第24話 出立(13)


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※今回の話は、ショッキングな箇所があります。例のごとく、『出立(13)・改』を用意しました。15歳に近い方は、『出立(13)・改』をお読みください。カクヨム様の規定には反していないと確信しますが、こちらは、個人的には18歳以上の方に読んでいただきたい内容です。

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 「嘉助の生み出した曲は、さよう…まことの悲しさを知った者の心を、癒すものであった。万葉集に、『山吹の立ちよそひたる山清水…』(※1)とある。嘉助ならば、そこへ行く道を知っている。死者にしかわからぬ道を、嘉助ならば辿れる。そして、そこから無傷で戻ってきて、『あの人も、お前と同じ心持ちでいる。そう伝えてくれと、あの人が言っていた』と…清らな顔で、我等に教えてくれる。今を生きるがゆえの我等の心の傷を、あやつの作った調べは、そっとあたたかく癒してくれる。我等がいにしえの曲を聴くことができるように、あやつの調べは、きっと時代さえ超えて、人の心を慰めるものであったろう」

 さきほど、烈火のごとくの勢いで苛烈な言葉を吐いてのけた義政の口が、嘉助の音楽について語るときは、哀切を極めた。

 「…」

 「後の世の者は、嘉助の曲に聞き惚れ、救われるはずであった。所詮、お前にはできぬ芸当よ。そのお前が、…お前ごときが、よくも後の世の宝を葬ってくれたな!」

 そう告げて…義政は、疎道を睨みつけたことだった。その、日頃はいかにも誠実な、優しそうな小さな眼が、今はと怨恨の炎を宿し、口髭のよく手入れの行き届いた柔和な口元は、口惜しさからくる歯噛みで歪んでいた。

 ――これから己に、なにが起こるのか…

 疎道には、わからぬ。疎道は疎道で、あまりな憤怒と敗北感に打ちのめされて、頭が正常な動きを出来ずにとなっているのだ。今、己が夢の中にいるのか、うつつにあるのか…それさえ、わからぬ。

 「お前を罰するのは、予ではない。お前は、お前のごときを守ってくれる『乙梨』の名をくれた父祖に礼を言うがよい。しかし、必ずや今日こんにちの報いはお前にふりかかって来るぞ。お前を罰するのは、音楽であろう。けして追いつきはできぬ嘉助の存在を知ったうえで、自尊心ばかりが強いお前が、どうやって笛を奏で続けるのかのう…今度は、お前の見世物が始まる番だ。まことの見ものは、これからよのう」

 これをたしかに疎道はその耳に聞いたのだが、となった頭では、理解などできはしなかった。

 「せろ、がま(※2)め」

 義政にこう言い捨てられて、…ふらふらとその場を辞し、どうやって屋敷に帰ったのかは、疎道はわからぬ。まったく覚えていない。義政の逆鱗に触れたことは、よほど疎道にのだろう。

 義政は、去ってゆく疎道の後ろ姿を睨みつけていたが、それも見えなくなると、誰もいなくなった舞台を悲しげな眼差しで見つめ、

 「ああ…ああ…――予の罪だ。健気けなげな奴に、あんなむごいことを…」

 深く、深く、嘆息した。

 あの、なんとかして彼の恩義に報いたいという嘉助の一生懸命の眼差しが、瞼に浮かんでくる。

 あの時に、嘉助はなんと願い出たか。 

 彼が作った、最高の曲に『名前を付けてください』と。

 「決しているぞ、嘉助よ。予は、すぐにひらめいた。この名しか、あるまい…その名は、『』――」

 近侍どもが、全身を耳にして、主の次の言葉を待っている。それをみとめて、義政は寂しそうに小さく笑い、もう何も言わなかった。

 ――予には、もう、その資格がない。

 そう心に思ったようであった。

 つくづく何もかもが嫌になった義政は、こう考えた。

 ――予は、この冷たく厳しい場所は性に合わん。この将軍の座を垂涎すいぜんし、他人の血を犠牲にしても欲する者が親族の内にあることを、予は知っている。そういうやつなら、この地位をありがたく思って、予がやるよりは、はるかに上手にこの職をこなすであろうよ…

 子を亡くした時の細君の顔を思い浮かべて、義政は気が重くなった(※3)。あれだけ泣いたのだ。彼女には、もう笑顔でいてほしかった。富子の子なら、しっかりとした子に育つだろう。将軍の責務にも立派に耐えるような男となるだろう。そうは思うが、あんな悲しい思いは、もう二度と彼女にしてほしくはない。

 ふと…、義政は己が弟の顔を思い出した。

 ――

 にわかに、義政は顔をほころばせた。

 あとは、時機を見るだけだ。これこそは、早すぎてもならぬし、遅すぎてもならぬ。

 なにをするにも、時機というのは大切だ。逸すれば、(※4)。


 屋敷に帰った疎道は、何日も何日も、このことを思い出しては煩悶し…ようやくわかった。

 まつりごとを司る者として、笛の大家が『亡国の音』としたものを義政は、もう聴けぬ。それが本当の『亡国の音』ではないと義政が分かっていても、世間が嘉助の音楽を『亡国の音』と認識してしまった以上、将軍の座にある義政は、これを聴けぬのだ。そして、嘉助の音楽を『亡国の音』であると諫言した乙梨疎道を罰するわけにもいかぬ…世間が、疎道を、淫靡の曲を『亡国の音』であると教えた『賢人』と見たからだ。『賢人』を罰しては、義政の名に、傷が付く。それは避けるべきだ…そういう判断を、将軍・義政はした。

 ――上様でさえ、乙梨家の名声が怖かったのだ。

 ふふん、と疎道はほくそ笑んだ。

 しかし、心のどこかでは、そうではないことをわかっていたのだろう。ふとしたときに、こう己で思い出すのだ。

 ――上様は、俺にはその価値がないと…上様直々に懲罰を下す価値もないと、そう思われたのだ。

 疎道の酒量は、しだいに増えていった。乙梨家には、誰も疎道を諫めることなどできなかったから、彼は思うままに、浴びるように飲むまでに至った。

 そのせいで、彼の指は、なにもないのにと震えだす時がある。

 己の指が、笛を持ち、思うがままの音色が出せぬようになる日が、じわりじわりと…しかし、確実に近づいていることを、乙梨疎道はまだ知らぬ。

 今年二十歳の疎道の息子は、ふだんから大酒をくらい、酔っては暴れて母や子供を泣かす父には、日頃から心を痛めていた。元来がおとなしいので、なかなか言い出せずにうじうじ悩んでいたが、父親の指の震えを見ては、さすがに、

 『このままでは父上は、ほんとうにになってしまう…』

 そう案じて、或る時、疎道へ向かって、

 「もう御酒はやめたほうが…」

 勇気をふりしぼり、たしなめた。

 例のごとく酒を飲んでいた疎道は、いたく機嫌を損じて、

 「うるさいっ」

 雷のように怒鳴って酒器を息子に投げつけたことだった。

 これが、きっかけとなった。息子は憤然――

 「いい加減しろっ!」

 疎道にとびかかっていった。ふだんからの鬱憤が、堰を切ったようにあふれ出た。

 あとは、取っ組み合いの喧嘩となった。

 「親に向かってなんだ!」

 「お前なんぞ、親と言えるか!」

 ふだんから酒に生気を奪われている疎道は、もう十分に図体の大きい息子に、腕力でかなわない。

 ――この家でいちばん偉いのは、まだ俺だ。

 息子に力で圧倒されながら、疎道は悔しさに歯噛みした。

 ――負けたくない。もう、負けたくない。

 でも、勝てそうに、ない。

 と…壁に立てかけた、杖が見えた。おっかなびっくりと歩くようになった疎道を気遣って、細君が持たせてくれたものだ。

 その杖を握りしめ、息子の額に振り下ろした。

 何度も何度も、振り下ろした。

 疎道の息子は、なんとも悲しくも情けなさそうな、苦悶の表情で気を失い…丈夫な木で作られた杖が叩き折れたころには、切れていた。

 ようやく己のしでかしたことに気づき、息子の亡骸を抱いて、疎道は呆然、へたりこんだ。

 酔いは、とっくに醒めている。

 ――それは、疎道には、わからぬ。

 「ああ、かわいそうな……すまぬ、すまぬ…―――」

 疎道は、動かぬ息子の頬をさすって、何度も何度もその名を呼んだ。今頃になって、息子がまだ幼すぎるほどに幼かった頃に、初めて立ち上がったのを見たときの誇らしさや、「ころんで痛い目にあいはしないか」とはらはらしたことを思い出している…

 どこかで、悲鳴が聞こえた。親子喧嘩なんぞ見ていたら、あとで主親子に叱られるだけだから向こうに行っていた家人が、部屋が静かになったので、おそるおそる様子を見に来たのだろう…知らせを受けた疎道の細君が、まろぶように息子の体にしがみついて、その名を狂ったような勢いで呼んでいる。


 疎道の息子は、急な病で死んだ。そういうことになった。



(※1) 『山吹の立ちよそひたる山清水 汲みに行かめど道の知らなく』…万葉集、高市皇子の歌。十市皇女への挽歌。

(※2) 蟇…ひきがえる。

(※3) 義政の正室・日野富子は、長禄3年に子を亡くしている。

(※4) 応仁の乱は、応仁元年(1467年)に始まる。

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