第63話 黄瀬川(3)
「ときに…このまえ石頭斎がここへ参ったときに、石頭斎に佩刀を見せてもらった」
盛時は、そう言いながら、別のことを言っている。
「はい」
「…眼福であった」
「はい」
「俺は、石頭斎から聞いている。お前の佩刀は、もしや…」
これまで聞いて、義直は盛時の言いたいことを察し、にこと笑みを浮かべた。
「――お好きと伺っております…ご覧になりますか」
「うむ。嬉しいことだ」
盛時は、破顔した。
こうして、こんどは義直の太刀を、その場にいる皆で見ることとなった。
本来、こんな宝は滅多にお目にかかるものではない。義直だって、これは家宝だから戦では使わない。今日が特別だから、これを佩いてきたのだろう。
おじさんたちが目を輝かせて、興味津々、一振りの太刀を見つめている。
「銘は――」
「有成(※1)と伝わっております」
義直の言葉に、盛時は、
「うむう。どうりで…」
と唸った。
――なんと剛胆で、美しい姿だ…見ろ、あの
「見ていると、犯しがたい
誰かが、正直にそう感想をもらした。
その言葉に、忘我の境地から立ち返って盛時が周りを見回すと、彼の家臣のどいつもこいつも目を輝かせて、食い入るように有成の作品に見入っている。
なんだか、盛時は笑ってしまった。
「ご自身で、手に持ってご覧になりますか」
気を利かせた義直の言葉に、盛時は首を横に振った。
「いや。石頭斎にも言うたが、元の持ち主が誰かを思うと、おそれ多い…これはな、お前さん一族の大切な宝刀だろう。俺ごときが、触れてよいものではない」
「…」
刀の元の持ち主へ盛時が向けた、思ってもみないほどの敬意に、義直は目を瞠ったことであった。
「この持ち主は、己が末裔のために俺の夢枕にまで立たれたお方だぞ。お前たちを思う心は強かろう。それは、『お前たちに幸多かれ』という、祈りだ。お前たちにとって、百人力の力だ。そしてな、…その思いを踏みにじって、この刀に手を伸ばす奴にとっては、その祈りは恐ろしい呪いとなろうよ。
そんなことを、盛時は言った。この刀に魅入られた誰かが、義直からこれを取り上げようという思いを抱くといけない。盛時は皆に聞かせるように、あえて声に出してそう告げたのだ。
こうした心づかいのすべてを、年若い義直が理解できたわけではなかった。しかし、『こんなに優しい心根の方になら、こちらから尋ねても無下にはされまい』と思って、
「恐れながら…お尋ねしたき儀がございます」
思いつめた面持ちで、主に問うた。
彼には、どうしても盛時に尋ねておきたいことがあったのである。
「申してみよ」
「殿の夢枕に立った我が先祖は、どのようなお姿でしたか。どのような声でありましたか…」
盛時は宙を見つめ、
「その御方は、精悍な顔立ちをしておられた。眉秀で、きりりとした目元をなさっていたな。強い意志を宿したその眼は、理知的で澄んでいた。邪心を抱いてあの御方に近づこうとした奴は、さぞかしびくびくしただろう。暗殺者なんて、むこうで何もかも見透かされていると思い込んで、匕首をしまって逃げ出しただろうな」
己が言葉に、盛時は笑った。
「…」
「お前は、ご先祖に会いたいのか」
「はい。その御仁に、某は会いたい、見たいと思うております。しかし、その望みは未だに叶っておらぬのです」
「会ってどうする」
「励ましの言葉をかけてもらえたら、どんなに嬉しいかわかりませぬ。その言葉が、我が生涯の宝となりましょう」
好ましいものを見る眼差しで、盛時は若者を見た。そして、
「俺は、お前の先祖の考え方を知らぬ。しかし、俺も人の親だからこそわかるものがある…あの御仁は、お前のところへ、顔を見せまいよ」
そう静かに、あたたかな声で言いきった。
「そうですか…」
「もし、俺の息子が誰かの世話になることがあれば、俺はそれができるならば、きっと息子に隠れて『うちの息子をよろしく』と頭を下げることだろう…俺は子供の頃、俺の父親が俺のために誰かに頭を下げる姿なんぞ、見たくはなかったな。親に情があるように、子にだって情はある。『俺のために、父は下げたくもない頭を下げている』と、やりきれなくなるのだ。俺は、息子にそんな思いをさせたくはない」
「…」
「隠れて言えぬなら、俺だって子の前で『うちの息子をよろしく』とふつうに言うさ。それはそれで、『子のためになるだろう』と親は思うのだ。それが出来る時があったか、なかったかの差だけだ。すべて、子供のためだ。かける愛情は同じ…わかるな? 親は、子が可愛いものだ。我が子でさえ、こんなに親の心を動かすのだ。
「…」
義直は、顔を俯かせて口をひきむすんだ。
「そしてな。歯を食いしばって世間に立ち向かおうとする子に、『もっとがんばれよ』などと声をかけるようなことを、俺ならばしないぞ。これから世間に鞭打たれるであろう子に、そんなかわいそうな真似がどうしてできようか。己が家を再興させようとする健気な子に、『もっと頑張れ』などと、さらになにかを負わせるようなことなんぞ、言うか」
「…」
「そうした場合…親はな、ただ子を見守って、ともに苦しむのだよ。こっちが苦しんだからといって、子の苦しみが軽くなるわけもないのにな。己で言っていて馬鹿らしいが、俺ならば、そうする。歩み始めたばかりの我が子が転んだときのように、我が子が立ち上がるのを信じて、待つ」
「…」
「お前さんは、あの戦の神に、信じて、待たれているのだ――俺は、そう思う」
「…」
義直の引き結ばれた口元が歪み、その眼に涙が浮かんでいた。それをあたたかく見つめ、
「俺の家が何代か続いたとして、…俺の子孫が怠け者であったり、ろくでなしであったら、俺はそやつの夢枕に立ち、それこそ枕を蹴とばして、『しっかりせい』と怒鳴りつけて叱咤をすることだろう。しかし、懸命に生きている子孫に、そんな真似はするものか。どんな結果になっても、『偉いぞ。ようやった』としか、俺は言わぬだろう。誉めこそすれ…それ以外のことを、するものか。わかるな。お前のご先祖様はな、『偉いぞ、よう懸命に生きておるな』とお前を見守っておられるのだろう。だから、親や先祖から貰った命を、懸命に生きてやれ。俺は、お前の生きざまを見たくなった」
盛時は、こんな言い方で『死ぬな』という言葉を若者に告げた。
「ご先祖に会いたかったら、自分の顔を見ることだ。さすがは血というものか。お前はあの御仁に、どこか似ているぞ…目元が似ている」
この盛時の言葉に、義直はこんどは抑えきれぬ喜色を浮かべて、
「はいっ」
と、答えたことだった。
「お前の先祖がことは、軽々に語るまい。しかし、良い機会だから、お前に俺の思っていることを言いたい」
「はい」
「お前のご先祖が、なぜあのようなご最期を遂げられたか――俺は、幼少のころから不思議に思っていた。考えてもみよ。お前を前にしてなんだが、あれほどの知勇に優れたお方が、なぜ、あんな亡くなり方をせねばならなかったかを、俺は知りたかった。そうして歴史を学んでいくうちに…ようやく、一つの結論に達した。お前さんのご先祖をあんな目にあわせたのは、誰というものではない。一人の人間の力なれば、お前さんのご先祖に勝る者は、あの時代にいなかったろう」
その英雄の子孫に向かって、こう言いながら――彼は、当のその人へ、手向けの言葉をかけている心地がした。
彼方の岸(※2)にいるあの御仁は、いまもこの若者を、見守っているであろう。
「あの御方には、天の時がなかったのだ。天の時、それは天の意志だ。人ひとりの才覚で動かせるものではない。人の偉大さというものはな、持てる全ての才覚で、天の時にさえ
盛時は、こうも告げたことであった。
(※1) 刀工。三条宗近であるともされる。
(※2) 彼岸。
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