第34話 出立(21)
寂しい野辺送りであった。
やがて――つめたい色の空から、はらりはらりと、なにかが舞い降りてきた。
粉雪であった。
「おお、寒い。早く終わらせて、帰りましょう」
とらは、大仰に身をふるわせ、こう言った。男は、じろりとこれに
「――おまえ、苦労したなあ。気の毒な…」
しみじみと、背中の嘉助に語りかけたことだった。
「嘉助よ、嘉助…おまえは、愉快な友だちだった。あんなに、ぴっこらぴっこら笛を吹いていたのにな…こっちがあきれ返るほどのんきなやつだったのに、こうなるとは、どうしたことだ。早すぎだよ。なあ、嬢ちゃん」
「はい」
「ちかごろは嫌だねえ。どこにだって、いやな兆しがある。空には
これを聞いて、『いやに恐ろしいことを言うなあ』という顔をしたいとに、
「お前さんは、おじさんが怖くないのかね?」
突然――おじさんは、問うた。
「…え?」
「お前さんにとっては、おじさんは見ず知らずの男だ。俺が、怖くないかね?」
そう告げる父の友は、ぼさぼさの
しかし、いとは思いつめた表情で、かぶりを振った。
「お父さんを、助けてくれたし…怖くありません。お父さんは、おじさんを『ほんとうの友だちだ』と、うれしそうに言っていました。私は、それが嬉しかった。おじさんが来てくれて、お父さんも嬉しいでしょう。だから、見ず知らずの御方じゃ、ありません。あなたは、私のお父さんの友だちです」
すると、この謎の男は、一瞬…ほっとしたような、喜びの表情を浮かべた。
「しっかりしたうえに、きれいな心持ちの子だなぁ…だが、いいかい? もう、こんな真似はしちゃいけないよ。世の中には悪い大人がいるんだ。親切そうな、おためごかしを言って、平気でお前さんみたいなのを騙すやつがさ…よく、そのかわいい眼で、人を見極めるんだよ」
そしてこの『お父さんの友だち』は、二人と無関係を装って離れて歩く叔母のほうへ、ちらりちらりと睨むような眼差しを向けていた。この男は、そうやっていとになにかを教えていた。
『お父さんの友だち』は、墓場に着くと、おそるべき力で、墓穴を素手であっという間に掘ってしまった。これには、いとととらは、腰を抜かさんばかりに驚いた。
「人間じゃないわ…こんなの」
とらが、呟いた。
――なるほど、そうかもしれない。人じゃない。
いとは、心の中で思った。
嘉助の弔いのひととおりをすると、いとに向き合って、
「おじさんは、嘉助が痛めつけられているとき、遠くで仲間と酒を呑んでべろんべろんになっていたから、助けられなかった。俺たちと酒とは、相性がいいんだか悪いんだか、わからないな。俺の昔の仲間は、酒がもとで人に殺されたしなあ。でも…やっぱり、今日は酒を呑まなきゃ、やってらんねえ。その酒は、うんとまずかろう。俺は、人が嫌いだ。今回のことで、人がますます嫌いになった」
そう言いきった。
「でもなあ…」
「でも?」
「俺のことを『ほんとうの友だち』と言ったやつと、その娘のお前さんは、好きだ」
おじさんは、そう言って笑った。
「嬢ちゃん。もう、俺はこれ以上のことはできない。これから先のことは、人のなすべきことだ。ただ、…これを大事に持っていなさい」
男は、懐から古い笛を出すと、いとに手渡した。見ると、木の葉がひとつ、ついている。
「これはな、おじさんが、お前のお父さんと初めて出会ったときに吹いていた笛だよ。おじさんの、宝だ。もう、俺は人と笛を吹くのは、これきりにする。これまで、俺が上手いと思ったやつは二人いた。そのうち、一人とは良い思い出だけが残り、もう一人とは悲しみしか残らなかった。もう十分だろう。さらば、良き日々よ…」
いとはおじさんに、目で問うた。
「やっぱり、おじさんは…」
「それ以上は、言うな」
そして、おじさんは、さきほど『宝』と聞いて目をきらりと輝かせた叔母に聞かせるように、
「これは、嬢ちゃんのお守りだ。大事にするんだよ。誰かがもしこれをお前さんから奪ったら、そいつにはおじさんが禍をもたらしてやろう。そうさ。そやつを食い殺してやろう。家に火を放ってやろう…おじさんにはね、それくらいの力があるのだ」
これまた、恐ろしいことを言った。
それを聞いてびびったのは、おじさんのさきほどの馬鹿力を目撃した叔母だけではなかった。
いともびびった。
「こわい…」
「えええっ…嬢ちゃんも怖いのかい? 怖がるこたぁ、ないさ…」
おじさんは、困ったようにぽりぽり首をかいて、
「嬢ちゃんが吹けば、この笛はいい音が出るだろう。嬢ちゃんがもっと大人になって、幸せになって、かわいい子が生まれたら、その笛で、子どもにお父さんの曲をたくさん吹いてあげてくれ。そうやって、お父さんを、忘れないでいてあげてくれ…そうすれば、その曲のなかで、お父さんは生きている」
そう言った。
「生きていますか」
いとは、声を弾ませた。お父さんが、曲のなかで生きている…それがたとえでしかないと、いとにもわかっていた。それでも、
――やさしいたとえだ。
と、心から思った。
「そうさ。あいつは、そうやって生きたがいい。それが、俺の
「いとです」
「いとちゃん…お父さんが、好きだったな?」
「はい。だいすき、だった…だから、おじさんがお父さんの死を悲しんでくれて、…ありがたくて、嬉しくて…」
――そうよ。好きだった。おじいちゃんに叱られて、お母さんに叱られて、人に騙されてまくっても、…ほんとうのろくでなしじゃない。みんなそう言ってたけれど、駄目親父なんて、もう私が言わせないよ。私とお母さんを、心の底から愛してくれた、お父さんが好きだったよ。
はりつめきったものが、いっきにほどけて、いとの眼に涙があふれたのを眺め…嘉助の友は、
「そうか、人は、愛すのか」
こう言って、笑顔のような、泣き顔のような、清しい表情を浮かべた。
「そのまま、大好きでいてやれ。幸せにな…おじさんは、もう行くよ」
去っていく男の後姿を見送っていると、話の蚊帳の外におかれて、むっつり黙り込んでいたとらが、
「暗くて、うさんくさい男ね」
そんなことをほざいた。あとは、物見遊山の話だ。亡き人の思い出話なんぞ、これっぽっちも出ない。
――なんで、こんなやつが生きていて、うちのお父さんが死んだんだろう…
いとは、ふっとそう思い…ぐっと涙をこらえた。
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