第18話 腐り落ちた蕾
恭仁は2年に進級し、利義と香織との3人暮らしとなった。香織は己の子供が手を離れ、再び荒れ始める。家に帰らぬ日もしばしば見られ、利義が叱ると香織は凄惨な癇癪を起こして抗弁した。家庭は恭仁の目にも、末期症状を示していた。2人は顔を合わせる度に口論し、恭仁は心を無にして耐え凌ぐことだけを考えた。
学校では射撃部に1年生が入り、恭仁も先輩となる。新入生はライフルだけでなくピストルにも加わった。それも女子生徒だった。3年生の地頭園は、後輩の女生徒を可愛がって先輩風を吹かせ、手取り足取り教えたがった。一方の恭仁は、女性に対し苦手意識が芽生えてしまっており、率先して後輩に当たる地頭園には寧ろ感謝した。それでも地頭園は、3段で足踏みを続ける焦りもあってか、後輩の前で恭仁を殊更に叱責したり、自分の腕前を鼻にかけたりと、態度の悪さが目に付いた。
「何か地頭園先輩、最近は倉山クンに対して当たり強くない?」
帰り道。伊集院が眉を顰めて言うと、恭仁は無関心な表情で頭を振った。
「倉山クン、顔色悪いよ。ちゃんと眠れてる? 大丈夫?」
伊集院の伸ばした手に、恭仁が反射的に恐怖を覚え、身を捩って避ける。
「ゴメン。大丈夫、大丈夫だから」
恭仁の反応に伊集院はショックを受けて俯き、胸の前で拳を握った。
「あ、あのさ。倉山クン、あのね。ちょっといいかな」
伊集院が決然と顔を上げると、恭仁の手を引いて路地に引き込む。衆目から離れて恭仁は伊集院と一対一で向き合った。彼の胸に嫌な緊張が走った。
「ずっと前から言おうと思ってた。私たち、私って、倉山クン、えっとね」
身体の血が逆流するような、違和感と恐れが総身を満たす。恭仁は恐怖で狼狽えて逃げ出したくなり、そのくせ両足は凍りついて、身動きが取れなかった。
「あのね、倉山クン。貴方が好きなの。私と、私と付き……付き合って……」
そこから先は言葉にならなかった。涙を滲ませて言葉を詰まらせる伊集院に対面し恭仁は喉の奥で言葉を吃らせる。それは喜びからではなかった。
「あ、えっと……ゴメン、伊集院さん」
伊集院は、想像していた反応と違うと言いたげに、驚いて双眸を見開いた。
「好きって言ってくれてありがとう。でも訳は言えないけど、駄目なんだ」
「何で? 他に好きな子がいるならハッキリ言ってよ。後輩のあの子?」
「そうじゃない、違うんだよ。他の誰かとか、そう言うんじゃなくて」
「断られるのは構わない。でも理由を聞かせてくれなきゃ、私は諦めない」
伊集院は気丈に涙を拭くと、決然とした顔で距離を詰めた。恭仁は追い詰められて身を震わせ、恐怖に顔を強張らせると、歯を食いしばって涙を滲ませた。
「僕も伊集院さんが好きだった。僕だって好きになりたかった。伊集院さんと一緒に話してたら楽しいなって、思ってた。思ってたんだ。でも僕は……ゴメン」
「ゴメンじゃないよ、どういう意味なの!? 何が言いたいワケ!? 付き合うのは嫌って言ったり好って言ったり、倉山クンが何言ってるのかサッパリ分からない!」
伊集院は痺れを切らしてもう一歩近づき、語気を荒げ問い質すも、恭仁はビクリと震えて両目を閉ざし、記憶のフラッシュバックに涙を伝わせた。
「怖いんだ、怖いんだよ。僕は、女の子が怖い。どうしてこうなったなんて理由は、誰にも、伊集院さんにも言えない。許して、許してください……」
恭仁の振る舞いを、伊集院は理解できない顔で唖然と見た。恭仁の言葉は伊集院の想像の埒外ではあったが、嘘を言っていないことだけは確かだった。
「わ、私が女だから? 男の子が好き、ってことなの?」
「違うよ! 男と付き合いたいワケじゃない。だけど女の子を目の前にすると身体が強張っるんだ。話そうとしても上手く行かなくて、息が詰まるんだ」
「要するに私が嫌いになったってこと?」
混乱して問い詰める伊集院に、恭仁は情けなく震えながら頭を振る。
「そうじゃないんだ。キミが好きとか嫌いとか、そういう次元の話じゃないんだ」
伊集院は恭仁の煮え切らない態度を見て頭に血が上り、平手で彼を叩いた。
「バカッ! 嫌いなら嫌いって、はっきり言えばいいのに! 最低!」
伊集院は訳も分からずボロボロと涙をこぼし、恭仁をどやして駆け去った。
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