ぼわっ
緋雪
「ぼわっ」としたもの
小学校5年生の夏だった。
僕は人生初の徹夜を決行した。夏休みだったから、次の日寝てもいいやと思って、弟の
「弱っ。一晩中ゲームしような、って誘ったのお前じゃん。」
そう言いながら、弟にタオルケットをかけてやった。我ながら、いい兄貴だ。
僕は、一人モードにしてゲームを続けた。途中、すっげえ眠くなったけど、冷蔵庫からメロンソーダを出して、一口飲むと、少し目が覚めた。こっそり冷凍庫から、ちっちゃくて細長いアイスも取った。
メロンソーダとアイスを持って、テレビの前に戻り、アイスを食べた。溶けるとヤバいからね。そこからメロンソーダをちびちび飲みながら、ゲームを続けた。
「
朝の6時半頃、お母さんに見つかって、すっげえ叱られた。孝宏も叱られたけど、僕は、弟をちゃんとベッドで寝かさなかった罪と、アイスとメロンソーダを勝手に食べたり飲んだりした罪(僕んちは、子供が自由に飲んでいいのは麦茶と水だけだ)、それから、一晩中寝ないでゲームをした罪で、お母さんにはメチャクチャ叱られた。
だけど、僕は、そんなことよりも、人生初の「徹夜」に成功したことが嬉しかった。
僕の失敗は、その日の朝になって、水泳教室があったことを思い出したことだった。
「うわぁ…寝てないのに泳いだりして大丈夫なんだろうか…?」
そう思ったけど、実は、お母さんに、
「一晩中起きてたわけじゃないよ。途中で寝ちゃって、さっき起きたばっかりだよ!」
なんて大嘘ついてしまったもんだから、水泳教室を休むわけにいかなかったんだ。
心配してたみたいに、泳ぎながら寝て、プールで溺れるなんてことはなく、それでもヘロヘロになりながら、家に帰っていた。
途中の電信柱の影に、ボロボロの兵隊さんが立っていた。
「兵隊さんがいるなぁ」と思いながら、ボケーッと通り過ぎて、
「兵隊さん?!」
と振り返って二度見した時には、兵隊さんはいなかった。
兵隊さんは、社会科の授業の時に、教科書の中の写真を見たり、ドラマで観たりしただけだったから、僕の見間違えかもしれないな、と思いながら帰った。なにしろ、歩きながら眠れるくらい眠たかったから、寝ぼけて変なものが見えてもおかしくはないだろうと。
家に着くなり爆睡した。
変な夢を見た。
ガバッと飛び起きる。なんの夢だったのかは、さっぱり覚えてなかった。だだ、一言、
「見ただろう」
と誰かに言われたことだけ覚えていた。
汗びっしょりだった。
次の日から、どうも目がおかしくなっていた。時々、目の中が曇る感じがする。
「あら、結膜炎か何かになった?目医者さんに行ってきなさいよ。」
お母さんにそう言われて、目医者さんに行った。でも、先生は、特に異常はない、薬も出せないので少し様子を見てください、と言った。
僕の目の中に時々見える曇りは、やがて、「ぼわっ」とした塊にかわった。時々見えたけど、そんなに頻繁に出てくる物でもなかったので、なんとなくそのままにしておいてしまった。
ある日、「ぼわっ」がまた現れた。なんとなく人の形にも見える。「ぼわっ」は、なんとなくテクテク歩いている。僕は、そーっと後をつけた。
最初、「なんとなく」歩いているように見えたが、だんだん、ちゃんとどこかを目指しているように感じる。やがて、「ぼわっ」は、一軒の家の中に入っていってしまった。
「あそこが『ぼわっ』の家なのか?あいつに家あったのか…」
自分でもよくわからないけど、すごくモヤモヤした気持ちで家に帰った。
その2日後、お父さんが早めに会社から帰ってきた。なんでかな?と思っていると、真っ黒なスーツに真っ黒なネクタイを締めて、お母さんに何か言って、出かけて行ってしまった。お母さんは、玄関に塩の入った入れ物を置きながら、
「お父さんのね、部下のお父さんが急に亡くなったんですって。お父さん、そのお通夜に行ったの。」
「ふーん。そうなんだ。」
その時は気にも止めなかった。
「あっ!もう!!お父さんったら!!」
って、お母さんが慌てて僕に言う。
「悠人、あんた走ってお父さん追いかけて。これ忘れ物だから早く届けて。」
僕は、お父さんの数珠を受け取りながら、
「どこにだよ?」
って、お母さんに場所を聞いて、大急ぎで走って、お父さんを追いかけた。お母さんが、
「近所だから邪魔にならないようにって、お父さん、歩いて行ったの。」
と言っていたから、走れば追いつくだろう。
「コンビニの信号の次の道を左に曲がった3軒目の家、って…」
沢山の人が並んでいたからすぐわかった。お父さんを探す。
列の後ろの方に並んでいた。すぐにお父さんに数珠を渡す。
「あ、ああ…すまん。助かった。ありがとう。」
あれ?この家って…?
2日前に「ぼわっ」が帰って行った家じゃないか?
「ねえ、お父さん、この家、『ぼわっ』とした奴が住んでる家だよね?」
お父さんは変な顔をする。
「お父さんの部下とそのご両親が住んでただけだぞ?」
「え?じゃあ『ぼわっ』はどうしたの?」
「わけのわからないこと言ってないで、ほら、皆の邪魔になるからもう帰りなさい。」
僕の見間違えだったのかなあ、と思った。
暫く見えなかったので、「ぼわっ」のことは忘れてしまっていた。
ある日、公園近くの交差点で信号待ちをしていた時、そいつは突然現れた。斜め向こうの、僕とは反対向きの横断歩道の手前で、男の子と手を繋いでいた。そっち側の信号は、だいぶ前から点滅を始めていた。急に、「ぼわっ」が、男の子の手をぐいっと引っ張ると横断歩道目掛けて走り始めた。
「あっ!!危ない!!」
そう誰もが思った時には、もう遅かった。男の子は、向こうの方から猛スピードで左折して走り抜けようとした車に跳ね飛ばされ、宙を舞ってグシャッと落ちた。
すぐに救急車や警察が呼ばれ、男の子は運ばれて行った。
僕は、その子が亡くなったことを、その日の夕方のニュースで知った。
あいつだ。
あいつのせいだ。
僕は確信した。
それから、「ぼわっ」には凄く警戒してきたけれど、奴を見つけることはなかった。たとえ、見つけることができても、僕にはどうしていいのかわからない。でも、追いかけられていることを教えてあげることはできると思った。
友達がサッカーしてて骨節したので、病院にお見舞いに行った。3階の窓から、なんとなく中庭を見下ろしたその時、「ぼわっ」を発見した。キョロキョロしている。その周りにいたのは若い女の人だった。
僕は猛ダッシュで中庭へ走ると、そのお姉さんに隠れるように言った。一緒に伏せた。「ぼわっ」は、キョロキョロしながらどこかに行ってしまった。
「ど、どうして?」
「狙われてると思ったから。」
「あー。『モフモフ』に?」
「『モフモフ』?」
「見えたんでしょ?『モフモフ』。」
「『ぼわっ』としてる奴なら見えた。」
「あはは。一緒の奴だよ。あいつに名前なんかない。勝手につけただけ。」
「お姉さんも、あいつ見えるの?」
「うん。長く入院してるとね、見える人も多いみたい。」
「『ぼわっ』…ええと『モフモフ』は、お姉さんを狙ってたわけじゃなかったの?」
「あはは。『ぼわっ』でいいじゃん。可愛い、その方が。奴は死神なのかなあ。引っ張って行かれると死んじゃうからね。私を引っ張って行くつもりだったのかもね。助けてくれてありがとうね。」
お姉さんが病室に帰るというので、送って行った。
「あの…」
「何?」
「心配だから、時々お見舞いに来てもいい?」
お姉さんは笑いながら、
「勿論!歓迎するよ。」
と言った。
それから、僕は何度かお姉さんのお見舞いに行った。お姉さんは、ゆかりさんという名前だった。ゆかりさんは、僕の学校での話を聞きたがった。僕が持っていったお菓子を、
「ホントはダメなんだけど、内緒で食べるよ。」
って笑って貰ってくれたり、彼女が描いた絵を見せてくれたりしていた。
ある日、ゆかりさんに、減ってしまって使いづらくなったので、「
3日後、どうしても見つけられなかった僕は、ゆかりさんに謝りに行った。
ベッドは空っぽだった。
「あ、あの、ここにいた、ゆかりさんは…?」
近くにいた看護師さんに尋ねる。
「ああ…ゆかりちゃんはね…亡くなったの。」
「え…」
帰り道、僕は、涙が止まらなかった。
「ぼわっ」のせいだ!
だけど、きっと、ゆかりさんは知っていたんだ。「ぼわっ」が自分のところに来る日を。だから、僕に、「海色」なんていう難しい色の色鉛筆を探すように言って、僕を遠ざけたんだ。
涙が出て、涙が出て、止まらなかった。
「『ぼわっ』は、本当は連れて行きたくないのかもしれないなあ。」
前に、ゆかりさんがそう言っていたことを思い出した。
「『ぼわっ』はさ、きっと誰かに命令されて連れて行ってるんじゃないかと思うんだよね。」
「ゆかりさんは、『ぼわっ』の味方するの?」
「あはは。味方ってわけじゃないけどさ、真っ黒い影とかさ、なんかそれっぽい明らかに怖そうな死神じゃないじゃない?」
「そうだけど。」
「なんとなくさ、『ごめんね、ぼくもホントは連れて行きたいわけじゃないんだ』って辛い思いを振り切って、連れて行ってるのかも知れないなあ、って。」
「だから、あんな『モフモフ』で『ぼわっ』っていう、なんていうか、『癒やし系』な形なのかな。」
僕が言うと、
「そうかもね。」
ゆかりさんは静かに笑った。
ぼわっ 緋雪 @hiyuki0714
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