第34話 出立(21)


 寂しい野辺送りであった。万里蕭条ばんりしょうじょう…、冷たい風が人々の体を打った。

 やがて――つめたい色の空から、はらりはらりと、なにかが舞い降りてきた。

 粉雪であった。

 「おお、寒い。早く終わらせて、帰りましょう」

 とらは、大仰に身をふるわせ、こう言った。男は、とこれに一瞥いちべつをくれたきり、なにも答えず、

 「――おまえ、苦労したなあ。気の毒な…」

 しみじみと、背中の嘉助に語りかけたことだった。

 「嘉助よ、嘉助…おまえは、愉快な友だちだった。あんなに、ぴっこらぴっこら笛を吹いていたのにな…こっちがあきれ返るほどなやつだったのに、こうなるとは、どうしたことだ。早すぎだよ。なあ、嬢ちゃん」

 「はい」

 「ちかごろは嫌だねえ。どこにだって、いやな兆しがある。空にはまがつ星が瞬いて、地上に、これからの世の乱れを教えている。既に、これから来るわざわいの芽は出ているのだ。これからなあ、恐ろしいことが、いくらでも起きるぞ。嘉助は、それを知らずに死ねたんだ…それが、救いさ。嬢ちゃん、いいか。早く都から離れたほうがいい。ろくなことが起こらないぞ」

 これを聞いて、『いやに恐ろしいことを言うなあ』という顔をしたいとに、

 「お前さんは、おじさんが怖くないのかね?」

 突然――おじさんは、問うた。

 「…え?」

 「お前さんにとっては、おじさんは見ず知らずの男だ。俺が、怖くないかね?」

 そう告げる父の友は、ぼさぼさの蓬髪ほうはつに虎髭で、たしかに恐ろしげな様子をしていた。その眼は、ぎょろりとして、凶暴にも見えたが、瞳の奥底には、悲しい色を宿していた。粗野なようにも、繊細なようにも、見えた。この男は、総じて不可思議であった。なるほど、都のどこにでもいそうなをしていたが、都に溶けこんではいなかった。人のなりをしても、人の群れに溶けこめていないのだ。いとは、この人物に会ったことは、これで二度きりであった。どこで、なにをしているのか、わからない。

 しかし、いとは思いつめた表情で、かぶりを振った。

 「お父さんを、助けてくれたし…怖くありません。お父さんは、おじさんを『ほんとうの友だちだ』と、うれしそうに言っていました。私は、それが嬉しかった。おじさんが来てくれて、お父さんも嬉しいでしょう。だから、見ず知らずの御方じゃ、ありません。あなたは、私のお父さんの友だちです」

 すると、この謎の男は、一瞬…ほっとしたような、喜びの表情を浮かべた。

 「しっかりしたうえに、きれいな心持ちの子だなぁ…だが、いいかい? もう、こんな真似はしちゃいけないよ。世の中には悪い大人がいるんだ。親切そうな、を言って、平気でお前さんみたいなのを騙すやつがさ…よく、そのかわいい眼で、人を見極めるんだよ」

 そしてこの『お父さんの友だち』は、二人と無関係を装って離れて歩く叔母のほうへ、ちらりちらりと睨むような眼差しを向けていた。この男は、そうやってになにかを教えていた。

 『お父さんの友だち』は、墓場に着くと、おそるべき力で、墓穴を素手であっという間に掘ってしまった。これには、は、腰を抜かさんばかりに驚いた。

 「人間じゃないわ…こんなの」

 とらが、呟いた。

 ――なるほど、そうかもしれない。人じゃない。

 いとは、心の中で思った。

 嘉助の弔いのひととおりをすると、いとに向き合って、

 「おじさんは、嘉助が痛めつけられているとき、遠くで仲間と酒を呑んでになっていたから、助けられなかった。俺たちと酒とは、相性がいいんだか悪いんだか、わからないな。俺の昔の仲間は、酒がもとで人に殺されたしなあ。でも…やっぱり、今日は酒を呑まなきゃ、やってらんねえ。その酒は、うんとまずかろう。俺は、人が嫌いだ。今回のことで、人がますます嫌いになった」

 そう言いきった。

 「でもなあ…」

 「でも?」

 「俺のことを『ほんとうの友だち』と言ったやつと、その娘のお前さんは、好きだ」

 おじさんは、そう言って笑った。

 「嬢ちゃん。もう、俺はこれ以上のことはできない。これから先のことは、人のなすべきことだ。ただ、…これを大事に持っていなさい」

 男は、懐から古い笛を出すと、いとに手渡した。見ると、木の葉がひとつ、ついている。

 「これはな、おじさんが、お前のお父さんと初めて出会ったときに吹いていた笛だよ。おじさんの、宝だ。もう、俺は人と笛を吹くのは、これきりにする。これまで、俺が上手いと思ったやつは二人いた。そのうち、一人とは良い思い出だけが残り、もう一人とは悲しみしか残らなかった。もう十分だろう。さらば、良き日々よ…」

 いとはに、目で問うた。

 「やっぱり、おじさんは…」

 「それ以上は、言うな」

 そして、おじさんは、さきほど『宝』と聞いて目をきらりと輝かせた叔母に聞かせるように、

 「これは、嬢ちゃんのお守りだ。大事にするんだよ。誰かがもしこれをお前さんから奪ったら、そいつにはおじさんが禍をもたらしてやろう。そうさ。そやつを食い殺してやろう。家に火を放ってやろう…おじさんにはね、それくらいの力があるのだ」

 これまた、恐ろしいことを言った。

 それを聞いてびびったのは、おじさんのさきほどの馬鹿力を目撃した叔母だけではなかった。

 いともびびった。

 「こわい…」

 「えええっ…嬢ちゃんも怖いのかい? 怖がるこたぁ、ないさ…」

 おじさんは、困ったようにぽりぽり首をかいて、

 「嬢ちゃんが吹けば、この笛はいい音が出るだろう。嬢ちゃんがもっと大人になって、幸せになって、かわいい子が生まれたら、その笛で、子どもにお父さんの曲をたくさん吹いてあげてくれ。そうやって、お父さんを、忘れないでいてあげてくれ…そうすれば、その曲のなかで、お父さんは生きている」

 そう言った。

 「生きていますか」

 いとは、声を弾ませた。お父さんが、曲のなかで生きている…それがでしかないと、いとにもわかっていた。それでも、

 ――やさしいだ。

 と、心から思った。

 「そうさ。あいつは、そうやって生きたがいい。それが、俺のはなむけだ…お嬢ちゃん、名は?」

 「いとです」

 「いとちゃん…お父さんが、好きだったな?」

 「はい。だいすき、だった…だから、おじさんがお父さんの死を悲しんでくれて、…ありがたくて、嬉しくて…」

 ――そうよ。好きだった。おじいちゃんに叱られて、お母さんに叱られて、人に騙されてまくっても、…ほんとうのろくでなしじゃない。みんなそう言ってたけれど、駄目親父なんて、もう私が言わせないよ。私とお母さんを、心の底から愛してくれた、お父さんが好きだったよ。

 はりつめきったものが、いっきにほどけて、いとの眼に涙があふれたのを眺め…嘉助の友は、

 「そうか、人は、愛すのか」

 こう言って、笑顔のような、泣き顔のような、清しい表情を浮かべた。

 「そのまま、大好きでいてやれ。幸せにな…おじさんは、もう行くよ」

 去っていく男の後姿を見送っていると、話の蚊帳の外におかれて、むっつり黙り込んでいたが、

 「暗くて、うさんくさい男ね」

 そんなことをほざいた。あとは、物見遊山の話だ。亡き人の思い出話なんぞ、これっぽっちも出ない。

 ――なんで、こんなやつが生きていて、うちのお父さんが死んだんだろう…

 いとは、ふっとそう思い…ぐっと涙をこらえた。


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