第4話 集合 - perspective B -1
加藤はバスに飛び込み、冷房で一息をついた。今年は暑すぎる。9月になっても気温が下がる気配がない。自転車でトレーニングに出るのも早朝か深夜でないととてもじゃない。仕事で乗れる時間が減って学生時代のような走り込みが出来ないから少しでも乗れるときに乗りたいけど・・・
加藤はチーム「Tiny Flippers」の人力飛行機パイロットである。まだ人力飛行機で飛んだことはない。学生時代もパイロットに選ばれたが、競技会の書類選考を通らなかったチームは加藤の機体を完成させることが出来なかった。加藤自身はそれは仕方ないことと納得しているが、競技会を通じて知り合ったみんなが目指した場所がどういうところなのか、いつか知りたいと思っている。
「・・・次の停留所は泉原です」
はっとなって加藤は意識を取り戻した。慌ててボタンを押す。バスに揺られているといつの間にか寝てしまう。
「次、止まります」
ほっとして荷物を確認する。飛行場にいる夢を見た。でも自転車用シューズの金具が緩んでいて漕いだら外れてしまった夢だった。途方に暮れていた感覚が残っていて気持ち悪い。
まもなく泉原バス停に着いた。バス停の周りは畑に囲まれ何も無い。向こうに見える高校のためのバス停なのだろう。10分ほど歩いて支線の道に入り、竹藪のアーチをくぐって右に曲がると作業場である。門がしまっている。まだ誰も来ていないようだ。これからトラックが来るから門を開放して建物前のスペースに止められるようにする。ちょっとさっきの夢が気になるのでクリートの締め直しをしておこうかな・・・
作業場の建物正面の扉を開けて入り、明かりをつける。左手の農作業機置き場だったエリアに大きな箱が二つ、右手に8畳ほどの座敷がある。座敷に荷物を置き、シューズを取り出す。クリートは3本のボルトで止めるタイプを使っている。いつも自転車に乗るとき使っているから問題は無いはず。加藤はクリートを少し強く押してみたがびくともしなかった。少し安心して、ボルトを締めるアーレンキーを出そうと工具置き場に向かおうとしたとき、外からタイヤが砂利を踏む音がした。
「ギリギリアウトだな。カズさん」
「渋滞があったんだよ。」
「駅前はいつも混むだろう。」
吉田さんは和樹さん、従ってカズさん。加藤はそう呼んでいた。なお、チーム内でカズさんと呼ぶのは加藤だけである。吉田がチームを作ったとき、これに参加することは加藤にとって自然なことだった。パイロットがいなかったからパイロットをやりたいと言った。これも加藤にとっては自然なことである。
「まだ二人か」
「ですよ。自分もきたばかりだけど」
「さっきはアウトって言った」
「アウトはアウトだよ」
加藤は一本前のバスを使っていた。昼の駅前は混雑して大体遅れるのを見越していた。もちろん吉田のことを責めているわけではない。
2人は作業場のシャッターを開けた。作業場の中には二つの大きな箱が置いてある。それぞれの箱には四隅に車輪がついている。吉田が土台を箱にする、と言ったときはそれは何だろうと思ったが、確かに箱にしてしまえばデリケートな人力飛行機の保管や運搬に向いているかもしれない。本格的に運ぶのは初めてだから新たな問題が生じるかもしれないけど。
吉田がシャッターの外にトラックを止め直す間に加藤はウインチとスロープを取り出してきた。
「荷台にウインチ置いた」
「分かった」
加藤は荷台にスロープをかける。スロープは2本の板でその上を車輪が通って荷台に翼箱が上がるのである。加藤は慎重に間隔と平行を確認した。ここが狂っていると箱が途中で落ちてしまう。
「ウインチ設置した。フックかけるよ。」
荷台から降りてきた吉田の手には、ウインチのベルトの先のフックがある。翼箱からはリング状の金属パーツが突き出ている。アイと呼ぶらしい。吉田はフックをアイにかけ、荷台のウインチへ戻っていった。
「それじゃウインチ引くぞ。箱の方向コントロールよろしく」
「分かった。まかせろ」
加藤は箱の向きをみて満足した。まっすぐ進めばスロープにそのまま乗るはずだ。左右のちょっとしたズレだけ気をつければいい。
カカカっとラチェット音が響く。吉田がハンドルを回すとウインチのベルトがぴんと張り、主翼格納箱が動き始めた。程なくしてスロープに車輪がかかり上り始める。加藤は前輪に集中する。
「よーし、車輪左右位置OK」
声に応じて、ウインチの引きに力が入る。傾斜に入るので力が要るし、慎重になったのだ。カチカチカチ...
加藤はスロープの板の真ん中を車輪が通っていることを監視している。前輪は大丈夫。あれ、後輪はちょっとずれているな。すこしゆがんでいるのかもしれない。
「後輪もまもなく乗る。ちょっと右に振る...よしOK」
カズさん、合図に合わせてうまい速度だな、と思いながら加藤はスロープ上の箱に手を添えて様子をみている。順調である。まもなく荷台に載る。あと20cm、15cm、10cm、5cm...
「ヨシ乗った!」
吉田が箱の陰から顔を覗かした。ほとんどトラックと箱に挟まれている。
加藤はもう一つの箱をトラック荷台の延長上に転がした。キャスターはないので行ったり来たりしながら少しづつ位置を合わせるのである。そうしたら吉田はウインチでトラックの上に引き上げる。
「箱を乗せるのは簡単なんだが、まだ誰も来ないのか...」
ウインチを巻き上げたところで思わず吉田のぼやきが聞こえる。加藤は言った。
「まだ来ないよ」
「なんで分かる?」
「チームSNSに連絡あったよ」
カズさん、テストフライトのことで頭いっぱいだな。
「後はタイダウンして固定だね。ツール類はエノッチとかみんな来てから一緒にやろう。買ってきてもらったものも入れないとね」
「分かった。そうしよう。今日は飛ばしたいからしっかりやりたいんだ。」
「そんなに構えるなって。飛ぶときは飛ぶよ。カズさんの作った飛行機だから」
「狙って飛ばしたいんだ」
加藤は、なるようにしかならないから、焦らなくていいよ、と思ったがそれは口にしなかった。でも今日、俺は指示通り漕いで機体をさらに完成に近づける。そうしたら次は飛べるはずだ、と考えていた。今やるべき荷台の固定に加藤は意識を集中させた。
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