第3話 奈々子と楓

退院して、小学校に行く、車の中で、左の人差し指に脈拍数が、ピ…ピ…ピ…と機械と流れる。

「奈々子ちゃん、苦しくない?」

室川が気遣う。

それを聞いて、具合悪いのか、良いのか、解らない間が出来た。

「奈々子ちゃん?具…」

「へーき」

窓の外を流れるいつもと同じ景色が、車に乗っていると、こんなに変わるのか…、と奈々子は、裏腹な気持ちを抱いた。

「車なんて乗りたくない!楓ちゃんと行く!」

そう駄々をこねて、最後の最後まで、車を嫌がった奈々子。

しかし、それを止める事しか出来ない両親。

優しくなだめる室川。

泣きながらも、ようやく車に乗ってくれた奈々子に、どんなことを話しても、室川の方を向かない、奈々子。

と思いきや、車が走り出すと、今まで歩いてた道がパレードのように過ぎて行く。(わー…速い…すごい………!)

「せんせ!あのお店のメロンパン!おいしいんだよ!あ…」

つい、いつも通り明るく、いつも通りの笑顔で、室川に、パン屋さんを紹介してしまった。

「先生も、あのお店のクロワッサンが大好きだよ」

「え!?せんせ知ってるの?」

一瞬見せた後悔は、もう流れていつもの奈々子に戻っていた。


(ふー…)

室川は心の中で少し安心した。

学校に着くと、

「静にね」

室川に促され、

「うん」

そう言うと、下駄箱に、室川が付き添って、向かった。


先ほど楓のいじめに触れたが、入院することが決まったその夜。奈々子は、楓に電話した。


「あ、楓ちゃん?奈々子だけど…」

「あ…びょーいん?」

「あと3日くらい学校行けないから、楓ちゃんを守れないの。だから、楓ちゃんも、学校休むとか、私のお見舞いに来てくれたら嬉しいな」

「うん!じゃあ、奈々子ちゃんのお見舞いに行くね。いっぱいお話しよ!」

「うん!ありがとう!」


―3日後―



「あー!奈々子ちゃん!」

そう言うと楓が、走り寄って来た。

「あ!楓ちゃ…!」

そう言って走って近づこうとしたその瞬間、室川が奈々子の右手を掴んだ。

「なっ…!あ…」

(…そっか…)

心の中で奈々子は愕然とした。そう。もう自分は走れない。どんな…運動も、もう、出来ない。

そのことを、3日間見舞いに病院へきてくれた、楓に、心臓が悪くなったと言えなかった。

だって、入院した理由を誰にも言われたくなかった。だから楓にも、話していなかった。

「え?どうしたの?奈々子ちゃん。ま、いっか!一緒に縄跳びしようよ!!」

「ごめん。ごめんね、楓ちゃん。お見舞いに来てくれてた時には、もう病気になってたの。…奈々…もう運動しちゃいけないの…」

「え?なんで?奈々子ちゃんが悪くなった体だもん、楓もそうやって悪くしてもらう!」

「ありがとう…楓ちゃん…でも、楓ちゃんは元気でいて?奈々もその方が嬉しいよ」

楓はとても不可解だ、と言った顔をした。

「…奈々…心臓がびょうきになっちゃったの。運動すると…死んじゃうの」

思わず泣きながら、震えながら、下を向いたまま、楓に伝えるつもりが、やっぱり、どうしてこんな運命を、誰が、自分に、与えたのか…。を、考えてしまう。


「え?みんな!奈々子ちゃんが…奈々子ちゃんが…!」

楓は、思わず取り乱した。なぜ運動をしてはいけないのか、それによって奈々子の心臓がどうなるのか、詳しいことは解らなかったが、奈々子が涙を見せたから、つい、これは何か悲しいことだ、と想像し…、想像すると言うより、直感で奈々子の身を案じたのだと思う。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!嫌だよー!奈々ちゃんと遊びたいよー!」

「なんでぇ!?奈々ちゃぁん…ううう」


その友達の泣く顔を見て、奈々子は、ものすごく後悔した。そして、もうプリプリしないで、パパとママ、そして、お医者さんのいう事をしっかり聞こう。と初めて治療を嫌がらず、怖がらず、みんなの力をもらって、歩いて行くと決めた事。5年、10年と生きる為に、我慢しよう。パパとママのいう事を聞いて、先生のいう事も聞いて、寿が少しでも長くなるように頑張ろう!と、思わせてくれる、友達の1番は楓の温かさを身に染みて感じた。






―4年後―


奈々子は6年生になった。時々胸が苦しくなるが、不幸中の幸いか、不整脈は診られない。


『ピッ!6番アウト!外野に出てください!』


体育の時間、奈々子のクラスはドッジボールをしていた。恐らく、奈々子はスポーツの中で、ドッジボールが1番好きだった。


『ピッ!外野アウト!ボール拾ってきてください!』

その先生の笛が、何だか懐かしくて、泣きそうになったけれど、なんとか、堪えた。

そこに、外野のボールが奈々子の所に転がってきた。

とん…とボールを手にした。

「あ、奈々!ごめん!こっち転がして!」

と茉由と言う友達が言った。

「はいよー」

コロン…と右手で返した。

「サンキュー」

その次の瞬間、奈々子は、ハッとした。ボールを…運動しちゃいけないのに、ボールを触ってしまった!

「ど…どうしよう?先生!あたし、ボール触っちゃった!!ねぇ!!先生!!」

奈々子は、暴れふためいた。顔色もどんどん悪くなっている。その奈々子の怖がり方に、クラス中、驚きで溢れた。

「奈々子ちゃん!大丈夫!ね?せんせ!」

楓は、体育もいつも奈々子と一緒だった。奈々子が保健室で休むと言えば、ついていき、奈々子が見学だと言えば、楓も見学だ。まだいじめの対象になりそうな楓を、先生同士でも軽くとらえる事は危険と判断し、許される範囲で楓と奈々子は同時に現れ、同時にいなくなった。

しかし、いつもの奈々子は、明るくて、みんなを笑顔にするのが得意で、辛い時、奈々子に相談すると、余りの大人びた説得で正解を答えてくれた。


「大丈夫、大丈夫だから、広瀬さん。そんなに怖がったら、本当に発作が起きてしまう。落ち着くんだ。ちょっと転がしただけでしょ?心臓に異変は?」

「あ…ありません…良かった…死ぬかと…思った…」

「奈々子ちゃん、大丈夫?」

「あ、楓ちゃん!ごめんね、ちょっとびっくりしただけ。ごめんね」

「謝らないでよ。奈々子ちゃんは何にも悪い事してないよ?それより、ドクドク言ってる?」

「…す…少しだけ…でももうやだ…体育は…もう嫌…」

体育の時間が恐怖感で溢れたその日、奈々子は、もう体育は見学ではなく、欠席する、と担任に告げた。



=====================================



―奈々子中学入学式前日―



『名前は、広瀬奈々子です。先生からも先にご説明があった通り、私は運動が一切できません。皆さんと、たくさん体育の時間を過ごしたいのは山々ですが、私はその時間を共有できません。他にも、歌や、ピアノの演奏、など、出来ない事が多すぎて、すみません。ですが、少しでも明るく、元気でいたいので、皆さんと話すだけでも、楽しい中学生時代を過ごしていきたいと思っています。よろしくお願いします』


「どう!!??」

奈々子は、うまく自己紹介出来るか、悩んで悩んで原稿を何度も消しては書いて、消しては書いて…を繰り返し、先ほどの作品に到達した次第だ。

「ねぇ、ママはどう?」

「とーっても良いじゃない!上手上手!!」

「パパは!?」

「さすがパパとママの子だな。頭がよろしい!」

「あはは!でも、これで明日、ちゃんと病気に向き合ってくれる友達、作らなきゃね。三年も一緒に過ごす友達だもんね!」

「あら、クラス替えは無いの?」

「うん。ないみたい」

「じゃあ、益々頑張らなきゃね。でも病気の事、絶対、頭の1番大事な引き出しにしまって、学校行ったらすぐさまONにすること、良いわね!あ、後、室川先生にもまだまだお世話になるんだから、車が着いたらよーくお願いするのよ?もちろん、運転手さんにもね!」

「はい!」


そこに、♩🎶♬スマホのコール音がした。

画面を見ると、

「あ、楓だ。何だろう?もしもし?楓?」

「ヤッホー!あたしらもとうとう中学生だね!」

「うん!ね!」

「あたしね、奈々子が病気の事で不安になったり、みんなの前で笑うのがしんどくなったり…きっとあるかも…って思って、先生に無理矢理、奈々子のクラスに入れてもらえることになったから!!」

「嘘ー!!本当に?良かったぁ。楓が傍にいてくれたら、どんなに安心するか…」

「でしょうね。私はあなたの親友ですから!」

「頼りにしてるよー親友よ!」

「「あははは!!!!」」



それは、本当に嬉しいサプライズだった。楓は、小学校の時から気が合って、奈々子が退院後初めて姿を見せたあの日、1番先に奈々子の事を見つけ、手を振りながら近づいてきてくれた、本当の奈々子の親友。そう、あの日泣きそうになった奈々子を、1番、最初にもらい泣きして、その泣き声で友達が集まって、びっくりした事に、知らない子までもが泣いてくれた。



そんな楓が居れば、きっと大丈夫。



電話が終わると、

「ほら、ご飯よ。もうご飯の前にあんなに長い電話はご遠慮ください?」

「あ、ごめんごめん。うわー、おいしそう!これってパエリア?」

「そうよ。ちょっと頑張ってみた!」


“えっへん”みたいに腰に手を当てて喜ぶから、つい、我慢できなくなった奈々子は、


「ふふふ!ママ可愛い~」

「こらこら、大人の女性を茶化さないの!」

そう言いながら、京香も思わずほっぺがなんだか赤い。

「はいはい。いっただっきまーす!んー!おいしい!!ママ天才!」

「大袈裟よ、何だか恥ずかしいわ」

「「あははは」」

奈々子と一緒に大笑いをしたのは、慎一だ。

「おう!天才天才!!」

「ちょっパパまで何言ってるの!!」

「「ママ、可愛い~…って言ったんだよ」」

「もう2人の分はありません!ママが1人で全部食べます!!」

「「えー!!ごめんなさーい!!食べさせてよー」」



前日は、明るく、いつもの奈々子。

けれど、明日から、本当に大丈夫なのか…楓がいてくれるけど、ちゃんとなじめるか…。みんな奈々子に遠慮して笑い合う友達が少なくなっちゃうかも知れない。



その夜は、不安と楽しみが、8;2で、不安が勝ってしまい、中々眠れなかった。





次の日の朝、

「う~ん…」

と、そう気怠くうめき声を出したのは、奈々子だった。

「はぁ…あんまし眠れんかった…」

全く持ってちんぷんかんな声を出していかにも睡眠不足…と言った感じのうめき声だった。

「奈々子ー起きたー?朝ごはんよー?」

京香の声がキッチンから聞こえて来た。

「はーい、ママ!今起きたぁ!」

「じゃあ、顔洗ってすぐ朝食食べなさい」

「は―…い…」

最初のはいつもの奈々子だったが、までのブレスが明らかに薄い。

ガタンッ!!

慎一と京香は、急いでテーブルを立ち、2階の奈々子の部屋に飛び込んだ。

「「奈々子!?」」

「…スー…」

2人は、部屋の入り口でへたり込んんだ。

「なんだ…2度寝したのか…」

「もう…心配かけるんだから…」

まだドキドキで息は上がり、鼓動も大きくなった。

「ん…あ、おはよ…2人ともどうしたの?」

奈々子はまだ寝ぼけている。怒りたいところだが、奈々子に悪気はない。仕方のないことだ。

「ほら、ご飯。食べちゃいなさい」

「はいはい」



そんな朝に、奈々子を車に乗せ、ずっと診てくださっている、室川に

深々と頭を下げ、奈々子を送り出した。


「はぁ…もう、こっちの心臓が止まるかと思ったわ…」

「本当にな…5年間は9割から8割の死亡率だが、10年後は解らない…」



その慎一の顔は厳しく、京香は不安な顔で、祈った。慎一と京香は、恐怖に著しく近い感情で、車の中から、窓を少し開け、

「行ってきまーす!」

と手を振りながら、奈々子は奈々子の中学生活の初日を歩み出した。



=====================================




車が学校に到着すると、そっと車から、室川と一緒に奈々子が少しゆっくり下りた。

「あ、奈々子!おはよう!もうクラス表出てるよ!ってまぁ、あたしたちは一緒なのは変わらないけどね(笑)」

「うん!もうありがとう、楓!愛してるぅ!」

小学校では、体育の見学まで出来なくなってしまった奈々子は、何とか、みんなと、クラスのみんなと、昨日自己ピーアールをどれだけちゃんと伝えて、友達がたくさんできれば良いな、と思っていた。

何故、そんな事を思ったか…、それは、小学校で体育の時間、見学としてもいられなくなった奈々子は、6年生から、クラスで浮くようになってしまったのだ。それだけじゃない。明るい顔が、もう嘘みたいに出来なくなった。それに気付いてしまった奈々子は、給食も食べず、先生と、母親にお弁当を持って一人で食べたい、と伝えた。


体育館の回廊のそこらへんに座って、『もう、誰も私の事を見ないで。あなたたちが思うように、私は変わってしまった…。もう…笑えないの…怖いの…ひたすら怖いの…。死ぬのが…怖いの!』と、箸を震わせ、毎日泣いて、人差し指の機械音が爆発のカウントダウンみたいにさえ聞こえてくるのだ。


もう…、明日、死ぬんじゃないか…、そんな重圧は半端ない。だって、小6だ。本当はみんなの笑顔の中に混ざりたい。しかし、いつ自分の病気の事を忘れて、はしゃいでしまったら…すべてが終わる。




「私…死んだ方が…楽かな…?」



こんな病気が、ポロッと泣きながら小学生の幼い心を傷だらけにする。そんな言葉を言わせる。



お弁当を食べるのを止め、奈々子はポロポロと涙を流した。



「奈々子…!」



名前を呼ばれて、顔を上げると、

コロコロとバスケットボールが転がってきた。


「…!」


奈々子は思わず目を閉じ、身を縮めた。


楓は、ポン…と頭にバスケットボールをのっけた。

「ほら、死なないでしょ?苦しくないでしょう?大丈夫だよ。あたしたち、何年一緒に居ると思ってるの?奈々子が苦しそうなときは、あたしが守るよ?」

「…楓…」

「そんなビクビクしてたら、病気の思うつぼだよ?笑って吹き飛ばしてやんなよ!そう言うのもありじゃない?」

「出来ないよ…楓は…いくら優しくても…ダメだよ…私の同じにはなれないでしょ?こんなお荷物の友達してても、なんにも良い事ないよ」

「友達ってお荷物なの?ついさっきまで遊んでた友達が病気になったらお荷物になっちゃうの?」

「だって…そう…でしょ?」

「バカだな…バカだよ…そんな事であたしが離れていくとでも思ったの?」

「…だって…」

「あたしは、奈々子の事だけは、失いたくない、本当に大切な友達でいたいの。泣きたくなったら、一緒に泣くし、怖い時は抱き締めるから、これからも、一生の友達だよ。絶対、あたし、奈々子を1人にはしないから!」

そう言うと、楓は、奈々子を抱きしめた。


「「……」」


気が付くと、奈々子だけでなく、楓も泣いていた。

その涙に、思わず…、

「わ…私…死…に…たくない…怖い…怖いよ、楓…」

「奈々子…あたしも…奈々子を死なせたくない…」



その姿を、室川が静かに見守っていた。

「そうだよ…生きるんだ!」

と、呟いた。

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