第49話 出立(35)
「なあ。いいから、言ってみろよ」
鬼は、食い下がった。
「聞きたいのか」
「聞きてえな」
「どうしてだ?」
訝しんだ和尚に、
「人というのは、何が好きかでその人柄がわかるものだ」
鬼は、そう告げた。
「へええ…そんなものかな」
「そんなもんさ。だからさ…おめえは何が好きだ? 言ってみな」
「…そうさなあ。いっぱいあらあな。選べないよ」
和尚は、こんどはそう言いきった。
「親兄弟は、好きか?」
「好きだったな」
「友は?」
「好きだな。子分のことも、好きだったねえ」
「ふうん…」
「…昔いた、主君のこともな。女ほどじゃなかったけどな」
「そうか。で、いま聞いたぞ。女も好きか」
「好きだな。俺は、好きだ」
「
「うん…けれどさあ、女にゃあ、裏切られたりふられたりばかりしたねえ。女のほうで俺を好きかは、また別な話だねえ」
こうまであけすけに言われ、
「…悲しいことを言うなよ」
鬼はうっかり下手な慰めも言えず、こう苦笑するより他になかった。
「お前さんが、言わせたことだろう」
和尚も、つられて苦笑いしたが、こちらはこちらで、もう笑うより他になかったのである。
「銭は好きか?」
「好きだな。ま、銭のほうで俺を好きかは、また別な話だったけどな」
「…おめえ、なんて悲しいことを言うんだっ…」
「お前さんが、言わせたことだろうが…」
「おめえ、しょぼいぞ」
「そうかい。『しょぼい』でいいよ。くやしかないねえ。事実だしさあ」
和尚にとっては、『しょぼい』の評価は屁でもなかった。
「…なら、最後に訊くぞ。そんなに、この世にはおめえの好きなものばかりなのに、なんでおめえは、そんな悲しく寂しそうな眼をするのだ…?」
こう言って、鬼は謎なる男を見据えた。
「聞きたいのか」
「聞きたいねえ、ぜひともさ」
「…親が、死んだ。妹が、死んだ。友も主君も、子分も死んだ。俺が好いた女たちも、
「それが理由か…」
「そうさ…それが理由だねえ。こんななりをしてこういうのもなんだが、神仏にひとつ訊いてみたいねえ、『天道是か非か』を」
坊主のなりをしたばけものは、おだやかにそう告げた。
「…」
鬼は、まじまじと和尚を見つめた。
「おめえほど肝が太いやつに、そう思わせるようなこととは、…いったい、なにがあった?」
こう問われ…、和尚はまた苦笑いをした。
「よそうや。くだらない話だよ、俺の与太話なんか。嘉助さんの話よりばか長いし、聞いていて嫌になるぞ。それより、見ろよ…きれいな雲だぜ。人は、去ってゆく。雲も、去ってゆく…雲もさよならしているし、俺も、もう行くよ。日も暮れてきた」
そう告げて、思い出したように、
「もし、いとさんに会いたかったら、武蔵国にいるよ。
和尚は言った。
「そんな野暮はしねえよ。だいいち、都から下って、武蔵国にのぼるってのは、どうもしまらねえ」
鬼は、こう返事したことだった。
「でも『のぼりや』っていうんだしさあ。おのぼりさんになっても、いいだろう」
真顔で、和尚は言った。すると、嘉助の友は、持ち前の鬼面でながらも、清しい眼で笑い…、
「俺は、こやつの…、嘉助の娘が幸せと聞けたならいいのだ。おめえに
そう告げた。
「そうかい」
「あとなあ…ひとつ、言っておこう」
かたちを改めて、鬼は口を開いた。
「なんだ」
「あの笛を、いとちゃんは大切にしていると言ってくれたな」
「ああ。言った」
「あの笛は、或る霊山の、霊力をもった竹から俺が作り出したものだ。笛としては、天下一の良い笛だよ。俺は祈りをこめて、それをいとちゃんに渡した。そして、もう、俺の祈りは叶った。だから、あの笛にはもういとちゃんを守る力はないだろう。そうだ。もう、ここからは鬼の出る幕はない。あの
「わかった…でも、いとさんは、これからもあの笛を大切にするよ。わかるだろう」
笑みを含んで、和尚は告げた。
「そうだな…そうだな」
嘉助の友は、深く頷き、
「俺も、もう行くよ。もう俺は都を去る。おそらく…これから後、とんでもなく恐ろしいことが起こるぞ。俺は、それを見たくはない」
「なんだ、それは」
「…お前は、人だろう。人には、言わんよ」
これなる鬼は、
「…」
「人は、昔、俺の仲間を騙して殺したからなあ。だが、いとちゃんに、言っといてはくれないか。もう都には来るな、って。おめえもな」
「…わかった」
「もう、俺のようなやつの時代は終わったんだよ。これからは、人の時代だ」
「今の今まで都に棲みつき、人を見つめ続けたお前さんが、どうして今更、それを言うのだ?」
「人が、嫌になったからだよ。だから、もう人とは交わらぬ」
朱雀門の鬼は、言いきった。
「そうか…」
「そうさ…鬼に横道はない。しかし、人に横道はある。安心しろよ。『化け物がいねえ』と寂しがらなくても、化け物は、いるぜ」
「どこに?」
「人は、化けるよなあ。おめえもよく知っているだろう、人が鬼となることをなぁ。横道を知るやつが鬼に変じたら、これこそが、ほんとうに恐ろしいものだぜ。こんど、あの笛がなにかしでかしたときは、人という化け物がそれをするのだよ!」
こう答えて…、
「ひゃっひゃっひゃっ」
嘉助の友は、もう一度、笑った。
寂しい、悲しい眼をして、笑った。そして、そのがっくり肩を落とした体で、悄然、泣いていた。
――お前さん、ほんとうは人が好きだったね? これ以上、人を嫌いになりたくなくて、嘉助さん親子の思い出を宝として、去ってゆくのだね?
和尚は、尋ねようとしたその言葉を、ぐっと堪えた。
この鬼は、本来は野暮をせぬ男だ。
ならば、あの博雅に倣って、こちらも野暮はするまい。代わりに、言うことはある。
「いとさんや、その旦那の代わりに言うよ。いとさんを見守ってくれて、ありがとうな!」
和尚にこう言われて、嘉助の友は、くしゃっと顔を歪めた。
「ならば、俺はこやつ…嘉助の代わりに言おう。いとちゃんを、これからもよろしくな! 仲良くな!…さらばだ。不思議な坊主よ」
「…おう、さらばだ!」
あとに残された和尚は、
「…烏はいいなあ。てめえの塒があって」
ぼそりと呟き、
「日暮れて
そうして、「虚しいな」と続けようとして、耳がいい嘉助の友のために、それを言うのをやめた。
すると
「なんだ。おめえもやっぱり、俺と同じか!」
こう、叫んだことだった。
ばれちゃあ、しょうがない。
「…そうだよ。勘のいいやつだなあ」
和尚は、告げた。
「…こんどこそ、さらばだ! 不思議で心優しい、並外れたる
鬼の別離の叫びは、墓場に殷々、響いた。
風が、蕭々、吹いている。
しかし、
「…よかったな…よかった、よかった」
嘉助とその娘に思いを馳せながら、その中をゆく鬼の眼には、あたたかい涙が光った。
鬼の眼にも、涙となった。
(※1) 横道…騙すこと。酒吞童子の科白を参照していただけると嬉しいです。つまり、この鬼は内心、最後まで和尚を自分と同じ化け物だと思っております。
(※2) 日暮れて途遠し…
(※3) この出立(35)の、「好きなものは、なんだ?」から、ここまでの記述について…ボードレールの詩、邦題では『異人さん』や『異邦人』と訳されている詩を参照していただければと存じます。
じつは…、この作品の第七話、和尚と政元の会話のなかで、筆者は同じような企みをしております。そちらは、ダンテの『神曲』の、地獄の門の場面です。門に刻まれた『この門を過ぎて…』と始まって、『この門を過ぎる者、一切の望みを捨てよ』のあたりまでです。政元は、『嘆きと苦悩』など、地獄のありようがこの世に存在することをあげ、「ここは地獄だ」と言いますが、和尚は「ここはほんとうの地獄ではない。だから望みがあるのでしょう」と言っています。
「日本の室町時代や戦国時代の頃を題材にした作品で、とつぜんイタリアの古典やフランスの詩が参照で出てきたよ。なんで?」と訝しく思われる方もおいでかと
存じます。しかし、そこは「なんでもありなのだな」と、なにとぞ、ご寛恕を請いたいと存じます。よろしくお願いいたします。
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