第25話 出立(13)・改
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※今回の話は、ショッキングな箇所があります。こちらは、そうしたものをはぶいたものとなっております。15歳に近い方は、こちらをお読みください。カクヨム様の規定には反していないと確信しますが、個人的には18歳未満の方にも、こちらを読んでいただきたいと存じます。
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「嘉助の生み出した曲は、さよう…まことの悲しさを知った者の心を、癒すものであった。万葉集に、『山吹の立ちよそひたる山清水…』(※1)とある。嘉助ならば、そこへ行く道を知っている。死者にしかわからぬ道を、嘉助ならば辿れる。そして、そこから無傷で戻ってきて、『あの人も、お前と同じ心持ちでいる。そう伝えてくれと、あの人が言っていた』と…清らな顔で、我等に教えてくれる。今を生きるがゆえの我等の心の傷を、あやつの作った調べは、そっとあたたかく癒してくれる。我等が
さきほど、烈火のごとくの勢いで苛烈な言葉を吐いてのけた義政の口が、嘉助の音楽について語るときは、哀切を極めた。
「…」
「後の世の者は、嘉助の曲に聞き惚れ、救われるはずであった。所詮、お前にはできぬ芸当よ。そのお前が、…お前ごときが、よくも後の世の宝を葬ってくれたな!」
そう告げて…義政は、疎道を睨みつけたことだった。その、日頃はいかにも誠実な、優しそうな小さな眼が、今はらんらんと怨恨の炎を宿し、口髭のよく手入れの行き届いた柔和な口元は、口惜しさからくる歯噛みで歪んでいた。
――これから己に、なにが起こるのか…
疎道には、わからぬ。疎道は疎道で、あまりな憤怒と敗北感に打ちのめされて、頭が正常な動きを出来ずにぼうっとなっているのだ。今、己が夢の中にいるのか、
「お前を罰するのは、予ではない。お前は、お前のごときを守ってくれる『乙梨』の名をくれた父祖に礼を言うがよい。しかし、必ずや
これをたしかに疎道はその耳に聞いたのだが、ぼうっとなった頭では、理解などできはしなかった。
「
義政にこう言い捨てられて、…ふらふらとその場を辞し、どうやって屋敷に帰ったのかは、疎道はわからぬ。まったく覚えていない。義政の逆鱗に触れたことは、よほど疎道にこたえたのだろう。
義政は、去ってゆく疎道の後ろ姿を睨みつけていたが、それも見えなくなると、誰もいなくなった舞台を悲しげな眼差しで見つめ、
「ああ…ああ…――予の罪だ。
深く、深く、嘆息した。
あの、なんとかして彼の恩義に報いたいという嘉助の一生懸命の眼差しが、瞼に浮かんでくる。
あの時に、嘉助はなんと願い出たか。
彼が作った、最高の曲に『名前を付けてください』と。
「決しているぞ、嘉助よ。予は、すぐにひらめいた。この名しか、あるまい…その名は、『は…』――」
近侍どもが、全身を耳にして、主の次の言葉を待っている。それをみとめて、義政は寂しそうに小さく笑い、もう何も言わなかった。
――予には、もう、その資格がない。
そう心に思ったようであった。
つくづく何もかもが嫌になった義政は、こう考えた。
――予は、この冷たく厳しい場所は性に合わん。この将軍の座を
子を亡くした時の細君の顔を思い浮かべて、義政は気が重くなった(※3)。あれだけ泣いたのだ。彼女には、もう笑顔でいてほしかった。富子の子なら、しっかりとした子に育つだろう。将軍の責務にも立派に耐えるような男となるだろう。そうは思うが、あんな悲しい思いは、もう二度と彼女にしてほしくはない。
ふと…、義政は己が弟の顔を思い出した。
――これはいいことを思いついたやもしれぬ。
にわかに、義政は顔をほころばせた。
あとは、時機を見るだけだ。これこそは、早すぎてもならぬし、遅すぎてもならぬ。
なにをするにも、時機というのは大切だ。逸すれば、おそろしいことが起こるやもしれぬ(※4)。
屋敷に帰った疎道は、何日も何日も、このことを思い出しては煩悶し…ようやくわかった。
――上様でさえ、乙梨家の名声が怖かったのだ。
ふふん、と疎道はほくそ笑んだ。
しかし、心のどこかでは、そうではないことをわかっていたのだろう。ふとしたときに、こう己で思い出すのだ。
――上様は、俺にはその価値がないと…上様直々に懲罰を下す価値もないと、そう思われたのだ。
疎道の酒量は、しだいに増えていった。乙梨家には、誰も疎道を諫めることなどできなかったから、彼は思うままに、浴びるように飲むまでに至った。
そのせいで、彼の指は、なにもないのにぶるぶると震えだす時がある。
己の指が、笛を持ち、思うがままの音色が出せぬようになる日が、じわりじわりと…しかし、確実に近づいていることを、乙梨疎道はまだ知らぬ。
(※1) 『山吹の立ちよそひたる山清水 汲みに行かめど道の知らなく』…万葉集、高市皇子の歌。十市皇女への挽歌。
(※2) 蟇…ひきがえる。
(※3) 義政の正室・日野富子は、長禄3年に子を亡くしている。
(※4) 応仁の乱は、応仁元年(1467年)に始まる。
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