第3話 愛鷹山(3)

 「買いかぶってくれるのはありがたいが…お前は、その己が考えを他の者に話したか?」

 「…いいえ。若さまにも言うてはおりませぬ。某の考えは、一田夫いちでんぷが抱くには危険すぎます。漢の高祖にたとえられた御方のためにもなりません。某は、若さまに、こう言ってまいりました。『よっしゃあ、この爺が、若さまにぴったりの仕官先を探してまいります』と、それだけを。若さまは某の気持ち…若さまの前途に幸あれとこいねがう気持ちなど、まだ知らぬほうがよいのです。あの方は息苦しくなってしまうでしょう。『はりきり屋の爺は元気がよいなあ』と言っておいででしたが、それぐらいの心持で、某を待っておられるのがよいのです」

 「…そんなふうに大事に守られていながら、お前のは、お前を石頭いしあたまと言うのか」

 盛時の言葉は、どうしても若さまとやらをなじる口調となった。これに石頭斎はにこりとして、

 「長く同じ屋根の下で暮らしておりますと、なんですか…おそれ多いとわかっていても、あの方が己が孫のように思えてきましてな。こうなると、いけません。かわいくて、ついつい口うるさくなってしまいましてな」

 「それで、『この石頭!』か…」

 盛時は、小さく笑った。ひなびた村の片隅で、この男やその家族、元気な若さまとが、肩寄せあってけなげに暮らしている様子がたやすく想像できたのである。

 「若さまぐらいのお年頃は、難しいものです。周囲の愛情が鬱陶うっとうしく思えることだってありましょう。『世の中には素晴らしい栄達があるに違いない。冒険もあるだろう。今の暮らしをすべて捨て去り、それを探しに行きたい』と思うこともありましょう。同時に、その世間に存在する恐ろしい陥穽かんせい(※1)に気づき、怖くなることもあるやもしれませぬ…ただでさえ、若さまは悩み多き年頃なのです。某は、あの方の悩みの種にはなりたくありませぬ。気楽に相談ができる存在でありたいのです」

 石頭斎は、小さな眼にあたたかな光をたたえ、訥々とつとつ、そう言ったことだった。

 「ふうむ…」

 「しかも、二親ふたおやのない方です。はおやさしい方と、こちらでわかっておりますから、『この石頭!』と言われれば、『そんなことを俺に言っても、許されるほどに近しい仲と思っておいでか。よかった。若さまは、ご自身を独りぼっちとは思っていない』…こちらは、そう思って安堵するのです。世の中、よくできたものでしてな」

 「…若さまというのは、昔からの主従の絆を別にしても、お前ほどな男にそれほどまでに尽くされるだけの人物か」

 すると、石頭斎は誇らしそうに、

 「はい。そう思います。無論、我等一族は、気が遠くなるほどのいにしえより滝野家にお仕えしております。しかし、その忠義のほかに…某は、心をこめてお育てしたあの方が立身なさる姿を見たいという願いがあるのです。己が一生をかけて学んだ武芸や学問を、某は若さまにお教えしました。いつか若さまが名をあげ、お家を再興なさり、本懐を遂げられるときがあれば…某は、これほど嬉しいことはないのです」

 「そうか…」

 盛時は、しみじみ頷いた。

 石頭斎の話し方は、不思議な説得力があった。口下手ではない。しかし、巧言令色こうげんれいしょくでもない。都にいたときに耳慣れた、あのなんとも涼やかな響きは、皆無だ。そのかわり…ただただ実直で飾り気のない、誠の部分しかないような、そんな響きがあった。

 「ここ数か月、鬱々うつうつと塞ぎこんでいたあの方が、意を決したように、『じい、俺は仕官がしたい。戦で手柄を立て、再び家を興すのだ』――そう仰りました。正直なところ、『ついにこの日が来たか』と某は思いました。戦場なんぞ危ないと言って、聞くお方ではありませぬ。若さまには、荒ぶる血が流れているのです。さらに悪いことに、あの方がいちばん尊敬するご先祖は、預けられた寺を逐電ちくてんした後に名を成した逸話が残っているのです。某が反対すれば、ご自身もご先祖に倣って逐電なさり、行方知れずとなってしまうかもしれません…そんなことになっては、目も当てられません。なれば、『よしっ、某が仕官先を探してまいります』としたほうがよい…そう思いましてなあ」

 これを聞いて盛時は、

 「ふ、ふ…その若さまのご先祖は、よほど元気な方と見た」

 からからと――なんとも朗らかに笑った。

 「はい」

 「おしこめられた寺を抜け出したか」

 「そうなのです」

 馬鹿正直に、石頭斎は応じた。

 「ハハハ…」

 もう一度、盛時は心底おかしげに笑った。そうして、

 「この地に来て数年となるが、滝野という一族の話は、一度として聞いたことがない。そも、滝野とはいかなる一族なのか?」

 さきほどよりも親しげに、そう尋ねた。

 「じつは――」

 石頭斎は、かくしだてをしても始まらないことなので、訊かれるままに主の滝野家の歴史を盛時に語ってきかせた。そうして、義直の両親が去年はやり病で亡くなり、古くからの家臣である己が一族で義直を支えていることを最後に伝え、

 「本来は当人が伺うべきでありましょうが、こうした理由で、某が参りました。どうか…どうか、若さまに、世に出る糸口をお与えくださいっ」

 床に頭をこすり付けるようにして、再度、懇願するのだった。




※1 陥穽…おとしあな。

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