第26話 執事の怒り


「恥ずかしかったから……」

「はい?」

「だから……本当は、水着姿になったら、胸が目立っちゃうから……みんなに見られたくなくって……それで……」


 それを聞いて、鷹徒も顔を紅潮させて、目を反らした。


「そ、そうか、でもお前、運動系全部駄目なのに泳ぐのは上手いんだな」

「うん、てっきり……胸の分で水の抵抗が凄いと思ってたんだけど、実際水に入ったら、なんか体がフワッて浮く感じだったよ」

「浮く?」

「うん、浮いたよ」


 視線を雫結の顔からやや下げて、鷹徒は納得した。


「脂肪分だな」

「はう!」


 脂肪は水よりも比重が軽い、太っている人が水の中に潜れず浮いてしまうのは体に脂肪が多いからであり、雫結も、つまりはそういうことである……


「それで上半身を浮かせて泳ぐバタフライができたのか、でもあれって運動神経良くないと確かできないは……ず……」


 そこまで言って、鷹徒はある事に気付いた。


 中学校の体育の授業で行うのは短距離、中距離、幅跳び、高飛び、そしてバスケ、サッカー、卓球と走ったり上下左右に激しく動かなくてはならない競技である。


 鷹徒の記憶が正しければ、雫結はその場に立ったまま行うバスケのフリースローと野球のキャッチャーは悪くなかったはずである。


 そう、鷹徒は気付いてしまったのだ。


(ま……まさか雫結って……)


「どうしたの鷹徒君?」


 鷹徒は視線を雫結の顔に戻して、気まずそうに伝えた。


「あのさ、お前、本気で走った事あるか?」

「ううん、無いよ」

「なんで?」


 雫結の顔の赤みが五割増しになり、二、三度目を泳がせてから恥ずかしそうに口を動かす。


「その……胸が揺れて……すごく痛くて、だから……」


(やっぱりな……)


「あのよう、もしかしてだけど、雫結って運動神経が鈍いんじゃなくて、胸が大き過ぎて運動の邪魔になってるだけなんじゃないか?」


 雫結は耳から首元まで赤く染め上げ、自分の胸を抱きしめる。


「はうぅ……確かに、走れば胸が揺れて痛いし重いしすぐ揺れて体のバランス崩している気がするような、あっ、でもわたしが運動音痴なのって子供の頃からだし、小学校の時は泳げなかったよ」


「えっと、だからさ、泳ぎの練習してないのに泳げるようになってるわけだからそれは純粋な運動能力の成長であってだな……雫結は、多分運動神経と胸が同時に発達し始めたから、胸が運動神経の発達を丁度打ち消す感じで……大きくだな……」


 雫結は煙が出そうなほど赤くなって目を濡らした。


「あうぅ、やっぱりこんな胸、邪魔だよぅ……」


 思わぬバストトークに二人は顔を熱くしたが、次の瞬間に鷹徒が立ち上がった。


「って、こんな事話している場合じゃねえぞ! 早くあと一匹見つけねえと」

「そ、そうだった!」


 鷹徒は筋肉痙攣が直ったばかりの足を必死に動かして走り、雫結もチワワのリードを持つと後を追った。



   ◆



「っで、結局見つからなかったのね」

「「本当に、すいませんでした!」」


 屋敷の前で申し訳なさそうに頭を下げる鷹徒と雫結に、美羽は冷厳な眼差しを向ける。

 するとすぐに鷹徒は土下座をして敷石に額をつけた。


「頼む! 期日を延ばしてくれ! それが駄目なら俺も一緒に罰受けるから退学処分の申請だけは許してやってくれ!」

「た、鷹徒くん駄目だよ、わたしなんかのためにそんな……」


 土下座で頼む鷹徒、それを起こそうとする雫結、そんな二人のやりとりを見て、美羽は眉間にシワを寄せ、目を吊り上げる。


「お嬢様、わずか三時間の間に七匹もの犬を見つけるという結果だけでも奇跡に近いでしょう、最後の犬は我々のほうで捜索致しますので――」

「うるさい!」


 傍らに立つ燕を怒鳴りつけて、美羽は歯を噛み締めた。


「こんなやつ退学ったら退学よ! 七匹見つけた? そんなのそこの駄犬の力を借りてのモノでこの牛女一人の成果じゃないでしょ!」


 雫結を指差し美羽の叱責はなおも止まらなかった。


「そもそも主人のペットを逃がすなんてのがありえないのよ! それとも何? ウシチチ女はデカチチに栄養吸い取られて脳の成長止まってるのかしら?」

「あうぅ……」


 雫結は朱に染めた顔をうつむかせ、また腕で胸を隠した。


「そりゃそうよね、そんだけバカデカイ胸してたらマトモに頭が育つわけないわ、チチが重くて動きがノロマなら頭もノロマってわけね」


 鷹徒の指が敷石に突き立てられ、美羽の言葉が進むに連れてその指に力が入る。


「まっ、頭パッパラパーのホルスタインはメイドなんて夢見てないでさっさと牧場に行って乳搾ってもらえば? なんなら白鳥家が所有する牧場に送ってあげてもいいのよ」


 美羽は二人を見下ろしながら高笑いを始めて……

 ビキッ! と敷石に亀裂が入る。

 美羽の笑いが止まり、横に立つ燕の目が鷹徒に釘付けられる。

 敷石の亀裂は当然、鷹徒の指先から伸びたモノだからだ。


「てめぇ、さっきから聞いてりゃ何様のつもりだ……?」


 ゆらりと立ち上がり、鷹徒の目が鋭さを増した。

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