既婚中年哀愁物語

ざくろ山

既婚中年哀愁物語

 駅のホームで電車を一本見送ると、帰りはかなりの確率で座れることが会社が終点近くにあることを感謝する最たる理由だ。端の席に座れなくてもやわらかいシートに身を預けることが出来ただけで、体中のこわばりが少しずつほぐれていき、ほっと安らぎすら覚える。入社してから15年、中堅の域を脱し始めこれからだという年代なのに、最近やたらと疲れるようになった気がする。帰るころにはいつもへとへとだ。今年から管理職に上がって年収も増えたが任される仕事量や責任がどんどん増していることが原因だろう。フレックスタイムのおかげで始業時間は早くなっても、帰る時間はなかなか早くならない。時間外労働が増えても手取りが変わらないというのは管理職の辛いところだ。

 一駅二駅と進むにつれて乗客がどんどん増えてくる。電車が地下から顔を出したころには、座席は完全に埋まり、つり革を持って宣誓をするみたいな格好の人間がずらりと並ぶ。この時間だ、みんな残業明けで顔から表情が失われている。目の前に立ったサラリーマンが大きなため息が漏れだしたので、不意に顔を上げてしまったところ、恨めしそうな視線を投げかけられた。だがそんなことに腹を立てたり、気に病んだりする必要はない。むしろ、私は彼に感謝している。最近は換気のために冬だろうと関係なく窓が開けられてから、吹き込む風のせいで社内でも外気と変わらないくらい寒くなる。そんなときに彼のように立っている人が風よけになってくれるから、快適に帰ることが出来るのだ。

 とはいえ視線を受けたままというのも居心地は良くないので、静かに目をつぶるとしよう。色々な本や動画で帰りの電車で寝ることは、睡眠の質を下げるので最もやってはいけないことの一つと言われているが、この心地良い揺れに疲れた体があらがえるはずもない。意識がゆっくりとシートに溶けて行く中、私は夕飯のことを考えていた

 冷蔵庫の中にはひき肉があった気がする。後は鮭の切り身が二枚ほど。野菜はあんまり残っていなかったと思うが、カット済み野菜は3日分くらいはいつも確保しているから問題ない。今夜はハンバーグかな。

 ウトウトとしているうちにもう最寄り駅の二つ前。毎日のことなので自然とベストなタイミングで起きられるようになっている。住宅街の代わり映えしない景色しか車窓から見えないので、たまに寝ぼけて目的地より前で降りてしまうこともあるが今日は大丈夫だ。結婚したときに夫婦で話し合い、今のところに引っ越したのは通勤の便が良いということ最重要視したからだ。乗り換えなしに通えるのは二人とも同じだが、彼女は終点、私はその手前。若干だが私の方が通勤時間は短くなっている。そう言えば私が目を覚ました時には既に私の前に立っていた男はいなくなっていた。乗車時間は私より短いのだったら、そんなに睨まなくても良かったじゃないか。それに座れなかったという点においては不幸だったかもしれないが、きっと君は幸福な人間だ。家に帰れば奥さんが温かいご飯と風呂を用意してくれているだろう。薬指に光る指輪がそう私に教えてくれたよ。

 椅子下のヒーターと乗客のおかげ暖かかった電車から降りると、夜風がブルッとさせてくる。うっすらかいた寝汗が体温を奪っていくので、早く家に着きたいと歩くスピードも自然と上がっていく。普段だと帰り道にあるスーパーに寄って買い物をしながら献立を考えるが、今日はその必要はない。なぜなら私の頭の中でメニューは出来上がっているからだ。それだけで帰宅時間が20分は早く出来る。このことが後々になって効いてくるのだ。

 マンションに着くと若い夫婦がちょうど出てくるところだった。すれ違いざまの軽い会釈を済ませると奥さんが旦那さんの腕に手を絡ませた。新婚らしい振る舞いに微笑ましく思いながらも、心のどこかでほんの少し羨ましい気持ちが生まれてきた。それが何なのか知ってはいるが、気にするほどには私は若くない。部屋に入ると、中は他人行儀なくらい真っ暗で静まり返り、外よりも冷たい空気が支配していた。それは仕方がない。私が家に帰ってくるのが妻よりも早いからだ。

 家に帰るとまずは手洗いうがい。次いでスーツ姿のまま米びつから1合取り出すと、炊飯器の中に入れる。うちは無洗米だから手間がかからなくていい。スイッチを押すと我が家の静寂を切り裂くような軽快な音楽が鳴り響き、炊き上がりまではおよそ1時間だと液晶に表示される。この間にもやらなくてはいけないことは沢山ある。そう、会社での仕事が終わってからも、私には家事が山ほどあるのだ。

 結婚してもう8年になる。3つ下の妻も仕事を続けていて、子供がいない私たちの家事は出来る人がやるというのが暗黙のルールとなっている。これから結婚をしようと思っている人たちに教えてあげたい。暗黙のルールというものが一番厄介なのだと。妻の会社もフレックス勤務を推奨していて、彼女は朝遅く家を出て遅く帰ってくる。一方私は、彼女が寝ている間に家を出て、彼女より早く帰ってくる。職場も妻の方が遠いため、実働時間は私の方が長くても家に着くのは先になってしまう。2時間程度の残業では彼女より遅く帰ることはまずないだろう。だから今夜の家事も私の仕事ということだ。

 料理は冷蔵庫の中をチェックすることから始まる。カット野菜と鮭の切り身は覚えていた通りだったが、ひき肉は記憶違いで実際は切り落としの牛肉だった。ハンバーグの口になっていたから、この違いは結構でかい。牛肉を自分の手でミンチにするのは手間がかかるし、脂身もひき肉ほどではないから上手くいく気がしない。しょうがない、ハンバーグは諦めて何か他のものにするとしよう。鮭の切り身を焼いただけでも良いのだが、今夜はスーパーに寄らなかった分時間に余裕があるから、少しは手の込んだものを作ろうという気持ちになっていた。電車で少し寝たことだし。とりあえず牛肉と鮭を取り出して常温に戻すことにした。だが、手を止めて考える時間は私にはない。レシピを思い浮かべる間にベランダに出て昨日干した洗濯物を取り込む。山積みされた洗濯物を見ていると、ふと牛肉を重ねてみたらどうだろうと思いついた。うん、なんとなくイメージできてきた。

 台所に立つと、まだ冷たい鮭をフライパンで熱する。それと同時に牛肉を一枚一枚広げて重ねていく。ただ重ねるだけではなく、一層目の肉の間に塩コショウ、二層目に顆粒のコンソメをまぶして下味をつける。コンソメを加えた理由は、牛肉にチキンの味も足すことで味に深みが出そうと思ったからだ。そうこうしているうちに鮭から香ばしい匂いが出てきたのでひっくり返すと、魚の脂がジューっとなんだか嬉しい気持ちさせてくる音を出す。重ねた牛肉は小麦粉をまぶして溶き卵にくぐらせてからパン粉で包めば、ちょうど一口サイズのカツレツが出来る。本来は一枚肉の子牛肉を叩いて薄く延ばして作るのが正しいミラノ風カツレツのようなのだが、一枚肉などそうそう常備はしていないので、今日のメニューは薄切り肉を代用品にした『なんちゃってミラノ風カツレツ』といったところか。鮭は最後に皮を重点的に焼く。カリッとした皮は簡単に手で剥がすことができた。うちの妻は皮を食べない人なので、これは料理しながらつまませてもらうことにする。脂が多いこの皮目が一番うまいと思うので、食べないと決めつけているのは何ともったいないことだといつも思う。

 焼きあがった鮭は骨を取り、下準備は完了だ。おっと味噌汁のことを忘れるところだった。あぶないあぶない。汁物が無いだけで食事は見た目にも栄養的にもバランスが悪くなってしまうから重要だ。冷蔵庫を覗くと舞茸が1パック。これにしよう。パックから出してサッと水洗いし、手で裂いていく。舞茸は包丁で切るより裂いた方が断面がゴソゴソしないので美味しいというのが持論だ。何よりも手間がかからない。小鍋に裂いた舞茸を入れて顆粒だしを一振り。3分とかからずに味噌汁の用意も終了。ここで火にかけないのがポイントだ。一口カツレツもラップをかけて台所に放置。冬場なのでこの状態でも大丈夫だろう。これは味をなじませるというためではない。もっと重要なこと。そう、今からシャワーの時間だ。

 脱衣所にある洗濯カゴの中には今朝脱いだパジャマと昨日使ったバスタオルが無造作に入れられている。それらと脱ぎたての服と洗剤を中に入れて洗濯機のボタンを押す。妻が見ている前だと彼女の服は洗濯するときはネットに入れて柔軟剤を加えるように言われてしまうから、帰ってくる前に極力回すようにしている。ささやかなる抵抗。入れても入れなくてもバレないと思っている。シャワーは熱めが好み。手早く髪と全身を洗い流して、所要時間は大体15分。まだまだやるべきことは多いので、あまり長い時間は取ってはいられない。

 シャワーからあがると米が炊けていた。炊飯器といい、洗濯機といい、指先ひとつで仕事が終わるから同時進行で色々やる身としては大変助かる。昭和レトロを懐かしむ声は色々聞くが、便利になった今の方がいい時代なんじゃないかといつも思う。昭和生まれの男が言うのだから間違いない。そして現代の最強アイテム、スマホを見ると妻からのメッセージ。帰宅時間は今から40分後。ここから逆算してこれからの手順を整理していく。

 まずは粗くほぐした鮭の身を炊飯器に入れて混ぜ合わせて、一旦蓋を閉じて放置。次にテレビのスイッチを付けて昨日録画したアイドルの番組を見ながら、帰宅直後に取り込んだ洗濯物たたむことにする。この時間だけが唯一心が安らげる時間だ。最初は見分けがつかなかった彼女たちだが、今では一人ひとりの顔や個性の違いがわかるようになった。歌って踊るだけではなく、バラエティーにも力を入れていて、毎週笑わせてもらっている。なにより自分よりも一回り以上下の女の子たちがキャッキャッしているのを見るだけで自分も若くなったような気になれて、この上なく癒されるのだ。残念なことは録画を残しておけないことだ。妻にバレないように録画して、バレる前に消す。この一瞬の儚さが洗濯物をたたむ時間に更なる彩を加えてくれると思えば、ハードディスクから消えゆくメモリーも一層輝きを増すというものだ。たぶん妻にはバレているんだろうが。

 たたみ終わったのを見計らったように洗濯機が終了の合図を鳴らす。我が家では炊飯器も洗濯機も浴槽もレンジも冷蔵庫もそれぞれ色んな音を出すから、一人で過ごしていてもにぎやかだ。出来上がった洗濯物を取りに行くついでに小鍋を火にかけて、舞茸の味噌汁の調理を再開する。出来上がったばかりの洗濯物を持ってベランダに出ると澄んだ風が頬を撫でた。エアコンから出るこもった空気を吸い続けていると、2月のきりっとした空気が新鮮に感じられる。大きく息を吸い込んで、吐き出すと頭がクリアになっていき、自然と力が抜けて会社や家でのストレスが呼吸と共に外へ流れ出ていく。ベランダからの景色は住宅ばかりのつまらないものだが、瞬く星を見ていると洗濯物を持つ指先の冷たさすら季節を感じられて良いものだと思える気持ちにすらなるから不思議だ。

 さて、妻の帰宅予定時間まであと15分、ここからの時間の使い方が最も重要だ。家に帰ってくると同時に食事が完成されるよう下ごしらえの状態でとどめていた料理を一気に完成にもっていく。まず、フライパンにたっぷりのオリーブオイルを入れて火を点ける。温まるまでの間を使って舞茸のはいった小鍋で味噌を溶く。これで一品目が完成だ。次にフライパンに先程用意した一口カツレツを油跳ねに気を付けながら並べていく。逃げ出した水分がパチパチパチと高い音を出しながら気泡となって踊り始める。片面を揚げ焼きさせているうちに、次の工程に取りかかる。冷蔵庫から大葉を取り出して水でサッと流し、パチンと拍手するように手でたたく。テレビで覚えた知識なのだが、大葉には香りが詰まったカプセルのようなものが裏面についているらしく、それを潰すことで一層風味が豊かになるんだとか。テレビの情報を信じて実行に移すなんて、この年齢になっても意外と素直なところがあるなと自分のことながら思ってしまう。素直過ぎて人から騙されないように、老後はもう少し注意深くならなくてはと思う。一回フライパンの火を止めて、大葉は手でちぎって炊飯器の中へ。火を止めた理由は一人暮らしの頃、熱したオリーブオイルに野菜を加えたことがきっかけで火柱が上がった思い出がちらつくからだ。立ち昇った火は換気扇の埃を少し焦がした程度で収まったが、あれが燃え移ったらどうなっていたことかと今でもヒヤリをする。それ以来オリーブオイルには細心の注意を払うようにしている。炊飯器にはさらに白ゴマを加え、最後に余っていたパック寿司についている小袋に入ったガリも入れる。こういった小袋は使うときがくるだろうと冷蔵庫にいつの間にかどんどんたまってしまうので、意識的に消費していかないといけない。具と米を混ぜ合わせれば、これで二品目も終了。フライパンを再度温めて一口カツレツをひっくり返したと同時に妻が帰ってきた。ただいま、おかえりと味気ないキャッチボールを済ますと、彼女は部屋着に着替えるため、自分の部屋に入っていった。タイムリミットまであと数分。ラストスパートだ。

 冷蔵庫からカット野菜を取り出すと、皿に添え物として盛りつける。カット済み、洗浄済みの野菜はそのままサラダになるから時短に持ってこいだ。家電以外にも便利なものはどんどん増えているので、会社帰りの身としては助かることばかりだ。後は一口カツレツを乗っけてすべてが完了。妻が部屋から出てくるのとほぼ同時である。帰り時間から逆算してすべての工程を終わらせ、一番美味しい状態で料理を出す。長年の経験のおかげで成せる技だと我ながらたいしたものだと思う。家でも会社でも大切なこと、それは常に段取りを考えながらの行動することである。

 なんちゃってミラノ風カツレツ、鮭しそご飯、舞茸の味噌汁、これが本日のメニューだ。ただしこれは我が家にとっては前菜でしかないのだが。

 先に着席した妻を待たせぬよう、急ぎ料理を並べて、いただきますの時間だ。我が家では極力二人で食事をとることにしている。さて、一口目は添え物のサラダからだ。ファーストミール効果というものを私は信じているので、野菜から食事を始めることにしている。空腹時に最初に食べるものは食物繊維が多くて、糖質が少ないものがいいらしい。すると次に食べるものによる血糖値の上昇を緩やかになるそうだ。これをするだけで体調が良くなるものでは無いが、簡単に出来ることから始めなければメタボの足音は近づいてきてしまう。食事の前に鮭の皮を食べたことは見逃してほしい。

 食物繊維とビタミンを補給したところで、次に箸が向かうのはなんちゃってミラノ風カツレツだ。ケチャップに中濃ソースを加えたソースをかけた一口サイズのカツレツを箸でひょいと口に運ぶ。薄い切り落とし肉を重ねているから簡単に嚙み切ることが出来る。大きな一枚肉だとこうはいかない。模造品が本物より優れているところがあってもいいだろう。衣でコーティングされた何層にも重なる肉と、そこからあふれ出る肉汁のうまみが口の中で広がる。サクサクとした衣と柔らかい肉の異なる食感がまた楽しい。コンソメを入れたおかげもあって、具材の味もソースに負けていない。ワインに合いそうな料理だが、惜しむらくは明日も会社があるということだ。アルコールを飲むのは金曜と土曜だけと決めている。年を取るとカロリーだけではなく、肝臓の値も気にしなければならないのだ。美味しいものを食べていても、頭のどこかに健康を気にしてしまうのは中年の悲しい性である。

 カツの濃い味を舞茸の味噌汁で流し、次に箸が狙いを定めたのは鮭しそご飯だ。粗ほぐしされた鮭の塩気が米の甘味で優しくなり、うまみが素直に広がる。また、しその風味が脂っぽくなりそうな口の中を爽やかにしてくれて、そこにガリとゴマの歯ごたえが加わることが、良いアクセントとなる。塩味、甘味、酸味がケンカすることなく茶碗の中に同居していて、箸が止まらない。カツを頬ばって、ご飯をかきこむ。すぐに茶碗は空になり、お代わりをよそう手が伸びる。健康がどうこうと考えているくせに、鮭しそご飯で呼び起こされた食欲は理性では抑えきれない。それは妻も同じで、体型のことも今日だけは忘れているようだ。

 二杯目の鮭しそご飯を平らげて、他のメニューも食べ終えた。妻はまだ食事しているが先に席を立つ、本日のメインディッシュが来る前にデザートに取りかからなくてはならないのだ。我が家の食卓はキッチンのすぐそばにある。そのため、シンクの前に立っていても彼女の声が聞こえてきてしまう構造になっている。あぁ、そろそろ始まりそうだ。

「今日さ~会社で○○さんがミスしたんだけど、そのフォローをお願いされてさ~。」

 始まった、本日のメインだ。会社で溜まった鬱憤が口から吐き出されると食卓の空気がガラリと変わる。料理の味を全て変えてしまう言葉たちの群れが押し寄せてくる前に自分の食事を終わらせられたのは幸運だ。彼女の口に合わなかったり、代わり映えがなかったりした料理を出すと愚痴が出てくるのが早くなるのだが、ここまでもったので今日の料理は成功だと言っていい。メインディッシュに相槌を合わせながら、私はデザートに取りかかる。そう、いつだって料理の締めは洗い物だ。今日は包丁を使っていないし、調理器具もフライパンと鍋くらいなのでサッサと済みそうである。サラダをカツの皿と一緒にしたのも、洗う手間を減らすコツだ。ささやかなことだが、こうした積み重ねが作業時間に響いてくるものだ。洗剤をスポンジに吸わせて、何回か握ると泡が浮かび上がってきた。毎日のことなので、洗剤で手が荒れない体質なのは良かったなと思う。洗う順番にこだわりは無いが、小さいものから手を付けていくと水切りかごにスペースなく入れていくことが出来ると思っている。

「そう言えば、△△さんの旦那さんは今週末キャンプに連れていってくれるんだって。偉いわよね。ちゃんと家族サービスするなんて。あなたも少しは見習ってほしいわ。」

 食卓ではメインディッシュが続いていて、彼女の食べ終わった皿を取りに行った私に浴びせかけられる言葉にうんとだけ頷き、キッチンに帰る。相手をするよりもまず、洗い物の続きをしなくてはならないのだ。

「うんってそれだけ?ちゃんと家のこと考えてるの?お小遣い減らすわよ。」

 洗い物の水が跳ね、頬にかかった。彼女の皿も私に文句があったようだ。

 家事に見返りを求めてはならない。報われるとかそういうものではないのだ。会社で出世したとか給料が増えたとかはここでは意味のないことだ。嗚呼、これぞ既婚中年哀愁物語。淡い希望は洗い物の泡と一緒に流れて消えた。

 それを食べたら早くシャワーに入ってくれ。その隙にアイドル番組の続きを見たいんだ。

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