第6話 交通事故


 ウサギ小屋に入ると、すぐに朝俊たちはウサギを可愛がるのに夢中になってしまう。


 全身を覆う毛が白くて目が赤いウサギはふわふわのむにむにで、まるくて愛らしく動くのだ。花憐と雛実なんかはぬいぐるみのように胸に抱きしめて、頬ずりまでしている。


 朝俊は自分もウサギの頭をなでながら、楽しそうな花憐を眺めて、来てよかったと思った。さっきまではビクビクしていた直樹も、ウサギを抱きしめてご満悦の様子だ。


 そして肝心の美涼は、一羽のウサギの側にしゃがみ込むと、赤い瞳でウサギを見つめる。美涼が右手をおそるおそる伸ばすと、ウサギの白い毛先と美涼の指先がふれあった。


 途端に、美涼の目が反応する。美涼に背中を触られて、ウサギは美涼の足下にぴょんと近寄り、頭をこすりつける。


「はわわぁ……」


 美涼は両手を頬に当てて、幸せそうに顔をとろけさせてしまう。見ている側が一目で分かる程、美涼は胸をキュンキュンさせていた。


 ――美涼も喜んでいるみたいでよかった。


 朝俊は素直にそう感じだ。ただ、悟理だけがウサギを愛でず、何故か草むらのほうをチラチラと気にしているのだけがひっかかる朝俊だった。


 そして、しっかりものの悟理がこんな状態だからこそ、それは起こった。


 キィ と、か細い金属音が鳴る。朝俊たちはウサギ小屋のドアを振り向いた。


 開いたドアがぱたんと閉まる。金網の外を、一羽のウサギがぴょこぴょこと走って行く。


『あぁああああああ!』


 朝俊たち六人は、慌てて外に飛び出した。悟理だけが冷静に、これ以上ウサギが逃げないようにと気を配った。金網に立て掛けてあった板切れをドアに立て掛け、開かないようにしてから朝俊たちの後を追った。


 この銀鉢幼稚園は、周囲をぐるりと緑色の金網で囲まれている。ウサギは金網まで走ると、金網に空いた小さな穴から外に出てしまう。


「「待って!」」


 花憐と雛実が大きくジャンプ。金網に飛び付くと、猛スピードでよじ登って行く。朝俊も金網に手足をひっかけて登り、悟理が素手で金網を引き裂き外に出た。


「緊急事態だ。ここから行くぞ!」


 美涼と直樹が悟理に続く。花憐と雛実も金網から降りて、悟理が作った穴をくぐった。


「え? みんないまの、え? ちょっ、金網……」

「よし、それでウサギは?」


 朝俊を無視して花憐が首を回す。道路を挟んだ反対側の歩道にウサギを発見。ウサギは耳を動かしながらキョロキョロしている。みんなが急いで走り出して、悟理が怒鳴る。


「危ないっ‼」


 悟理が朝俊たちの前に飛び出して車にはねられた。悟理の体は放物線を描いて十メートル以上も飛んでからコンクリートに叩きつけられる。


『さ、さとりくぅうううううん!』


 悲鳴を上げる朝俊たち。車は止まり、運転手は慌てるが、周囲に大人がいない事を確認すると走り去ってしまう。三歳児にしてクラスメイトがひき逃げされる現場を目撃してしまう朝俊たち五人。五人の人生経験値はいま、モーレツな勢いで溜まってゆく。そして、


「今のがトラックだったら大変だったな。勝手に道路に飛び出すなよ。じゃあ先を急ぐぞ」


 悟理は言いながら立ち上がると、親指でウサギが逃げた方を指していた。


「え、ちょっ、悟理、今の大丈夫なの!?」

「ん? 無傷だ。それよりさっさと行くぞ」

「そうよ朝俊、さっさと行くわよ!」


 花憐に促されて、朝俊の胸を哀愁が通り抜ける。


 ――僕が悪いの? 僕が変なの?


 三歳児の花憐たちは、何も気にしていないようだった。


 そうしてこうして、朝俊たちはウサギを追い掛けるが距離が縮まらない。ウサギは朝俊たちが近寄るとパパーっと離れて、また近寄るとパパーッと逃げるの繰り返しだ。


 幼稚園児の足では、いい加減疲れてくる。朝俊が弱音を吐いた。


「なんか、捕まえられる気がしないね」

「ウサギの最高速度は時速七〇キロ。オレらじゃ普通に走っても追い付けない」

『じそく?』


 朝俊たちがオウムのように返すと、悟理は無感動に答える。


「一時間走って七〇キロメートル移動できる速さって意味で。おい、ウサギが止まったぞ、今度はゆっくり近づこう」


 朝俊たちは『じそくってなんだろう』と思いながら、悟理の提案通り、今度は歩いて近寄る。悟理以外はみんな、


『うごかないでねぇ……』


 と小声で言ってしまうのは、可愛い幼さのせいだろう。

 朝俊たちの思惑通り、今度は近づいてもウサギがすぐには逃げない。ついにウサギまでの距離が一メートルまで縮まり、朝俊たち六人の園児にあわい期待が宿った。


 ニャーゴ! チィ! タッタカター!


 民家の塀から猫が降ってきて、驚いたウサギは走って逃げた。猫もどこかへ走って行く。


「っっ朝俊! あの猫をつかまえましょ! あの猫にはおしおきがひつようだわ!」

「花憐、もくてきを見うしなわないで!」


 両手をぶんぶんと振り回しながら猫を追いかけようとする花憐。朝俊は花憐をうしろから抱き締めて、なんとか押さえる。

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