危険な男

瀬川

危険な男





 ああ、この人は危険だ。

 顔を見た瞬間、俺はすぐにそう思った。




 人付き合いを避けているのは、学生時代に嫌な思い出があるからだ。

 それでも働かなければ生活出来ないので、極力人と関わらないように在宅ワークをしている。

 基本的にはやりとりはメールで行われ、どうしてもという時だけ電話だ。電話も嫌いだけど、顔を突き合わせて仕事をするよりはマシだと、自分に言い聞かせている。


 給料には波があるが、なんとか生活は出来ているので、このまま死ぬまで人と最低限しか関わらずに生きていくのだと考えていた。






「担当が挨拶に来るって……なんでですか?」


 そのはずだったのに、ただいまピンチを迎えている。

 今まで担当が変わることは何度かあった。直接会って話がしたいと言われたこともあったけど、全て断っていたのだが。


「いつもみたいに断るのは」


『それが無理なんだ。実はその新しい担当というのが……ちょっとお偉いさんの息子でね』


「断ったら心象が悪いんですね。でもどうして、そんな人が俺の担当なんかに」


『君の作品が好きだからって言っていて、強い希望で決まったんだ』


「……そうですか。分かりました」


 本当は嫌だったけど、仕事に影響が出る方が困るので受け入れるしかなかった。

 この仕事以外に、自分が出来るものなんてない。


『助かるよ。それで都合のいい日は……』


 現実逃避をしながらも、きちんとやりとりはする自分のみみっちさが嫌になる。






 そうして新しい担当に、今日初めて会うことになったのだが。

 緊張しながら待っていた俺をあざ笑うかのように、約束の時間になっても現れなかった。

 家だから時間を潰すことは出来るが、リラックスはしていられない。

 時計を見ながら、どんどん苛立ちが募ってくる。


 電話して確認をとった方がいいか、それとも約束の時間が間違っていたのだろうか。

 もし間違っていたとしたら、電話をした俺の方が悪くなってしまう。それは避けたい。



 色々とぐるぐる考えてパンクしそうになった頃、ようやくインターホンが鳴った。

 他に誰かが来る用事もない。

 だからモニターで応答することなく、玄関の扉を直接開けた。


「……こんにちは。お待ちしていまし」


「遅れて申し訳ありません」


 出迎えの言葉は、途中で止まる。

 相手の顔を見て、本能が警告してきたのだ。


 この人は危険だ。関わるべきじゃない。

 たまにこういうのを感じることはあり、その予感は当たる。


 本当なら扉を閉めたかったけど、それが出来るはずもない。


「どうぞ。中に入ってください」


 目をそらしながら、なんとか中に入ってもらうように促す。

 こうしている間にも、本能は警告しっぱなしだ。


 相手が中に入り、扉が閉まっていく。その動きがまるでスローモーションのようで……。

 扉が閉まり、そして鍵がかけられる。





 ……かけたのは俺じゃない。



「ちょっと」


「ようやく会えた」


 勝手な行動に文句を言おうとするのと、相手に抱きしめられたのは同時だった。


 どうして抱きしめられているんだ。しかも気の所為じゃなければ、首元に顔を埋められて擦り寄ってきている。


「ひっ」


 喉の奥から引きつった悲鳴が上がる。

 恐怖で体が全く動かない。


「あー、小さい可愛い。いい匂い。たまらないな。ここは天国か?」


 言葉の半分も理解出来ない。

 気持ち悪さに鳥肌が立つが、相手が離してくれるわけもなく。


「今日からよろしくな。公私共々」


 やっぱり危険だった。

 すぐに逃げるべきだった。


 誰だか知らない人の腕の中、後悔してもすでに手遅れで、俺はもう捕まってしまった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

危険な男 瀬川 @segawa08

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説

88歳になっても

★5 恋愛 完結済 1話