第54話 出立(39)

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※今回の話は、暴力シーンがございます。嘔吐シーンもございますので、皆さま、お気をつけください。

 筆者はカクヨム様の規定にそったかたちで書くよう心掛けており、その上で、そうした表現の苦手な方や15歳に近い方に読んでいただくべく、改訂版も発表させていただく回がございます。

 ですが、この『滝野物語』は、戦記物です。改訂版を出すべきと判断した時はそういたしますが、以後、今回の程度の暴力シーンは、改訂版はなしに、冒頭の注意書きで注意を喚起させていただくだけにとどめたく思います。

 何卒宜しくお願い致します。

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  まだ、男はぎゃんぎゃん言っている。

 「俺のかわいい娘はなぁ、嫁入り先まで決まっておるのだ! これから輝かしい幸せが待っている娘だぞっ、それを台無しにしおって! これでは先方に面目が立たぬ。俺の気持ちも、おさまらぬわ‼ 義直とかいうの首を落とし、先方へ送って、『申し訳ありませんでした』とやるよりほかないだろうが。さあ、滝野義直を出せ‼ 出さぬと、ためにならんぞ‼」

 井澤石頭斎は、そやつの顔を知っていた。

 この近隣を治めている、粟手太郎あわてたろうという男である。

 不格好な団子のようなかたちの頭に、げじげじ眉が張り付いている。その下のかなつぼ眼が、とこちらをめつけていた。

 この騒ぎに、近くを通りかかった者が、

 「なんだろう?」

 と寄ってきた。その野次馬に、

 「見世物ではないぞ! 去れっ。これ以上こっちを見たら、ぶっ殺す!」

 と、割れ鐘のような声で怒鳴りつけ――、

 「やいっ、滝野義直がどこにおるかと、訊いておるのだ!」

 粟手太郎は、いま一度、大喝した。

 大人は咄嗟とっさに機転を働かせることができるが、子供はそうはいかない。しぜん…井澤家の童どもの視線は、心配そうに義直の方へ向けられた。太郎に従ってきた二十歳はたちぐらいの従者が、それを見て、当の若者がみるからに女子にもてそうな、凛々しくやさしげな容姿をしているのをみとめて…腹が立った。同じ男で、どうしてこうも違う。『このすばらしいのを、ぶっこわしてやろう』と思った。

 「『滝野義直』は、おめえかッ」

 従者はやおら、義直に槍を繰り出した。

 がつんっ、と凄まじい衝突の音が響き、槍の柄が叩き折られた。伯言の手にしたる錫杖しゃくじょうは、義直を襲う凶器を打ち砕いたのみでない。まるで生きた蛇のような素早さでたくみに動いて、次の刹那せつなにはその持ち主たる粟手の従者の腹をしたたかに打突していた。

 どおうっと、従者は落馬し…、

 「ぐへえっ…」

 嘔吐した。すっぱい臭いが、あたりに広がった。

 ――あ、肋骨が折れたかもな。あるいは、中の臓腑も…

 その様子を眺め、石頭斎はそんなことを思った。

 「とつぜん現れて、なんだお前たちは! 無礼なやつらだ…ぶっ殺されたいのか。こんどは峰打みねうちでは、すまんぞ」

 只今ただいま、野郎をぶっとばした錫杖を構えなおして、和尚は凄んだ。

 どんな馬鹿力でさきほどの強打をしたのか、それは知らぬが花である。

 錫杖は、刀剣ではない。

 峰なんぞ、ない。

 『峰打ちって、なんだよ…』

 敵、味方にかかわらず、皆が内心で、そうつっこんだのも、言わぬが花である。

 「落ち着け! 落ち着くのだ。まったく、頭に血がのぼった奴ぁ、短気になってしょうがないなあ」

 和尚は、まだのきいた声でそう続けている。

 しかし、これを聞きながら、やはり人々は敵味方を問わず、こう思った。

 『まず、いちばんに、この和尚さんに落ち着いてほしいな』

 この時であった。

 「待ってぇ!…お父さま、待ってぇ」

 若い女の声が響いた。絹を裂くような、と言うよりは、木綿をひき裂くようなひなびた声であった。こちらも、騎馬でやってきた。

 見ると、不格好な団子のようなかたちの頭に、げじげじ眉の…、『あっ、粟手さんの娘さんですね?』と、すぐにわかるような、若い娘が現れた。そして、義直と目が合うと…馬上ながら、顔を真っ赤に染めた。耳まで、赤くなった。

 粟手太郎は、娘の姿を見るとた。大あわてで己が愛馬から飛び降りて、娘に駆け寄って、

 「ばっ…ばかをしちゃいけないよ。おまえ、だめじゃないか。お腹の中にややこがいるかもしれないのに、馬に乗ったら、いけないよ」

 先ほどとは、うって変わった優しい声で、そう叱った。

 「えっ、どういうことですか?」

 娘さんは、驚いた。その様子に父親は困惑して…、

 「だって、おまえ言っただろう。滝野義直ってやつに、を奪われたと」

 「えっ、心を奪われてしまったら、…恋をしたら、ややこが出来てしまうのですか?」

 「え、それだけではできないよ? 男と女が、をしないとできない仕組みだよ」

 「って、ですか?」

 粟手の娘は、父の問いに、無邪気にこう答えたことだった。

 「…えええっ、これはだ‼」

 粟手は、更なる大あわてとなった。

 一同、『どうしたものか…』と思案するなか、

 「…あのう、失礼つかまつるが、娘御に、ぜひとも、ひとつお伺いしたいことがござる」

 石頭斎が、おもむろに口を開いた。

 「はい」

 粟手の娘は、しおらしく応じた。

 「というのは、もしや…」

 「はい…」

 「…のことでござろうか?」

 「ええ。私の、心です」

 こう答えて、粟手の娘は、ちらりと滝野義直の呆然唖然ぼうぜんあぜんとした顔を見つめ…

 「きゃっ、はずかしいっ」

 恥じらい、さらに赤く染まった顔を両手で覆うと、その場にしゃがみ込んでしまった。

 「なあんだ…」

 一同、それ以上の言葉もなく、立ち尽くすばかりとなった。


 

 粟手の話は、こうであった。

 かわいい娘も、年頃となった。めでたく近隣の名家の子息との婚儀が決まったので娘に伝えたところ、これなる娘は喜ぶどころかと涙を流し、

 「わたくし、心に決めたお方がいるのです…」

 と、辛そうに告げた。そして、こともあろうに、

 「も、その御方に捧げました…」

 と、言うではないか。世間知らずの夢見がちなこの娘は、その単語を『私の心』という意味で使っている。

 しかし、大の大人の粟手太郎は、その単語に対して、世間一般の解釈をした。

 「野郎! ぶっ殺してくれる‼」

 かっとなった粟手は、こう叫ぶや否や、得物だけを引っさげ、従者を連れて館を飛び出したということであった。

 そして、粟手の娘の話は、こうであった。

 数年前に、道で滝野義直とすれ違ったことがある。

 娘は、一目見て、この素敵なひとを好きになってしまった。

 その後、できるだけその道を通るようになり…また彼とすれ違った時は、それだけで嬉しくて嬉しくて、しかたがなかった。

 彼のことを、連れている下女に訊いたり、調べたりしてもらって、『滝野義直』というその名も知った。なんどすれ違っても、彼は素敵な男のままであった。この近辺にいる若い男と、なにか違う。きりりとしている。他の男のように、物欲しげな眼で若い娘の尻を追ったりなどしない。その憂いを含んだ眼は、もっと高い理想を宿しているように見える…

 ――ああ。なんて素敵な方だろう…

 こうして、『滝野義直』こそは、彼女が知るかぎりの物語の、どんな英雄よりも素晴らしい貴公子の地位を持つこととなった。

 …ただ、それだけである。

 それだけ、清らかで、無邪気な恋であった。

 そんな淡い恋にひたっていた娘にとって、いきなり降ってわいた己の縁談は、甘い夢をぶっ壊すに足る、じゅうぶんな破壊力をもっていた。

 縁談の話を聞いて、父の前で流した涙は、粟手太郎が思っているような、なまなましい涙ではなかった。

 少女が、現実を突きつけられ…己が夢がこわされることを知って流した涙であった。

  

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