第4話 朝海②

「何も聞いてこないんだな。君は」

月山が妙に優しい声で口をゆがめて笑うと朝海は小さく頷いて見せた。

「そんなに俺の様子が怖いのか」

月山は朝海から目を離し、虚空を見つめて言った。

深い溜息を吐くと月山は煙草を灰皿に押し付けて火をもみ消した。

「へい。羅生門と鍛高譚お待ち。焼き鳥とウナギ、それからナマズはもう少々お待ち下せえ」

河童はぷるぷると震える手で酒を置くと逃げるように裏へ引っ込んだ。

月山は乾杯もせず羅生門を啜るように飲んだ。

「あれは今から2カ月前のことだ。俺は誰かに後をつけられていることに気が付いた。俺には始め心当たりがなかった。自分の勘違い、自意識過剰だと思った。その頃は丁度仕事でバタバタして精神的にも肉体的にもかなり疲弊していた。神経が過敏になっていてもおかしくなかった」

月山はそう言い終わると再び羅生門を一口飲んだ。

朝海は黙って頷いていた。相槌で言葉を発するべきなのだろうと思ったがとてもそんな気持ちにはなれなかった。

彼は月山の話すことがとてつもなく不穏で自身の身にも不幸が降りかかるのではないかと身構えてしまいそんな余裕がなかった。

「へい。焼き鳥モモ、ムネ、レバー、セセリ、ハツ、ナンコツ、スナギモ各一本です。熱いうちにどうぞ」

河童が真っ白な陶磁器の皿に焼き鳥をのせてきた。

焼き鳥のたれのいい匂いがして朝海は口の中で唾液が湧き起こる自分を不思議に思った。

「こんな状況でも食欲は湧くんだな」

心の中で苦笑して彼は自身と月山の間に置かれた焼き鳥に目が釘付けになっていた。

「勘違いであって欲しかった。だけど、本当に俺の後をつけている奴がいた。そしてそいつは俺の命を狙っていることも俺は知った。俺は知らず知らずそいつの恨みを買っていたのだ。俺はそいつの人生を台無しにしたらしい」

月山はそこまで言うと羅生門を飲み干し、ハツに手を伸ばした。

朝海はそれに合わせて鍛高譚を一口飲み、同じようにハツに手をやった。

月山はそれを優しく眺めていた。朝海はハツのうまさにしばらく気づかなかったがやがて我に返りその眼差しの異様さにおぞ気を覚え、身震いした。

ふふっといたずらっぽく笑うと月山はハツを物凄い勢いで

流し込むと赤ワインと丸パンを注文した。

朝海は居酒屋でそんなものを頼む月山が異様に思えたがここまで

妙な言動をしている月山なら何をしてもおかしくなかった。

月山は黙々と焼き鳥を食べ始めた。

朝海もそれに倣った。

月山が焼き鳥に手を伸ばしてから自身も同じ種類の焼き鳥を食べた。

先ほどのハツのように美味しいはずの焼き鳥が何も味がしなかった。

朝海は鍛高譚で噛み切れない焼き鳥を飲み込みながらナマズが来るのを待った。

気を利かしてか河童が次は何を飲まれますかと聞いてきた。

朝海は梅酒のロックを頼みながら早く酔いが回ればいいのにと思っていた。

すぐに梅酒のロックが運ばれ朝海はそれを一気に流し込むと清酒はないか

と聞いた。八海山ならありますがと河童が間髪待たずに答えた。それでいいと朝海は言って梅酒のコップを河童に突き出した。

ロックでよろしいでしょうかとコップを受け取りながら聞く河童に対して朝海は熱燗でくれと静かに言い、空いた手で焼き鳥を手に取った。へいただいまと言って河童が去る前に朝海は既に焼き鳥を口に入れていた。

やがて焼き鳥ののった皿は空になった。

それに合わせて河童が姿を現し、その皿と入れ替えにナマズとウナギの蒲焼きののった皿を朝海と月山の前に置いた。

「熱いのでやけどには気を付けてください」

河童が言い終わる前に月山はウナギを貪り食い始めた。

朝海はその食べっぷりに圧倒されたが香ばしいナマズの香りには勝てず自身も一口二口とナマズに箸をつけた。

「うまい!」

朝海は思わず大きな声を出してしまった。

月山はニヤリと唇を歪めて笑った。

熱々のナマズの身をほぐしフーフーと息をかけて十分に冷ましてから口に入れる。

「ウナギよりうまいんじゃないですかこのナマズ!」

朝海の言葉を聞き、河童が近寄って話し始めた。

「うちのナマズはそんじゃそこらにいるどぶのナマズじゃなくてイワトコナマズっていうナマズの中でも泥臭さがなく美味なやつをわざわざ厳選して仕入れているから下手したらウナギよりも旨いよ」

饒舌にそれでいて胸をそらせて自慢げに話す河童に朝海は始めて感謝の念を覚えた。

それと同時になぜ月山はこのナマズの存在を知っておりながらわざわざ2倍近くの価格がするウナギを頼んだのだろうと訝しげに月山の横顔を眺めた。

「俺だってウナギよりナマズが好きさ。コスパもいいしな。だけど言っただろ。今日は最後の晩餐になるかもしれない。どうせ避けられぬ死が来るのならあえて高級な食材を胃に入れてからその時を迎えてもいいのかなと思っただけさ」

月山は諦めたように溜息を吐き、微苦笑を浮かべた。

「助からないんですか?」

朝海の素朴な質問に月山は首を左右に振りながら無理だと小声で言った。

「お前も気を付けろ!俺はいつ殺されるか分からない。お前もそうだぞ。今思えば俺は人から恨まれるような仕事の仕方をしていたのかもしれない。考えてもみろ。俺たちの仕事を。俺たちの紹介する仕事は基本的にきつくて条件が悪い。離職率も高いし、職場環境もお世辞にもいいとは言えない。自社のホームページや求人広告会社の求人サイトや情報誌で人が集まらないクソ仕事だから俺たちのような紹介会社に高い紹介手数料を払ってでも人を入れたいんだよ。人を入れても定着しない、入れ替わりの激しい会社に俺たちは今の仕事を続けるか悩んでいる若者をぶち込んでいるということを忘れるな。俺たちのやっていることはあこぎな商売なのさ。お前もそれが分かったならこの業界から足を払った方がいい。人の人生を無茶苦茶にしたり、そのせいで人に恨まれたくないだろお前も。俺は俺の次にお前が殺されるんじゃないか、そう思えて声をかけたのさ。何、俺の虫の知らせだ。他のやつよりもお前はぶち込んでいる量が多いし、うまいこと言ってその気にさせて案件に人をぶち込んでいるから俺のように恨みを買っていてもおかしくないと思ってな。とにかく、お前ともこの世ともさよならだ」

月山は時々間を置きながら朝海の目を覗き込むようにして話した。

月山の長い話に朝海は釘付けになってしまい、その間瞬きを忘れていた。

月山の話が終わると同時に赤ワインのボトルと4個丸パンが入ったかごが運ばれてきた。

月山は意味ありげにわざとらしく笑って見せた。

それからワインを羅生門の入っていたコップに無造作に注ぎ、再び一気飲みした。

そして丸パンを一口齧った。

パンを飲み込むと月山は朝海の目を覗き込んで再び話し始めた。

「何回か俺の家のポストに殺害予告が届いた。チラシや無料雑誌から文字を切り抜いて作った手紙だ。もちろん差出人は不明だ。月山、お前は俺の人生を無茶苦茶にした。俺は不幸だ。お前に仕事を紹介されたせいで俺の人生は地獄へ変わった。お前も地獄に落ちろ。まあ、俺が殺してやるからせいぜいそれまでお前の好きなビジネスとやらを存分にやるがいい。そんなことが書いてあった。俺は震えたよ。俺は人のために役に立っている、ビジネスで人助けをしているという認識があった。それだけに自分の仕事が人を不幸にしたという事実が許せなかった」

月山が話している途中に八海山の熱燗が届き、朝海は盃を舐めるようにしてちびちびと飲み始めた。

「俺には心当たりがある。もちろん、その心当たりはそいつから殺害予告が来るまでは気付かなかったものだ。それにその心当たりは外れているかもしれない。とにかく俺はその男の顔を思い出したわけだ。そして名前も。名前に関しては電話帳に残っていたし、顔に関しては俺の後をつけている時にちらっと見て印象に残っている。顔にひどいニキビと深いシワがある年齢よりも老け顔の男だ。生気のない無表情の能面男だった。声に覇気がなく、鈍臭くそれでいて何のとりえもないクソ人材だった。案件にぶち込むのに苦労したよ。唯一ぶち込めた案件はブラックなことで有名だった。その案件もそこの社長の不正で消え去った。つまりその会社は潰れたわけだ。男が俺を恨んでも仕方がない」

月山は段々と目が据わってきた。酔いが回ってきたのか呂律も危うくなり、ところどころ朝海には聞こえなかった。

「でも、そんなクソ人材ならクソ案件しかないのは当たり前じゃないですか。それなのに逆恨みだなんて。月山さんは少しも悪くないのに」

朝海は月山を弁護した。それは何も月山のことを思ってではなかった。そうすることが朝海自身の仕事を肯定することであった。朝海は自身の仕事を虚業、人を泣かす仕事だとは思いたくなかった。しかし、そうなのかもしれないという思いが今、彼の頭の中を支配していた。しかし、彼にとってこの仕事を手放すことは惜しいことだった。彼はこの仕事で成果を出していることもあって適職だと思い、その仕事を自ら手放す気にはとてもなれなかった。

「それがそいつの望んだことなら良かったんだ。だが、その時の俺はノルマや営業成績のことしか頭になかった。俺はあと一人案件にぶち込めばオフィスでナンバーワンセールスとして表彰され、報奨金の10万円を得ることができた。俺は俺自身の目先の利益のために転職に乗り気でないその男をたぶらかしたんだ。男は現職に不満があった。しかし、その不満は転職で必ずしも解決されるものとは言えなかった。現に男は俺が見て大した人材でない癖にそれなりにいい待遇を受けていた。転職する必要などなかったと今になって思う。この世の中には転職してキャリアアップ、人生が好転、上昇する人間もいるがその一方、転職してキャリアダウン、人生が暗転、急降下する人間もいるんだ。俺たちは人を転職させることはできるがその後の人生に責任を持つことはできない。その人間が成功することを約束できない。その人間がどんなひどい目に合っても苦しんでも何もすることはできない。お前もそれだけは覚えておけ」

月山はそこまで言うとパンをガツガツと食べた。

そしてワインでそれを流し込むと大きなゲップをした。

「男は転職することに不安を感じていた。どちらかというと保守的で警戒心が強く神経質な男だった。今よりも精神的、肉体的に楽な仕事をしたいと言った。男は親のコネで入った業界で中堅の位置にある商社の倉庫で在庫管理をしていた。パソコンでの事務処理と必要なアイテムを台車でライトバンに積み込むという軽作業をメインでしていた。残業が月20時間あり、そのことに不満もあった。男は多少、手取りが減っても残業をゼロにしたいと言っていた。俺がぶち込んだ案件は残業が少ないと聞いていたが実状はみなし残業で月の残業時間が50時間あることを後で知った。仕事内容も倉庫管理の責任者で肉体労働がほぼないという話だったが実際は常に人手不足で膨大な事務処理をしながらも自ら現場でアイテムを抱えて走り回るという肉体労働が頻繁だった。簡単にいえば求人詐欺だ。流石に俺もそのことを知っていればぶち込むことはなかったかもしれない。しかし、定着率が低く、ベンチャー企業で安定しているとはいえない素人が見てもクソ案件であることは確かだった。俺はそこにあることないこと吹き込んで男をぶち込んでしまったんだ。男は最後まで心配していたよ。本当に転職して良いのかと。俺は絶対に後悔はさせない。もし万が一何かあったら俺を恨んでもいいよなんて笑いながら言った。冗談のつもりだった。ほんの軽口だった。俺はその言葉を男のことを思い出すまで忘れていた。あの男はその言葉を根に持っているのかもしれない」

朝海の額から冷や汗が流れた。俺のやっていることもそうなのかもしれないとは言えなかった。

ただ、そんな馬鹿なことで殺されてたまるかと思った。

「お前も自分に言った言葉に責任を持てよ。口は災いのもとだ。俺が死んだら次はお前の番だ。この言葉だけは忘れないでくれ」

月山はそう言うと席を立ちあがった。目は完全にここではない何かを見ているように虚ろで朝海は月山の言っていることが本当なのかもしれないと思えてきた。

「俺はもうここを出る。お前も夜道には気を付けろよ。お金は俺が払っておく」

月山は朝海を見ずに言った。背中を向け河童に向かって挙手をして会計のアピールをしていた。

「そんな。俺も払います。こんなうまい焼き鳥とナマズをご馳走してもらったのにそれは困ります」

月山は振り向いて朝海に微笑を見せた。

「それなら割り勘でいいか。端数は俺が払うから残りを払っておいてくれ」

優しい口調で月山は言うと河童にお金を渡して去っていった。

朝海はあっさりと月山が割り勘を許したことが拍子抜けですぐさま月山の後を追うように河童の前に行った。

「お会計4219円です」

河童は朝海の顔を見ずに言った。朝海もそれは気にならなかった。

これだけ美味い料理を食べてこの値段なら安い、また一人飲みしに行こうとも思った。

彼はダメもとでクレジットか電子マネーでと言った。

河童はわざとらしく笑ってうちはあいにく現金しか扱っておりませんでと言った。

朝海は仕方なく財布から探して丁度のお金を出した。

彼はお釣りを貰うのが嫌いだった。丁度で払えないことが気にかかるたちであった。

「4219円ちょうどいただきます。またお越しくださいませ」

河童が言い終わる前に朝海は走り出した。

店を出て月山の後を追おうとした。

しかし、もうそこには月山の姿はなかった。彼の足跡を追おうとしたがスマホのライトで地面を照らしてもそれは見つからなかった。

いつのまにか雨が降っており、彼の身体を冷たく打った。

濡れて冷える身体を縮めて朝海は諦めて家路を急いだ。

月山の言葉が雨と同じく体に突き刺さり、しみ込んでくるように感じた。

「次はお前の番か」

朝海は酔いと寒さで震える身体に鞭打ちながら独り言を繰り返し、全速力で走っていた。












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