第35話 幸せな身分などない

 屋敷に着くと美羽は明日のパーティーで披露するからとピアノのレッスン、鷹徒は雫結達と同じ屋敷の家事ついた。


 屋敷の清掃作業も終わりかけ、部屋が夕日に染まる頃、鷹徒が担当した客間のドアが開き、燕に声をかけられた。


「狩羽君」

「んっ? 燕先輩、どうかしたんすか?」

「いえ、お嬢様から様子を見に行ってサボっていたら縛り上げて連れてくるように、と言われまして」

「酷い命令もあったもんだな」


 呆れながら窓を拭く鷹徒に、燕は聞いた。


「失礼ですが、狩羽君はお嬢様の事が嫌いなんですよね?」

「……そりゃあ、まあ」


 はっきりしない鷹徒に、燕は続けた。


「お嬢様の小学校へ行き、自分の認識が間違っていた、金持ちも結構苦労している……そう思っているのでは?」

「…………」

「貴方の言う通り、白鳥家のご令嬢であるお嬢様はいついかなる時も社会から優遇され、金銭面では何の心配も無く一生を終えるでしょう、ですが……」


 燕の声が強まる。


「白鳥財閥を守るために世界中を飛び回るお父上に会えるのは月に一度、電話で声を聞けるのは週に一度、その父を愛し共に世界を飛び回る母上様も同じ、美羽お嬢様のお兄様お姉様方は皆、年が離れており既に白鳥家の為に働いている方や海外へ留学している方々ばかり、会う事や言葉を交わす機会はごく僅かです」


 鷹徒の手が止まる。


「貴方の言う通り、美羽お嬢様は何の努力もしていないにも関わらず、ただ裕福な家に生まれたというだけで贅沢な暮らしをしております。

 ですが、その一方で望んで生まれたわけでもないのに、ただ生まれた家が裕福だったというだけで周囲から勝手なイメージを作られ、差別と偏見の目で見られ、妬まれ、怨まれ、憎まれ、まだ白鳥財閥の事業とはなんの関係も無い九歳の少女であるにも関わらず命を狙われ権力争いに巻き込まれる。

 稀に好意的な方がいたかと思えば全ては金目当て……」


 鷹徒は表情を曇らせる。


「いいですから狩羽君、これだけは言っておきます」


 燕の声に僅かな寂しさが含まれた。


「お金持ちは幸せなんて妄想ですよ……貧乏人のね……」


 曇った表情のまま、鷹徒は振り向いて燕を見た。


「何が言いたいんですか?」


「知ってもらいたかったんですよ、お嬢様の苦労を、あの方は昔から一人でした。ですがどんなにお金を持っていようと、どんなに偉くとも、お嬢様はまだ一〇にも満たない子供です。

 はっきり言えば寂しいのですよ、あの方は……

 お嬢様と周りの人間を繫ぐのはお金や社会的立場といったモノばかり、自分が人を繫ぎ止めて置くには権力を使うしかない、お嬢様はそれを幼い頃から理解しているのです。

 貴方方(あなたがた)に負担のかかる仕事をさせるのは寂しさの裏返しとでも言いましょうか、それに、沖之さんに辛く当たるのも、羨ましいだけなのですよ」


「羨ましい? あのガキが雫結を?」

「ええ、沖之さんは誰の命令でもなく、一切の報酬を払わず、自分の意思で尽くしてくれる狩羽(かりう)鷹徒(たかと)、貴方という存在がいるので、お嬢様はそういう方なのです」

「っで、なんでそれをわざわざ俺に言うんですか?」


 眉根を寄せて腕を組む鷹徒に、燕は声の力を抜いて、


「これは個人的な事ですが、貴方にはお嬢様と仲良くして欲しいのですよ」

「何で俺なんすか?」

「貴方がお嬢様に感情をぶつける事ができる人だからです。


 大抵の使用人は、お嬢様の命令を全て機械的にこなすでしょう、嫌な命令をされても黙って従うでしょう、ですから、本音をぶつけ合える友人のいないお嬢様には、貴方のような変わった執事が必要なのだと私は感じているのです。


 使用人は何も絶対的な上下関係に縛られたモノではありません、中には仕える家に溶け込み、家族同然の存在になる者もいます。

貴方なら、それに相応しい」


「買いかぶりすぎじゃないすか?」


 力強い声と目で、


「大丈夫です、貴方なら精神年齢がお嬢様と同じですからきっと上手くやれます」

「どういう意味ですからそれ!?」


 無視して、燕は真顔のままに言う。


「それと、妹のチームメイトに、お嬢様、ひいては貴方が将来仕えるであろう富裕層の方々の事を誤解したままになって欲しくなかったのです……では、私はこれで……」


 鷹徒に背を向けて、出口の前まで行くと燕は立ち止まる。


「とはいえ、貴方の言い分を否定する気はありません、確かに、世の中にはなんの罪も無く、どれだけの努力を払おうとも不遇の生涯を送る人もいます。

 その中にはあくどい金持ち達の食い物にされた人もいるかもしれません、とはいえ、私が申し上げた事もまた事実……」


 部屋のドアを開け、退室する間際、燕は置き土産に呟いた。


「きっと無いんですよ……本当に幸せな身分なんて……」

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