第58話 出立(43)

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※今回の話は、「カクヨム様の規定には、絶対にひっかからないだろう」という程度の性描写がございます。たいへんとしており、「これを性描写と言っていいのかな」とさえ筆者が悩む程度ですが、性をモチーフにしていることには、変わりありません。

 15歳近くの読者の方々を意識して、念のため、ここに注意をさせていただきます。

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 世の中には、

 『親しき仲にも礼儀あり』

 という言葉がある。

 井澤石頭斎も、伯言和尚も、 

 「うん。その通りだ」

 「いい言葉だなあ」

 そう思っていたので、

 「とつぜん皆で、川向うの忍びのところへ押しかけるのは、してはいけないことだよな」

 と、いうことになった。

 「俺先が先に行って、太郎と次郎に、一声かけてくるよ」

 伯言和尚は、さきに彼等に知らせに行った。太郎と次郎というのが、二人の忍びの名前であった。

 この時は、

 「親しい奴にも、こうやって気をつかって…俺って、やっぱり冴えてるな」

 そう思っていた、和尚であった。


 「おおい、生きてるかー」

 親しき仲の人たちの家である。和尚は、、がらりと戸を開けた。

 そして、中を眺め…愕然と、

 「あっ、ごめん…」

 そんなことを口走り、後ずさりした。

 薄暗い家のなかには、次郎がいた。二十歳をすぎたばかりの若者である。そして、次郎の下には、若い女の裸体があった。

 なにをしていたか…それは、一目瞭然である。

 中の二人と和尚は、ばっちりと目があっていた。地獄の瞬間であった。

 「…ごめん…」

 口の中で、再度そう言い、…静かに戸を閉め、和尚は表で目をぱちぱちさせた。

 暗がりのなかに白く浮き上がる女子おなごの裸体が、網膜に焼きついていた。

 ――ううむ。どうしたらいい。どうしたら…

 義直や、石頭斎はこちらに向かっている。

 その後から、井澤の他の家族もやって来るだろう。

 そのことを言わんと、いかん。

 なんとかしないと、いかん。

 しかし、中でああいうことをしている。

 いかんとも、しがたい。

 これは、如何いかん

 遺憾いかんなことであった。

 和尚が困ってうんうん唸っていると、すぐに、いさかいの声が起こり、…激しい物音と共に、『着物をとりあえず引っかけて、前を合わせて、紐でしばった』というようないでたちのが、戸をがらりと開けて飛び出していった。

 放たれた矢のような、早さであった。

 次に、家の中から、次郎が遅れて飛び出してきて、

 「あああっ、待ってぇ‼」

 去っていく女の背中に、そう叫んだ。

 和尚も慌てて、次郎と並んで、

 「あああっ、待ってぇ‼」

 と、女に向かって叫んだことであった。 

 次郎の叫びは、絶望感から来ていた。

 和尚の叫びは、罪悪感から来ていた。

 しかし、逃げてゆく女の背中は、待つことなんぞない。女は、もう、ここに用はない。女は走り去り、やがて向こうへ消えていった。

 「あの…なんか、…ごめんな…」

 そう告げた和尚に、次郎はなにも答えぬ。ただただ、項垂うなだれるのみだ。

 「……よしっ。俺がさっきの女のところへ行って、謝ってくるっ」

 意を決して、和尚は次郎にこう言った。

 「よせよ、坊さん。なにが『よしっ』だよ。おめえがあの娘と話して、なんになるんだよ」

 「『至誠天しせいてんに通ず』というだろう。天に通じるんだぜ。女にだって、通じるだろう…」

 「ばかっ。なんなんだよ。そんなんだから、おめえ…いや、もういい…もうだめだよ…俺にだってそれくらいわかる…くそっ」

 次郎は、肩を落としてぼそぼそと、まだなにか言っていた。

 『親しき仲にも礼儀あり』

 という言葉は、含蓄のある素晴らしい言葉だ。

 しかし、それを知っているからといって、当人がそれを本当にできるかは、また別な話だ。

 『親しい奴にも、こうやって気をつかって、冴えてる俺』なはずの和尚は、

 「あのぅ…やっぱり、なんかごめん…」

 こちらも小さな声となり、ぼそぼそと、もういちど謝ったことであった。

 そこへ、

 「あれえ、和尚さまっ。いらしてたんですか」

 大声がした。

 持ち前の元気がはちきれんばかりの笑顔の、小柄のおばさんが立っていた。太郎次郎の母親であった。洗濯から帰ってきたようだ。

 「…かあちゃん、早かったね。なんでこんなに早く帰ってきたの…?」

 死んだ魚の目で、次郎がぼそりと問うた。

 「忘れ物したんだよ…さっき、下の村のちゃんが、ものすごい勢いで駆けってきたよ。何かあったのかねえ。大丈夫かねえ」

 と、これなる寡婦は、のんびりした口調で言ったことだった。

 「…なにがあったのかねえ」

 次郎としては、そうとしか、言えない。

 「なんだろうねえ」

 和尚としても、そうとしか、言えない。

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