6人乗りの車をレンタルして、運転手さんに頼んで、この辺りみんなで街を走ってみた。

見慣れない景色。あちこちに点在する、お洒落な喫茶店。高校生になった暁には、服だって少しのものを着たい。

〈こんなに?〉

と思うほどの桜並木。今、最盛期だ。


その並木道で、車を少々止めて、3人は桜を愛でた。何とも可愛らしいと言うより、貫禄のある森のような、力強ささえ感じた。


「私…来年もこの景色…見られるかな?」


不意に、そんな言葉を発するのは、1人しかいない。奈々子だ。


「なあに言ってんの!当たり前でしょ!ねぇ!上原!」

「俺が付いてるから。発作が起きたら、何処までだって駆けつけるから。辛い時だって傍にいるから。不安になったら、抱き締めるから、寂しくなったら、いつでも電話して来いよ、奈々子……」

そう言った自分に、准は恐ろしく恥ずかしくなった。そうだ。そうだった。あいつがいた。


「ホー。格好いいですねー。さすが高校首席入学でいらっしゃる方ですねぇ。まだ、春なのに、もう暑くてかないませんねぇ」

「「楓!!」」

照れる2人をからかい、

「冗談冗談!」

そう言って悪戯な顔して笑う。2人をからかったと思ったら、突然涙を流した楓。

「…本当にこの時間がずっと続けばいいのにね…」


楓は、まるで、いつか終わる、このおとぎ話の最後がハッピーエンドではない事を予知しているように頬を振るわす。


「楓、ありがとね。無理…してない?私、楓の邪魔になってない?」

「何言ってんの?今更。奈々子はあたしといて無理してるの?邪魔なの?」

「ううん!ううん!絶対楓とずっと親友でいたい!」

「じゃあ、同じだ!あたしら、親友だ!!」

と、抱き合った。

「なぁ、こういう時、そう言う青春的な言葉や行動は、恋人同士がするものじゃないか?」

「ほう。言ったな!うむ!止めぬ。いくらでもイチャツキタマエ!!」

「「え…」」

「なっ、何言ってんの!?楓!」

先に照れたのは、奈々子だった。

そして、奈々子は思い出していた。今のシーンとよく似た光景を。


いつだったか…、まだ、美麗が生きている時、今の楓のように、美麗と准をからかった事があったな…と。


その子は死んだ。


奈々子も今生きてるのすら不思議なくらいの病気だ。准と楓、私までいなくなったら、どうなるんだろう?

楓は、きっと泣くんだろうな…。

准は?どうする?美麗ちゃんが亡くなった時みたいに、号泣するんだろうか?

奈々子は思っていた。2人が後悔しないように、自分はどんな我儘も遠慮なく言おうと。

〔あの時、ジュースを買ってあげれば良かった、とか。どんな遠いところでも、室川先生に許可と一緒に付いてきてもらう必要はあるけど、行くんだ、と言う。とか。楓とは楓とだけで話がしたい、とか。准は、いっぱい、いっぱい、ラーメン屋さんに連れてってもらうんだ、とか…〕


そんな我儘を、奈々子は必死で探した。

その我儘が、一つ一つ叶えられてく…それなのに、なんで、こんな悲しい気持ちなるんだろう?願いごとが尽きそうになると、必ず、学校を休んだ。笑顔でいるために、家では思いっきり泣いて、恐怖。色んな恐怖に憑りつかれたように、悪夢ばかり見るのだ。

笑おう笑おう…。


恐怖が襲ってくる時、それが伝わるかのように、准か、楓から深夜の電話があった。


それこそ、そんな事をしていたら、病状が悪化する、と室川に止められるまで、登下校の高校へ入った分、長くなった距離を、目に焼き付けて、あの世界に持って行くんだ。

そう…覚悟して。

もう、自分がいつ死ぬか解らない。それは、1番初めに発作を起こしてからは、約束…いや、束縛された未来が、いつどこで疎らなリズムを刻むんだろう?それは、寝ていても、脂汗で、夜中、呼吸が苦しくなると、『室川先生!呼吸が!呼吸が!』

怖くてたまらず、家の前で車の中で待機してくれている。




=====================================




室川は、小学校で発作を起こした時、研修医をやっと終わる頃だった。心臓外科医といしては、初心者だが、腕には研修医時代から、評判がよく、かなり期待されていた。その初患者が、奈々子だったのだ。28歳から、奈々子との疎通もよく、無邪気な奈々子をずっと見守ってきてくれた。もちろん、忙しいお医者さんだから、奈々子に付ける医師は、言い方はともかく、とっかえひっかえだったが、奈々子が笑顔を見せるのは、やはり、室川だった。




「ね、せんせ、奈々いつ走って良いの?」

「うーん…奈々子ちゃんが、大人になってから…かな?」

「おとなって何歳?」

「うーん…奈々子ちゃんがそれを解る時になったら…かな?」



子供は直球だから、うまく嘘でも、本当でなくても、その答えを解りやすく、でも反発されないように…室川は、幼い頃の奈々子の質問に、すべて答えて来た。


しかし、大きくなるにつれて、奈々子は、悲しい質問ばかりするよになった。


「先生、私の心臓、不整脈、起きたら危ないんでしょう?私、怖いんです。死ぬのが…怖いんです…どうすれば、より、長く生きられますか?」

その質問に答えはない。

室川の表情を見て、奈々子は何と言ったと思うだろうか?


「なんて!今生きてるだけで十分です!ありがとうございます!室川先生!」


そう言って車を降りた。

室川は、泣きそうだった。こんなに医療は新しい薬や技術を日進月歩先で進んでいるはずなのに、こうして、何の手も打てない病気も未だ山ほどある。



「先生!私、今ボールに…触っちゃった!どうしよう!どうしよう!!」

と、奈々子が動揺をきたした事もあった。こんな若くて可愛い普通の女の子が、普通でないところは、心臓だけ。


走りたいし、泳ぎたいし、階段にも憧れる。心臓を守る為、体にすべて鎖が纏わりついている状態だ。そんな奈々子を、8年間見守ってきた。

そんな室川にある心配な事が起きた。不整脈ではないが、鼓動が速い。夜中1時、合鍵で広瀬宅に入る室川。ついでに、人手がいるかもしれない、と運転手も連れて来た。

コンコン…

「奈々子ちゃん?大丈夫?入るね」

奈々子の部屋に入ると、奈々子は普通に寝ていた。しかし、暗い月の光だけでよく見えなかったが、奈々子目じりに流れる涙を見た室川は、心が痛んだ。


中学3年生が、夜中に、無意識に鼓動が乱れる程、眠りに入っていても、心も頭の中も、病気に支配されている奈々子が、夢まで不自由な奈々子が、可哀想でならなかった。


〈お休み…〉


そう言って、室川と、運転手は車に戻った。


次の日、どれだけ悲しい顔をしているのだろう?と、玄関前で、待っていると、

「お母さーん、行ってきまーす」

とんでもない笑顔で、明るい声で、室川の方へ寄って来た。

「せんせ、おはようございます!今日も、お願いします!」

「…はい…今日も楓さんの家から学校、それでいいですか?」

「はい!先生!」


大人が思うより、子供は気を遣うし、遠慮も知り、困らせる事も、幼い時に親に愛された子ほど、気丈になって、構えてしまう、そんなところがある。

と、室川は、奈々子を通じて思った。研修医を通過するかしないかの頃から奈々子についていたからか、

『死んで欲しくない…無事、長生きできると良いのに…』

そんな感傷に浸った事もある。


高校生になった奈々子を、合格発表を見て、自分の番号を見つけた時の、笑顔で、高校生になれた奈々子を見られて、室川の中にも、胸にこみ上げるものがあった。




4月5日、入学式だ。

「「先生、行ってきます!」」

「行ってらっしゃい、奈々子ちゃんと、准君」



ゆっくり、下駄箱に向かう2人。



(神様…)


その言葉が精いっぱいだった。

医者として、人の病気を治す仕事をしていても、治せない患者さんは数えきれない。

けれど、その死を憂いでいられるほど、この仕事は易しくはない。


研修中の時も、亡くなった5歳の子供がいた。


突然失われる命に、目をそむけたくなる研修医たち。室川も、その中に入る。医者を辞めようかとすら思った。それも、1度や2度じゃない。もう慣れたはずの消毒液の匂いまでもが、辛いこともあった。

『頑張れ、奈々子ちゃん』じゃない。『頑張れ室川!!』なんだ。




=====================================



 

この日、教室で、奈々子、楓、准はお昼を食べていた。

「あ、これもらい!」

「あ…!ミートボール!!ひっど!!じゃあ、私はこれ!!」

「げ!!俺のエビフライ…」

と嘆く准を無視して、奈々子はペロッとエビフライを一口で食べてしまった。

「バーカ!知らないの?奈々子は結構な大食いなんだよ?」

准に悪戯好きの楓は、奈々子が食べたエビフライのしっぽを、さっと准のお弁当箱に戻した。

「は!?これ食えって言うのかよ!」

「だって関節キッスじゃん!」

「「えぇ!?」」

その悪戯は、奈々子にも及んだ。

「もう!楓は悪戯が過ぎる!!」

准ではなく、奈々子が怒った。

「奈々子ちゃん、貴方は美麗ちゃんに負けてるのよ?」

「え?な…に?」

「だって言ってたじゃない。准と美麗ちゃんがキスしてるところ見ちゃったって」

「げ!!!マジ!!!???」

「あー…まぁ、そうですね…」

「准の事だから、美麗としかしない!!とか言ったんじゃないの?」

「おっまっ!なんで…いやそれは…」



「「言ったんだね」」

「じゃあ、奈々子とのキスは無しかしら?」

「うっせ!楓、消えてくれ」

「何その人バカにした態度!」

「お前が1番人のこと馬鹿にしてるよ!」

「まあねそれ、あたしの生き甲斐なの」

「ばーか」




「ねぇ、楓、ずっと気になってたんだけど、楓と美麗ちゃんて知り合いなの?」

「うん。いとこ」

「「いとこ!?」」



「だから、奈々子みたいに怒られないし、准より勘働くし、美麗にもあたしがいて、それなり文句や涙や運命や…恐怖も弱音も言えてたんでしょうね。だから、あんたらが、こうしてるのは、この楓様のおかげなの!だから、特別待遇発動します!良いですね?広瀬奈々子さん、上原准君」


「みんな、もうそろそろ暗くなるから、帰りましょう。この時期、朝と昼の寒暖差が激しいですから、心臓に負担がかかるかも知れませんので」


室川に言われ、3人は促されるまま車に戻った。あんなに会話を楽しんでいたのに、こうして車に乗ると、奈々子が病人だと、実感してしまう。それ故、みんな無言だ。



その沈黙を切り裂いたのは、奈々子だった。


カリッ!


変な音が奈々子の口の中に響いた。


「今の…何?奈々子」


「関節キッス♡」


「…!!!もしかして、エビフライのしっぽ捨てなかったのかよ!?」

「良いじゃない!恋人でしょ?私たち」

「もう…お熱いですね。うむ、楓殿、おぬしの意見、結構なお手並みでござったぞ」

「え~~~~~~~~!!」

「「なんぞよ」」

「あれ、俺と奈々子のファーストキス?もう取り消しなし?」

「あるよ」

「…!」

その率直な、奈々子の返事に、思わず准は赤面した。



愉しい時間は、もう終わりだ。楓を先に送り、奈々子の家に着くと、

「奈々子、ちょっと一緒に降りて良い?」

「うん、良いよ?」

2人が車を降り、その光景を見て、それまで話していた内容からして、

『あぁ…そっか』

と察し、車を30m先まで進んで、そこに止まり、奈々子からの合図が来るまで、2人きりにした。

中々粋な計らいをする室川だ。


「奈々子、抱き締めていい?」

「…うん…」


准は美麗を抱きしめた、時よりずっときつく抱き締めた。


「キス…していい?」

「…うん…」


2人は、ゆっくり、くちびるとくちびるを、そっと、重ね、何秒も何十秒もキスをした。


そして、キスが終わると、また准が奈々子をきつく抱きしめ、耳元でこう言った。


「死なないでくれ…お願いだから…死なないで…」

「准…」

准が泣いてるのが解った。それはそうだ。初めての彼女は13歳で亡くなった。

その傷が治るには相当時間がかかった。そこに現れた奈々子と言う子。

どうして、同じような恋に墜ちるのか、神様の悪戯か。そうだとしたら、神様は、本当に准が嫌いだ。

そんなに嫌いなら、美麗と…奈々子と、一緒に命を奪ってくれたらいいのに…。


准は…こんな悲しい恋をしているのは、准くらいかもしれない。

初恋は13歳で終わった。次、まだ美麗が生きてた頃から、美麗には申し訳ないけれど、惹かれた子がいて、その子と幸せになりたかったのに、その子も、心臓が悪い。



「じゃあね!准!また明日」

「おう!じゃあな!」


1人、車に乗っている准は、室川に聞いた。

「先生、奈々子…あと何年生きられますか?」

「解りません。奈々子ちゃんの病気は、不整脈が絶対条件です。不整脈が起きれば、ほぼ…命はありません」

「…そっか…教えてくれてありがとう」



准の家に着き、室川の乗った車に軽くお辞儀をすると、家の中に入って行った。



ただいまも言わず、電気もつけないで、自分の部屋へ行き、ベッドに倒れ込んだ。


「死なないで…くれ…」


そう、ぽつんと零すと、涙が目頭から鼻筋に沿って伝い、次は鼻水が出て、全然動かしているつもりのない、表情筋はみるみる変化し、涙と鼻水と震える頬。


もう誰も死んで欲しくないのに、どうして…どうして…。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る