第10話 愛鷹山(10)


 「井澤殿。お待ちを」

 盛時の前を辞してすぐに、石頭斎は呼び止められた。振り向くと、大道寺太郎の笑顔があった。

 大道寺太郎は、主・伊勢盛時と同い年ぐらいの男で、背丈は人並みだ。顔立ちは、整っているほうだが、どこかとしていて垢ぬけず、…見るからに才気煥発な様子の盛時と、好対照をなしていた。

 「これは大道寺様。我等は、これから心を尽くして、懸命に働く所存です。至らぬところがあれば、ご教示のほどお願い致します」

 石頭斎は、深々と頭を下げた。

 「これは痛み入ります。貴公がそう仰せなのでさっそく申し上げるのですが、…井澤どの。殿は、『急げ』と仰りましたな」

 「はい」

 「ああした御方が、『急げ』と仰せなのです。、急いだほうがよいですぞ」

 石頭斎は、まじまじと太郎の物静かな顔を見つめた。そして、その温厚を取り繕っているおもてのなかの眼が、とてもつめたくえきっていることをみとめた。

 石頭斎は、そんな太郎に悪い印象を抱かなかった。この男は、他人の人となりを見極める必要性があるのだ。新しく同じ麾下に入った者ならば、なおさらだ。

 ――伊勢のお殿様に信頼されて、お側に仕える御仁とは、こんな眼をするものかな…こうでなければ、務まらぬか。

 悪人ではない。大切なことをわざわざ教えに来てくれたではないか。

 戦が、近いのだ。

 それをこの御仁は、今はすべてを言えぬがゆえ、このようにして教えてくれているのだ。親切心からしてくれたことだろう。

 「では、そのようにいたします。殿のお役に立てる者だけで急ぎ駆けつけ、足手まといの女子供たちは、その後を追うかたちにいたします…教えてくださり、ありがとうございます」

 にっこり笑って深々と頭を下げた石頭斎に、

 ――ああ、通じたな。

 と、太郎は満足そうな微笑を浮かべたことだった。

 「もう一つ、申し上げたいことがござる。『若い者の、いらぬ差し出口』と、私をうるさく思わずにいただけたら、嬉しい。たしかに、あなたがたの御為おためとなるはずなので、聞いてもらえませぬか」

 「はい」

 「あなたがたの家のいわれは、しばらくは口に出さぬがよろしかろう…某は、そう思うのです。あなた方は当人であるため、こうした感情とは無縁であろうが、武家に生まれた者は、滝野家という家が今も続いているということに、心安らかではおられませぬ。かつて、日本ひのもとに名を轟かせた英雄の末裔…すばらしい血筋だ。その立場に、憧れる者もおりましょう。仲間に欲しいという者も、いるやもしれませぬ。しかしですな。憧れはたやすく嫉妬に変じますぞ」

 「はい…」

 「某は、殿について都にいる時に、さまざまな男どもの足の引っ張りあいを見てまいった。それで、『女の嫉妬は恐ろしい』というが、男の嫉妬にくらべれば、そんなものは可愛い遊興に過ぎないことを知り申した。嫉妬は、たやすく憎しみにも変じますから、侍の世界では人の生き死にの原因となります。御家おいえの滅亡のもとともなりましょう。いまからむやみに、へんなねたみを敵味方に抱かせるのは、得策とは言えませぬ…そうは、思いませぬか」

 「仰るとおりですな」

 「戦であれ、狩りであれ、目立つものが真っ先に狙われるものです。戦場で、あの英雄の末裔と会った。もしもの首をあげれば、俺は周りに自慢ができる…そんな虚栄心を持つ者も、ござろう。そういう輩は、滝野の若さまが戦の経験のない者であっても、別に構いはしません。若さまの首は、そやつのよい手柄話となりましょう。口とは便利なものでしてな。あとで、年端もゆかぬ少年の首を、

 『いや、あの男は大兵だいひょう(※1)で、さすがに強かった』

 『百戦錬磨の、それはそれはおそろしい武者であった』

 などと、作り話をして、あとからいくらでも吹聴できるのです…そうなっては、『お家の再興』も『若さまのご本懐』もあったものではない。悲しみしか残らない。できるかぎり、そうならぬように布石をするべきと存ずる」

 「うむ。仰せのとおりでござる」

 「殿は滝野家のご先祖から、あなた方のことを頼まれておいでです。某は、あの軍神ともいえる御方が、我が主に、武家に生まれた者ならば願ってもない加護をもたらしてくれたことを、ありがたく思っています。そして、殿から、あなた方の面倒を見るよう命じられたからには、某もできる限りのことは精一杯せねばならぬと思っております」

 「はい」

 太郎は、大人しく己の言葉に聞き入っている自分よりも年嵩としかさの男が、どこまで己の言うことをにしているか、知りたくなった。

 「…わかってもらえますか。某は、『時を待ってほしい』と申しているのです。この地は、強き者が勝ち、弱き者は消えていくところだ。どんなに美しい看板があっても、実力がなければ看板ごと兵馬に踏みつぶされるところだ。そうでしょう…あなたがたは今、いたずらにあの輝かしいご先祖の名を上げて、人々の耳目を驚かすことをするべきではないのです。ご自分たちの力だけで、伊勢配下の中での地位を築くべきです。あなた方にその実力があればこそ、この太郎も、表立って力添えができましょう…おそらく、いつか滝野の武名のみならず、そのの勇名までを、我が主が欲することもありましょう。その日までは、口を噤んでおくことがお互いに良い。そうは、思いませぬか」

 「そうですな」

 「我等は、これから長い付き合いになるでしょうし、そのようになってほしいとも思っております。殿には某から、この件について申し上げてみようと思います…きっと受け入れていただけるでしょう。どうか、こうしたことを悪いほうへ取らずにいてもらえませぬか」

 すると――

 「そこまで考えておいでの大道寺様の仰ることです。どうして聞かぬことがありましょう。ご助言、ありがとうござる」

 石頭斎は穏やかにそう言って、再び頭を下げた。

 その様子に、太郎は、

 ――ものわかりの良い人物だ。

 と、ほっとしたようであった。そうして、先ほどよりも幾分うちとけた様子で、こんなことを問うた。

 「貴公…さきほど、殿の御前で庭を見て、『ここでものを喋ってよいのか』と気をまわしていたが、なぜでござる」

 「はい…忍びがいたからです」

 「それは、護衛のためにいた者ですが、…しかし、よくわかったものですな」

 「いえ…某の存じている忍びの者たちは、某の目の前ではあんなに大人しくないのです。そやつらが大人しいときは、勤めを果たしているときぐらいでござろう…それで、お味方か敵か、わかりかねましてな。いま思うと…は、某を『気を遣わなくてもよい、口うるさい爺』ぐらいにしか思ってないのかもしれません」

 「面白い方だ、あなたは」

 愉快そうに、太郎は笑った。


 大道寺太郎は、さっそく取って返すと、

 「滝野がことですが、しばらく、あの家のご先祖のことは世に伏せたほうが良いと思います」

 主・盛時にそう進言した。

 「それはなにゆえか」

 「井澤石頭斎がここで申したことが全てとして…いままで落魄らくはくして、戦と離れていた人々です。どれほどの能力があるかわかりませぬ。うっかりその出自をこちらが喧伝したものが、あっさり討ち取られては、こちらの恥となりましょう。また、石頭斎がここで申したことが全てであった場合…あやつらは、実力があれば生き残り、そうでなければ死ぬでしょう。こちらは何の痛痒つうようもありませぬ。ならば、こうしたことは伏せておくに越したことはない、と思うのです」

 石頭斎に話したこととは違う話を、太郎はした。

 「それもそうだな。よく言ってくれた…石頭斎には、おまえからうまく言っておけ」

 「はい。畏れながら…石頭斎はすぐさまここを立ち去るようでしたので、念のためにもう既に言ってあります。殿に別のお考えがある場合には、あとから『あれは某の老婆心であった』と某が石頭斎に謝って、これをただせばいいだけと思いまして…」

 「ふむ。どのように申したのだ。まさか、今ここで言ったそのままのことを向こうに申したわけではあるまい」

 もの思わしげに、盛時は訊いた。

 「『今から目立っては、若さまが敵味方に目を付けられて危ない』とだけ申しました」

 「うむ。それがいいな」

 さきほど太郎が盛時に語ったそのままが石頭斎の耳に入ったら、いくらなんでも嫌な心地となるだろう。

 「まあ、あの石頭斎は、相当に武芸の心得があるようですな…忍びが庭に潜んでいることを察するのは、慧眼けいがんでありました。言っておりましたが、あやつはそうしたものたちを飼っているやもしれませんな」

 「そうか…そうだな。そんなのも、おるやもしれぬ。先ほどの、『伯言和尚』のことがある。もう、なにを聞いても、俺は驚かぬよ」

 「まことに…面白き話でしたな」

 伯言和尚の正体がばれたときの石頭斎の表情を思い出し、太郎は笑った。

 「さて…井澤石頭斎が、どんな連中を連れてくるか。楽しみなところだな」

 伊勢盛時は盛時で、先ほどの石頭斎の様子を思い出し、どこか期待したようすで笑ったことだった。

 「そうですな。楽しみでござる」

 太郎も頷きながら、己の献策が受け入れてもらえたことにほっとしていた。

 大道寺太郎たち――西国から盛時に従ってきた人々は、盛時に己の浮沈を託している。

 その盛時が、

 「某、の末裔でござる」

 というような胡散臭うさんくさい手合いの口車に引っかかってこれを用い、それがあっという間に倒されたとあっては、盛時の面汚しにしかならないではないか。

 ――そうだ。悪くとるなよ、石頭斎どの。貴公も俺と同じ立場にあったら、俺と同じことをするよ。実力があるならば、自分たちのその力で這い上がってきなさることだ。でなければ、せっかく再び名をあげても、その先にあるのは凋落ちょうらくしかない」

 もうすでに帰路を急いでいるであろうへむかって、太郎は心中でそう告げた。



 (※1)大兵…大男のこと。



 お陰様で、第10話を迎えることができました。

 読者の皆様、どうもありがとうございます!

 これからもよろしくお願いします。

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