第6話 愛鷹山(6)
石頭斎には、幾人もの仲間がいた。なかでも心強いのは、
伯言は僧形であるため、どこへ行っても怪しまれなかった。そのうえ、このお坊さんは元来が自由気ままであけっぴろげな人柄のせいか、ただ大胆なだけか、どこに行ってもすっと…もとからそこにいたかのように、その場にとけこんでしまう。この役目に、ぴったりの男と言えた。
彼の行動範囲は、広かった。片田舎の山寺から都の
天と地のあいだの、この世の土地でさえあれば、どこへでも行ける…そんな伯言と都の
細川右京大夫――さきほどの会話に出てきた、管領・細川政元その人であった。
初めて出会ったのは、伯言からしたら昨年の秋のことであったが、政元は、
「じつはそれより以前に、この寺でお姿をいくどとなく見かけておりました…」
とのことであった。それでどうしても彼と知り合いになりたかった政元は、前もって…
「こんどあのお坊様がいらしたら、知らせてもらいたい」
そう、寺のほうに頼んでいたそうだ。
これを出会って数日後に政元の口から聞いて、
「世の中、どこで見られているかわかったものではありませぬなあ。うっかり鼻もほじれない」
伯言がのんびりそんなことを言うと、政元はただただ笑ってこれを受け流していたという。幼名が聡明丸といっただけに、彼は聡明な男であった。
こうして政元は、偶然を装って伯言と出会い、なんとなくの世間話を演じて、その顔見知りとなった。そうして、
「…ああ、この寺のご住職はあなたの古い知り合いなのですね。だから都にいるあいだ、あなたはここに寝泊まりしているのですか」
それも、伯言の口から聞き出してしまった。
政元は翌日にも、
「近くを通ったので、お会いしたく…」
とひょっこり彼のいる僧房を訪ねて現れた。そうして、伯言と取り留めのない話に興じた。禅道の話もあったし、戦や政治の話もあった。なかでも政元が目を輝かせて聞き入ったのは、伯言が今までにしてきた旅の様子であった。
「他の国からでも、富士の山はたいそうよく見えましてな。晴れた日に、近くの山々の向こうにひょっこりと顔を出す、そんな姿も良いものです」
「ほほう。ほんとうにいろいろなところへ旅をなさりましたな。みちのくのほうにも行かれましたか」
政元が尋ねると、一瞬、伯言はなんとも悲しげな表情を浮かべ、
「…そういえば、あちらにはあまり行きませぬな」
言葉少なに答えた。そうして気を取り直すように、彼が昔に旅先で起こした騒動を面白おかしく語って聞かせた。悪党が勝手に関所を作って銭を人々から搾り取っていたので、
「めんどくさいなあ。通っちゃえ、力ずくでよぉ。こういうのは、あたまのやつをやっちまえばいいんだ」
と、あたまのやつをぶちのめして通過したら、そやつがこんどは子分を集めてやってきたので、親分子分まとめて叩きのめしてさらに面倒くさくなったこと。
「とてもじゃありませんが、もう、あのあたりは歩けませんな。面倒くさがりは、いけません」
そう伯言が締めくくると、政元は楽しげに声をたてて笑った。
政元は、翌日もやってきた。その翌日もまた…おそらく今の日本でいちばんの権力者は、かくの如くに伯言を慕って、彼のいる寺を日参するに至り、
「え? 右京大夫さまがいない? それならあの寺にいるのだろう…」
そのように周囲に言われるまでとなった。
「一介の旅の僧のために、わざわざあなた様がお運びにならなくても。使いをやって、こちらへ呼びつければいいではありませんか」
そう諫めた政元の近臣もいたにはいたが、
「ばかめ、それがありがたい教えを乞う態度かっ」
と、かえって主の勘気をこうむったという。これを聞いて、
――困ったなあ。目立ちたくない…目立ちたくないよ…だって俺、間者の使命で来てるのだぜ。
伯言は困惑したが、まだ齢二十七の政元の、盲目的といっていいほどな尊敬の眼差しを受けると、
――いやいや…、こんな目ぇされちゃあよぉ…こんな若くて純粋なのを、邪険にしちゃいかんだろう。むこうは礼を尽くしてくれてるんだ。こちらも礼で応えんといかん…
元来が義理堅いこの男は、ついつい政元に対し、親身となってしまった。すると政元は、
「出来ることなら、ずっとこうしてあなた様と話をしていたいものです。我が屋敷に客人としてお招きしたいのですが、いかがでしょう。ずっと住んでいただいてかまいません」
そんなことを言い出した。
「いや、それはご迷惑というもの。いくら拙僧でも、そこまで図々しくはなれません。遠慮いたしましょう…」
日々、言葉を交わしているうちに、だんだん伯言も、政元が己に対して抱いている感情が
「旅の僧の世間話から、諸国の様子をうかがい知ろう」
人がそう思うのは、よくあることだ。しかし、政元の目的は、そうではない。ならば何なのか…寺の者の話によると、彼等について、都の人々の間にいろいろと噂が広まりつつあるようだ。
――これではいかん。あんまりこの
そう決意した伯言は、
――礼を尽くしてくれた相手だし、こちらも今までの厚意に礼を言っていかんとなあ。
と、いつものように、にこにことやってきた政元に、
「今までありがとうございました。そろそろ都を離れることにいたします」
真っ正直に、そう言ったから、たまらない。
「何故です? どうしてここを離れるのですか? なにかご不満でも?」
政元は、血相を変えて伯言に詰め寄った。
「不満なんぞございません。それどころか、旅の僧に過ぎぬ身に、今までこうも親身になっていいただき、感激に堪えません…ただ、もう行かねばならぬと拙僧が思うだけです。都を離れ、人のいない山河を歩きたくなりましてな」
「私は、あなた様のことを人生の師と慕っているのです。どうか私を見捨てないでくださいっ。我が屋敷がお嫌ならば、このうえは、あなた様のために大きな寺を建立いたしますゆえ、その主となり、どうか私の師として都におとどまり下さいっ。これからも、どうか…どうか…」
政元は、伯言にむかってすがりつかんばかりに頭を下げ、そんなことを言い出すに至った。
いささか持て余した伯言は、厳しい声となり、
「これは、ほかならぬ、あなたのためでもあるのです。あなたは管領という高い身分にある。若く才能に溢れ、頭もよい。あなたが本気になったら、今の天下がいかに乱れていようとも、たちまちのうちに安らかにしてしまうでしょう。諸国をめぐり、あまたの人々に接した拙僧が、『こんな賢い人物がいたのか』…そう驚くようなお方だ。そうだ。あなたは天才だ。理想高く、高潔でもある」
そう告げた。
「…」
手放しでほめられた政元は、伯言の意図をはかりかねて、じっと彼を見つめた。
「天からその才能を与えられ、今の立場にあるあなたは、後世の人々に感謝をもって称えられるような善政を敷くことができる。天が望み、民が望む世…太平の世を作ることができる。それは天から与えられたあなたのつとめと、拙僧は思う。もしあなたがまともに向き合って、これを成すことができたなら、人の世で最大の功だ。生きて名声を得て人に愛され、死してなお、その名を慕われましょう…これぞ男の本懐ではありませんか。あなたはそれをなさるべきだ。もう、拙僧にかかずらってはいけない。あなたはここを去り、あなたならではの、あなたにしかできないつとめを果たさなければなりません…わかりましたね?」
すると政元は、はらはらと涙を流して、こう言った。
(※1) 阿蘇山。
(※2) 鳥取県にある、三徳山三佛寺の
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