第8話 中学1年生の恋

「楓ちゃん…昨日も駄目でした…」

「なに情けない事言ってんの!まだ、1か月でしょ!?友達作るのは…、誤解を解くのは、意外と大変なことだ、って事よ」

奈々子は、1か月、ほぼ毎日美麗の病室の前で語り掛けた。しかし、その扉は固く閉じられ、こじ開けても入れない気がした。


「うん…、そうなんだけど、…ちょっと気持ちをぶつけにくくて…」

「上原か?」

「うん自覚なかったから…」

「でも…好きなんでしょ?」

「うん。もう私のパパやママ…それから楓が怖がってるのとおんなじくらい私は自分が死ぬより、大切な人たちの方が死を恐れているんだなぁ…って思った。だから、上原君が一生懸命なのを見て、私は上原君を…美麗ちゃんの為に髪の毛まで色を変える上原君をきっと好きになったんだと思う」

そう告げると、楓の家に車が到着した。普段、病院へ行く日は乗らない楓だが、今日は奈々子の我儘で、一緒に来て欲しいと言ったが、『それは、奈々子と美麗ちゃん、そして、上原の3人で解き溶かすしかないの』と言われ、乗って行くのは自分の家まで、と何だか楓からすら見捨てられている気がするくらい、奈々子はとても、ハードな闘いに、根気の底が見えた気がした。


しかし、1度自分に課した問題を、消化する以外、そこから動く事は出来ない。奈々子はそう言い聞かせ、診察の後、めげずに、美麗の病室へ向かった。



コンコン

「今日もここで話すね。今日はね、テストの結果が出たの。そしたら私、数学ボロボロで…。でも…上原君は勉強出来るんだね。私、上原君のすぐ後ろだから、点数全部見えちゃって…あ!わざとじゃないよ!?…でね、なんと、全科目90点以上だったの。もうこれがおんなじ学校に一緒に居るなんて不公正だよねぇ…。もっと解りやす初心者の教室とかあれば良いのに…。美麗ちゃんは?勉強、楽しかった?…っ」


突然、奈々子が泣き出した。


「ごめん…美麗ちゃん…私、きっと美麗ちゃんと同じくらい怖い。私、死にたくない…。私…死にたくないよ…だって私、今、恋してるの。誰かは言えないけど、付き合ってる訳でもないし、本当に只の片想いだけど、好きなの。大好きなの。もうこれ以上ないって、心から言える、好きな人。でも…叶わないんだ…絶対。それはもう解ってる事なの。だから、美麗ちゃんが羨ましかったの。ついでに…上原君も。羨ましかっただけじゃないかも知れない…。嫌い…だったかも知れない。こっちだって命に係わる病気持ってるのに…って…。でも、それは当たり前だよね。美麗ちゃんは彼女で、私はただのクラスメイト。それ以上でもそれ以下でもない。きっと上原君ならそう言うよね。ごめん…。こんな時にこんなやつが現れて…。私が居なければ、2人とももっと楽しかったし、優しくしあえたし、どっちも穏やかでいられたのにね…。…じゃあ、もう帰るね。毎日来てごめんね。じゃあね。あ、お花、置いとくね」


そう言うと、しゃがみこんでいた体制を元の立ち姿に変え、奈々子は、病室から離れた。誰にも見られていない、誰にも知られていない、誰にも聞こえていない、誰にも…誰にも…。


そう俯き加減になって、エレベーターに乗った。



それに気づかず、階段から美麗の部屋へ一直線に向かった人がいた。准だ。

思わず、エレベーターの開くボタンを押し、静かに後をつけた。すぐに准は見えなくなったが、行先は解っている。慌てる必要はない。


無事、美麗の病室に辿り着いた。そして、中から、2人の笑い声が聴こえた。


すると…


「これ、また捨てるのか?花には何の罪もないぞ」

「解ってる…けど…私にだって、奈々子ちゃんへ…色々言いたいことがあるの!」

「また喧嘩か!?広瀬は…結構…いい奴だぞ」

「解ってる」

「じゃあ、なんで部屋に入れないんだよ。あいつ、俺の事も避けるようになったから、ちゃんと、誠実なやつだって、美麗にも解るだろ?」

「だから、解ってる!でも…今は会えないの」

?」

「そう。今は」

「じゃあ、いつんなったら会えるんだよ」

「ちゃんと会う為に…時間がないから…今日は准、帰って」

「え?でも来たばっか…」

「良いから」

「…ん…解った。じゃあな」

不満げな准を、いつも通り手を振って送り出す、美麗。


(なんだよ…今は…って)


3日後、


コンコン

「美麗ちゃん?奈々子です。今日もここで話すね」

と扉の前でいつも通り、座り込もうとした奈々子に、思いがけない声が、病室から聞こえて来た。

「奈々子ちゃん、入って来ていいよ」

「え…?」

「久し振りに、奈々子ちゃんの顔、見たくなっちゃった」

その一言が、奈々子に与えた衝撃はものすごいものがあった。この扉が、毎日通い、2週間、かかった。この扉を開くまで。思わず…泣きそうになった。

「本当に…良いの?」

「うん」

慌ててスカートの埃を払って、床に置いた花束を、拾うと、少し緊張しながら、奈々子は病室に入った。

美麗は、ベッドに座り、奈々子を

「久しぶり、奈々子ちゃん。ごめんね、ずっと無視して…本当に、ごめんなさい。私が准をお願い、って言ったけど…奈々子ちゃんが本当は心臓病なんかじゃなくて嘘を利用して、私から准を奪いに来たと思っちゃったから…」

奈々子をあれほど拒んできた美麗とは思えない静かな声で、そう謝った。

「奈々子ちゃんにね、プレゼントがあるの。もらってもらえる?」

奈々子は2か月振りの再開に、涙が止まらず、顔を手で覆った。

「前を見ててくれないと、渡せないんだけどな」

「…ん…うん。ごめん」

そう言って、目を開けると、分厚い本を美麗が持っていた。

「開いてみて」

「…うん」




その本の中身は………毎日奈々子が持ってきていた花束を、押し花に直した本だった。

「え…捨ててたんじゃ…なかったの?」

「正直言うと、捨てようかとも思ったんだけど、初めて会った時、奈々子ちゃん、泣いてたから…すごく悲しいことがあって、ここでしか泣けないほど心が傷んでいるんだろうな…って、最近思い出して…捨てる事なんて出来なかった」

「美麗ちゃん…」

奈々子の涙はもう瞳まで落ちそうだった。

「もっと…見て良い?」

「うん」


奈々子は、その分厚い押し花の本を、1ページ1ページ大事に心の中に仕舞い瞼の中のスクリーンに、焼き付けた。その押し花を見ながら、泣いて、泣いて、泣いた。しばらく…最終的に、押し花だけの本を、一時間もかけて奈々子はその本を読み終えた。

「それ、もらってくれる?」

「受け取るのが、私で…良いの?」

「奈々子ちゃんが良いの!」

「ありがと…ありがと…」

「奈々子ちゃん、その今日の分の花束は1500円?」

「う…ん」

「じゃあ、今日のそのお花だけは私がもらって良い?」

「もちろんだよ…」

「でね、…まだあるのかよ、って思うかも知れないんだけど、私、もう後1週間…くらいだと思うんだよね。その花が枯れて、ドライフラワーにして?ドライフラワーになったら、もう朽ちる事はないでしょ?だから、最後の我儘だと思って、ずっと大事にしてって、准に渡して。彼女から、彼女に…」

(彼女から、彼女に…?)

言葉の意味が全く理解できない。と言う顔の奈々子を見て、

「楓ちゃんの言う通り、奈々子ちゃんは鈍いんだね」

「え?なんで楓の事…」

「…色々ね」

「それは…」

「良いから、良いから。あ、それと、この手紙…、私が死んでから…、読んでくれる?死んでからだよ?」

奈々子は、ブンブンと首を振った。

「そんなの…遺書みたいなの書くのやめてよ!私はまだ信じてるんだから!私と美麗ちゃんと、何故だか…楓も…、3人でディズニーランドに行くんだから!これから…ちゃんと元気になって…元気に…なって…」

もう頬も耳も真っ赤にして泣きじゃくる奈々子。

「奈々子ちゃん、泣かないで。もう楓ちゃん以外、近い未来、死ぬ事は決まってる。それに目を逸らさないで。私たちに残された命は、みんなの為にある。両親だったり、兄弟だったり、友達だったり、そして、准の為にあるでしょ?だったら、ちゃんと伝えたいことを、ちゃんと伝えたい人に、伝えなきゃ。私は、もうたっぷり准に甘えたから、奈々子ちゃんと楓ちゃんにも助けてもらったし…。怖いけど…未練はないよ?それを、証明する手紙だから、絶対手紙を…読んで?」



そんな冷静にいられるはずはない。美麗は、きっと心の中でスコールみたいな激しい雨に打たれたように泣いているに違いない…。

そう思った瞬間、奈々子は、泣くのを止めた。

「美麗ちゃん、最後に…友達に戻れて良かった…大好きだよ」

「奈々子ちゃん…。…あんな…態度とったのに…ありがとう私も奈々子ちゃんと会えてよかった…。もっと話せばよかった…無視なんてしないで…いっぱいいっぱいおしゃべりすれば良かった…」


そう言ったかと思うと、いきなり、美麗がベッドからずり落ちた。そしてそのまま床に倒れこんだ。


「み…美麗ちゃん!!」

すぐにナースコールを押した。

〔どうなさいましたか?〕

〔305の近藤美麗です!急に美麗ちゃんが倒れちゃって!…動かなくて!!ど、どうすれば…!?〕

〔解りました。すぐ担当医がいきます!〕


その夜は、何とか山を越え、美麗は死なずに済んだ。

駆けつけたのは、准、奈々子、ご両親。そして、謎の楓。

(こんな時にクラスメイトの1人も駆けつけないなんて…あ…そっか…美麗ちゃん小学校しか行ってないんだよね…だから、私と初めて話した時、あんなに嬉しそうだったんだ…。同い年だった私と話すのが…)


少しずつ見えて来た、美麗の孤独と、絶望感。

それは、美麗に限らず、命に係わる病に侵されている人ならだれもが感じる、恐怖感だ。


そう、奈々子にも…それは1日のうちで、感じる回数は果てしない。





そうやって、グラグラと山から落石が落ちて来て、崩れて、転がるように美麗はICUでどんどん痩せこけて行く。

もう、担当医に、意識を取り戻すことも、もう、ないかも知れないと言われた。




その3日後、美麗は、静かに14年の生涯を終えた。




お葬式は内輪で行われ、准と奈々子と楓が弔問に訪れたくらいだ。

その時、美麗ちゃんの母親に、こう言われた。

「あの子が言ったんです。上原准くんと、広瀬奈々子さんと、内田楓さんの3人にだけ『私が生きてきたことを、今までとても近くにいた事を忘れないで。出来れば、笑顔で…』と言うのがこの子の机の上に置いてあった遺書です。皆さん、あの子を…好きでいてくれてありがとうございます。私からも同じことを言いますが、どうか、美麗を忘れないでください。そして、美麗の分まで生きてください…」


「「「はい」」」


1人で泣いている奈々子に、楓がハンカチを差し出した。准は、強がっているのが全身から伝わってくる。その准にも、楓はものすごい力で、パン!!と背中を叩いた。

「いっ…!!」

そして、涙を堪えた3人は近藤家を跡にした。



(この遺書、どうしよう…)



実は、あの、この遺書を読んでと言われた時、小声で、

「他の人には内緒だよ?」

と言われたのだ。でも、なにが書かれているんだろう?

そう、美麗が死んで、もう1週間が過ぎようとしているのに、怖くて、美麗の最後の『私が死んだら読んでね』と言う言葉が、また、死への失望と、大切な人を失う事がどれだけ怖いか、その真実を示唆した内容だったらどうしよう?


そう思うと、中々、開けられない。


でも、幾ら、2人が知らないあの遺書と、もう1つあった遺書をいつまで隠してたんだ!と2人に怒られそうだ。


そして、2週間後、ついに、准と楓に見せた。


「ごめんなさい!美麗ちゃんに、私が死んだら読んでって倒れる前に託されたんだけど、何が書いてあるのか、誰宛なのか解らないし…どうしても悪い方へ悪い方へ考えちゃって、2人に見せる事が出来なかったの…」


2人は、沈黙。


(やっぱり怒られるかな?2週間も見せられなかったんだから…)


2人の、沈黙。


その沈黙が奈々子には何の重さもない曇りの日の雲のように感じられた。


すると、2人が、2人して封筒を手で持つと、ペシッと奈々子の頭を叩いた。

「裏の宛名、誰宛か、見てないの?」

と楓が少し不機嫌そうに、

「広瀬って、マジバカなの?」

准は、その勉強と言うのがコンプレックスだという事を見抜いたかのように、言葉を吐き捨てた。


「宛名…?バカ…?」


「良いから、私たちの居ないところで読みなさい」


楓がそう言ってクラスの中に入っていくと、准も後を追うように、クラスに入って行った。


「上原、あんたも、もう良いよ」

「何が?」

「泣いても」

「…泣かねーし」

「泣け!って言ってんの!!バーカ!!」

そう言うと、楓はまた、准の背中をパン!ときつく叩いた。

「い…っ!!!それやめろ!!!マジ痛てぇ!!」

「痛かったら、泣いたら?」

「…内田、先行ってくれ。俺は少し遠回りして帰る」

「よし!」

「…」

そのには少しむかついたが、楓は暗い道を足早に帰って行ってくれて助かった。

もう爆発前5・4・3・2・1・…、

「くッ…うぅぅあぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

涙が、止まらない止まらない止まらない…。

「美麗…美麗…美麗!!なんでだよ!なんで美麗なんだよ!なんで、14歳で死ななきゃいけないんだよ!!あいつ、なんも悪い事してないのに…なんで、どっか連れてくんだよ!なんでだよ!!」

准はもう涙鼻水だらけの顔で、四つん這いになって、拳を地面にたたきつけ、美麗が死んでしまった事を受け止められない…そう叫び、泣いた。


すると、背中がいきなり温かくなった。


「?」


それは、ふわっっとした、とても柔らかい感覚だった。


中学生のセリフとは思えないが、


「私は、貴方を愛してる」


そう、奈々子はさっき読んだ美麗からの手紙を想い出しながら、まだ、もちもちの肌を、准の背中を押し付け、そう言った。


「んな…簡単に忘れ…られる…はず、ないだろ…」

「忘れる必要はないよ、だって、私も美麗ちゃんの友達なんだから。上原君がどんな気持ちか、少し…ううん。私の病気のせいもあるから、上原君より、上原君の気持ちが解るかも知れない」


「……」


准の背中に伝わる温もりを、振り返り、うんときつく、抱き締めた。


「上原く…」

「准で良い」

「准君」

「君もいい」

「准?私、指名されたの」

「指名?」

「美麗ちゃんが天国へ逝ったら、准の未来カノになってあげてって。だから、一緒に未来を生きよう?」

「…う…ん…」


そう言うと、准はまた奈々子をうんとうんとキツク抱き締めた。




【奈々子ちゃん、読んでくれていますか?美麗です。

これを読んでくれてるってことは、私が死んだ…って事だね。

私、結構体、強かったんだけどな…なんで…だろうな?神様に怒られるようなこと、別にしたつもりないのに…。って、病気になった人や、大怪我したりした人たちはみんなそう思うよね?

私もその1人です。でも、神様は、素敵な贈り物をくれました。

『広瀬奈々子』と言う友達です。初めて会った日から、この子とは友達になれる。

そう、直感しました。でも、私は、奈々子ちゃんに、最低な態度をとり続けました。

それでも、1500円の花束を持ってきてくれて…。でも、それ枯らしたくなくて、押し花づくりに簿投しました。プレゼントするまで、生きて居られて良かった。

奈々子ちゃん、本当にありがとう…。


でも、准のイマカノは近藤美麗です。でも、美麗はもう死にました。准は本当は友達と男、女、の区別なく仲良くて…人気者でした。それを美麗は奪いました。独り占め…しちゃいました。酷いよね?でも、こんな私なんかの為に、准はきっと悲しみます。そんな時、准の涙を止めてあげてください。包んであげてください。ずっと…ずっと…それこそ…死ぬまで…。では、准のイマカノから、准の未来カノへ】





「未来カノ……美麗ちゃん、未来カノは、私で良いの?」


奈々子は、呟き、疑問で返したけれど、帰ってくるはずもない返事を待つより、もう美麗を信じて、准をとことん愛していこうと決めた。



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