第57話 出立(42)
医者の井澤さんが、『井澤石頭斎』と名乗って、これからは医者らしからぬことを、…武士らしいことをしようとしているいうことを、郷農田は知らぬ。
それどころか、病で亡くなったという『あのでかくてこわい猟師さん』が、じつは『滝野義道』という立派な名前を持っていたことも郷農田は知らなかった。
そうだ。
「やばい奴っていうのは、獣にだってわかるんだな。恐ろしい山犬も、あの猟師の姿を見れば尻尾を丸めて『キャン!』って逃げてくぜ」
と巷で噂であった猟師さんが、誰の
今回、井澤さんや猟師さんの息子が登谷から去っていったのも、
『井澤さんが、どこか別のところへ移り住むこととなったが、仲の良かった猟師さんの息子が孤児となったので、一緒に連れていくことにした』
という解釈しか、なされていない。
そして、井澤さん当人は自分のことをどう思っているかわからないが、井澤石頭斎こと医者の井澤さんは、まごうことなき名医であった。
その、名医がいなくなった。
「とんでもないことになった…」
後日、郷農田は、頭を抱えることとなった。
去っていった井澤さんへ、いまから、
「ここに戻ってくれまいか」
と伝えたくても、井澤さんの言いつけを守って、その家族もまた登谷を去っている。
そして、あの日その場に居合わせた登谷の幾人かは、郷農田が井澤さんに何と言っていたか覚えている。
「いつだってお前さんを、ここから追い出すことができるのだからな」
そう言っていたのを、はっきりと覚えている。
こうして、いつしか、
「郷農田さんは、気に入らないやつに、いつも言うだろう。『いつだってお前さんを、ここから追い出すことができるのだからな』ってよお。この言葉に臍を曲げた井澤さんが、『だったら出てってやる』って言って、ここを出ていったらしいぜ…」
そんな噂が、まことしやかに囁かれることとなり、登谷の人々は、郷農田を疎みはじめた。
郷農田は窮地に立たされたが、どうしようもない。
井澤家の墓がこわされたのは、こうしたなかでのことであった。井澤家の墓の奥にあった滝野家の墓も、同じ被害にあった。
「郷農田さんか、その息子さんが鬱憤を晴らすためにやったのだろう。当の井澤さんたちは、もういなくなってしまったから、当たり散らせないもの…」
登谷の人々は、表立って声には出さぬが、そう思っている。滝野家の墓にまで手をかけたのは、『目くらましのつもりだったのだろう』ということであった。
さて、井澤石頭斎と伯言和尚が、
「良い言い回しだなあ」
「これでばっちり」
「俺たち、冴えてる」
とさんざん自画自賛していた、『ここに立ち入ることをかたく禁ず』の立て札は、残念なことに、まったく用をなさなかった。
或るとき、ここを偶然訪れた旅人が、その木の札どころか、扉ごと破壊して、中に立ち入ったからである。この男が、字が読めたかどうかは知らぬ。字が読めても、彼はこれを無視して入ったことだろう。この男にしてみれば、一晩、
この男は、もう一つ余計なことをした。このひとけのない家に
そんなわけで、金目のものは何もなかった。
しかし、酒の入った
「うまい酒を見つけましたぞ」
と、どこからか、
開けてみると、うまそうな香りがぷうんと男の鼻腔をついた。
飲める口の持ち主にとっては、こらえることの出来ない芳香であった。
「これはいい…」
思ってもないもてなしにいたく満足し、これなる美酒をたらふく飲むと旅人は
その後、この旅人がどうなったか…それは、誰にもわからない。
数日して…、誰かが滝野家に勝手にあがりこんで荒らしていったことに、登谷の人々が気づいた。
「郷農田さぁん」
変事が起こったからには、郷農田さんの耳に入れておこうということになった。こうして、郷農田とその取り巻きどもは、滝野家にどかどかと入って来ることとなった。
石頭斎と和尚の木札は、破壊された扉とともに見向きもされなかった。彼等の力作であったのに、残念なことである。
「めぼしいものは、なんにもない家だな」
郷農田は、滝野家の中を見回すと、小馬鹿にしたようにそう言った。
「おっ、手樽があるぞ。なかは酒じゃねえか?」
誰かの言葉に、
「…酒か? 酒か?」
皆は、問うた。
手樽を手にしたそやつは、中の香りを嗅いで、
「うん、そうだ。いい香りだあ」
そう、舌なめずりしたことだった。これが、合図となった。
「そうか、よしっ。皆で飲もう」
と、いうことになった。
「つまみになるようなのは、ねえかな」
「あの猟師んちだぜ。そんな気のきいたの、あるわけねえだろ」
人々は、手樽の近くにあった茶碗で、酒を皆で回し飲みし…あっという間に、飲みつくした。
こやつらは、知らぬ。
義道が、原因不明の病で亡くなったことを知らぬ。義道が亡くなったのは、獣と格闘して傷を受けたためと、はなからそう思いこんでいる。義道は、いかにもそんな死に方をしそうな男に見られていた。
あのとき、初めに熱病にかかったのは、義道であった。次にその細君がかかり…そして、死んだ。野山を駆けて山犬をびびらせ、襲ってきた猪を拳固でぶちのめしていた義道(※1)は、人並み以上に体力があったが、細君はしょせん人並みの体力しか持ち合わせていなかった。
細君が亡くなった義道は、ひたすら寝て養生につとめたが、合い間に合い間に、酒を飲んだ。
その時、使っていた茶碗が、今こやつらが使っている茶碗である。
そして病がいよいよ重篤となり、酒を茶碗に注ぐのも面倒となると、義直は手樽に口をつけて飲んでいた。
「お茶碗で飲みなさいっ、お行儀が悪いっ」
と叱る細君も、もういない。叱ってくれる細君がいないことを寂しがりながら、お行儀悪く、飲んでいた。
そうだ。そんなことも、今その手樽の美酒に酔いしれるこやつらは知りっこなかった。
数日後――原因不明の熱病が、登谷を襲った。
義道を襲った、あの病であった。
滝野家にあがりこんで、酒を回し飲みした者たちから広がった病は、その家族に伝染し、登谷のみならず、その近隣の村まで呑み込んだ。
病の原因を人々が探ったとき、
『古くからある墓を、いくつも壊したやつがいる。この熱病は、その
という意見が出てくるのは、当時としては是非もないことだ。そして、その墓を打ち壊したと
日本の国には、
病から生き残った登谷の者たちは、壊された墓を立て直し、近くに小さな社を立てることにした。
その社が出来上がって、人々が病の消滅を祈るころには、熱病の流行は下火となっていた。
今も登谷には、なかば朽ちかけた、小さな小さな
病の平癒や、健康祈願に対して、霊験あらたかであるという。
この社には、こんな言い伝えが残っている。
江戸時代のなかごろ――
子供が重篤な病にかかった母親が、近所にあるこの社にお参りしたところ、子供の夢のなかに大男が現れたという。
猟師の恰好をしたその男は、子供を
「いままで、よくがんばったな。えらいぞ」
と、あまりのことに口をぽかんと開けたままのその子の頭を撫でて、いずこかへ去っていった。
その後、病のすっかり癒えた子供は、
「そのつよいおじさんは、とってもつよかったけれど、とってもやさしいお顔をしてた」
そんなことを、驚喜して泣きむせぶ母親に語ったという。
(※1) 良い子は、ぜったい真似しないでください。良い大人も、ぜったい真似しないでください。
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