第5話 月山②
不吉な夢を見て朝海は目を覚ました。
朝海は自身の身体を手で触り、昨日帰って着替えずにスーツのままでふろにも入らず寝てしまったこと、玄関のドアを施錠せずに意識が飛んでベッドに倒れ込んだことを思い出した。
全身汗だくになりスーツが鬱陶しく体に纏わりついていた。
すぐに熱いシャワーを浴び、彼は気持ちの身体をリセットしようとした。
「まさか、誰かに追われて捕まる夢を見るなんて。俺は月山の言っていたことが本当だと思っているのか」
シャワーを浴び、浴室から出て彼は下着だけを身に付けた。
リビングで独り言を言いながら朝海はケトルでお湯を沸かす。
ブラックコーヒーを毎朝飲むのが彼の日課だった。
白磁のコップにインスタントコーヒーの準備をし、リモコンでテレビを点ける。
ニュースがやっている。
彼は何気なくテレビに目をやる。
テレビではどこかの国が戦争を始めて人が殺されたというニュースが流れている。
朝海は沸騰した湯をコップに並々注ぎ、香りを嗅ぐ。
普段はこの香りで癒しを得るのだがそんな感興は少しも起きなかった。
テレビの向こうではリポーターが声を荒げて現場の窮状を訴えている。
「対岸の火事か」
朝海は独り言を呟くとコーヒーに息を吹きかけて冷ましながらちびちびと飲んだ。
コーヒーの苦みを感じられず味のしないその真っ黒な液体を彼は努めて空にしようと思った。
その次の瞬間、彼の手からまだたっぷりコーヒーが入っているコップが零れ落ちた。
コーヒーが豪快に彼の足元を黒く汚し、コップが粉々に割れて破片があたりに散らばった。
彼はテレビの前で棒立ちになっていた。
テレビでは戦争のニュースが終わり別のニュースを映していた。
「そんな嘘だろ?」
朝海の足は熱々のコーヒーでびしょ濡れになり、火傷していた。
その足が氷水に突っ込んだかのように戦慄いていた。
そのニュースは流れている時間こそ短かった。
しかし、彼は次の芸能人の自殺を取り上げた内容に変わっていてもそうやって突っ立っていた。
やがてニュースがうなぎパイの値上げのニュースに話が変わり彼は我に返った。
「そうだ。ウナギだ」
彼はスマホでウナギに関して調べ始めた。月山がウナギを食べた理由が気になって仕方がなかった。
「そういうことだったのか」
彼はテレビを消して昨日のことを思い出した。
「レオナルドダヴィンチの最後の晩餐にウナギ料理があった。つまり月山はキリストのように自身が誰かに殺されることを伝えたかったのではないか」
そう考えると朝海は月山が安価で美味しいナマズでなくわざわざウナギを食べたこと、そして自分にはウナギを食べさせなかったのかを理解できた。
月山は自身の死を悟りながら朝海の死は望んでいなかった。
朝海は目の奥が熱くなりそこでやっと涙が流れた。
「月山が死んだ」
彼はうわ言のように言い、その場で膝から崩れ落ちた。
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