問題編③

「明石焼き……?」


 耳慣れない料理だ。


「明石焼きはタコ焼きの原型とも言われる料理ですわ。小麦粉を使用した生地を丸く成形し、具材にタコを使用して焼成するという点はタコ焼きと同じですわね。大きな違いとしてはミツキさんがおっしゃっていたように、生地に使用する鶏卵の量が多い点、そして浮き粉によってデンプンの含有量を高めている点がありますわ」


「ちなみにソースをかけて食べることが多いタコ焼きに対して、明石焼きは出汁に漬けて食べるのがオーソドックスなスタイルよ」


「とはいえ、見た目の点で違っていては『予告殺人タコ焼き』になりませんから。今回はタコ焼き同様にソースをかけてアオサとカツオ節を散らして食べてもらうことにいたしましたの。たまにはソースで食べる明石焼きもオツなものでしょう?」


「通常の明石焼きに比べて生地に含まれる出汁の量を抑え、鶏卵の自然な甘さを強調している分、外に塗られたソースとカツオ節がうま味と塩味を補強しているのね。それと……浮き粉の量も通常の明石焼きより少ないわ。メジャーなレシピでは明石焼きにおける生地の小麦粉の量と浮き粉の量の配分はおよそ5:5……中には浮き粉のみで生地を成形する専門店もあるぐらいよ。でも、今回の『予告殺人タコ焼き』に使われた明石焼きではせいぜい8:2といったところね」


「浮き粉の量が増えるほど生地は柔らかくなりますわ。そのためにタコ焼きと違って球形を保つことができず、焼き上がりでは生地が重力に負けて平べったく潰れてしまう。これでは見た目でタコ焼きではないと見抜かれてしまいますもの。だから、あえて浮き粉の量を減らしました。その上で外側をパリッと焼き上げることで、きれいな球状の生地を再現しましたわ」


 なるほど。つまり、見た目はタコ焼きだが中身は明石焼きという、繊細なラインを攻めたのが今回の『予告殺人タコ焼き』におけるハズレだったということだ。しかし、グルメ探偵のミツキはともかく、意外にもモナカに料理の知識と腕があったことには驚いた。


「さて。それでは第二フェーズの開始といきましょうか」


 ミツキがぺろりと舌なめずりをした。その眼はいつの間にか美食を楽しむグルマンのものから、事件の謎を見定める探偵のそれへと変貌している。


「第二フェーズ?」


「忘れたの? 今回の『予告殺人タコ焼き』は二つのフェーズに分かれると言っていたじゃない。私はたしかに最初に選んだタコ焼きで予告通りにハズレを引いた。なら今回の事件の犯人は、いかなる方法でハズレを引かせたのか? それを捜査するのが私たちの使命よ」


「モナカさんがミツキさんにハズレを引かせた方法……ですか」


「たとえばそうね。これはあくまで仮の話なのだけれど。仮に三つの『予告殺人タコ焼き』がすべて明石焼きで、タコ焼きなんて一つもなかったとしたらどう?」


 いやいや。


「そんなバカな話……それじゃ子供騙しじゃないですか!」


「それはそうね。それでも探偵の仕事はすべての可能性を検討することよ。どうかしら、唯我独尊探偵? 私の推理は」


「さすがにそんなトリックじゃないですよね? モナカさん」


 モナカは髪をたなびかせて、涼しい顔をして言った。


「へっへっへ……まっさかぁ~。ねぇ~? ……へへへ、まさか、そ、そそんなわけなななないでしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!??」


「動揺してる!?」


 まさかの当たりなのか。卑怯とか以前に子供でもそんなことしないぞ!?


「そんなわけがないかどうかは、他のタコ焼きを食べてみればハッキリするわ。今すぐ残りのタコ焼きを食べてみましょう」


「待ちなさぁい!」


 ぼくの前にモナカが立ちはだかった。


「なんですか。往生際が悪いですよ!」


「そんなことをすれば……きっと後悔しますわよ」


「後悔するのはあなたです!」


 ぼくが右から抜けようとすると、モナカはサイドステップで右に飛んで進路をふさいだ。左から抜けようとしても同様に動く。これはバスケでいうところのマンツーマンディフェンスというやつだ。それから十数分ほど小競り合いが続いた。ぼくとモナカの身体能力はまったくの互角で、まったく勝負がつかない。


「はぁ……はぁ……これ、もう推理ゲームとは別のゲームになってませんか?」


「ぜぇ……ぜぇ……探偵は体力勝負ですから……ここは絶対に通しませんわよ」


「……もう限界」


शुभ रात्रिシュブ ラートリ(ばたんきゅー)」


 ばたり。

 すっかり息があがったぼくとモナカは、同時に力尽きて倒れた。そんなぼくたちをよそにミツキが歩いていく。


「お疲れ様。じゃあいただくわね」


「ぎゃあ」


 倒れ伏したモナカの背中を踏みながら、ミツキは悠々と机にたどり着いた。残った二つのタコ焼きをしばらく眺めてからぼくを手招きする。


「残った二つのタコ焼きは重要な手がかりよ。言うならば犯行現場に残された遺留品といったところね。あなたと私で半分ずつ食べましょう」


 ミツキはそう言って、残された『予告殺人タコ焼き』を机に用意されたナイフでそれぞれ二等分に分けた。最初にミツキが食べたのは左のタコ焼きだったので、残されたのは真ん中と右にあったタコ焼きになる。埃をはらってぼくが机に着いた頃にはミツキはすでに半分ずつのタコ焼きを食べ終わっていた。


「そういえば、ぼくが最初に選んだのは右のタコ焼きでしたね」


 まずは真ん中のタコ焼きから食べてみる。


「どう?」


「そうですね……あれ?」


 意外だ。


「これ……普通に、普通のタコ焼きじゃないですか?」


 ぼくは明石焼きというのを食べたことがないものの、先ほどミツキが言っていた鶏卵の強い風味や浮き粉を使用したことによる柔らかさなどは感じなかった。問題があるとすれば、ぼくとモナカが小競り合いをしていた時間のせいでタコ焼きはすでに冷めきっていたため、あまりおいしくなかったことぐらいだ。


「明石焼きの特徴の一つは、タコ焼きと違って冷めても美味しい点にあるのよ。今では明石焼きを漬ける出汁はアツアツのものが多いけれど、発祥当時の明石焼きは、焼きたてを冷まして食べるために冷たい出汁に漬けていたぐらいよ」


「焼きたてを冷ますなんて変な感じですね」


「冷めたタコ焼きが美味しくない原因はいくつかあるんだけど。明石焼きはその原因を克服しているのよ。たとえば鶏卵の中でも卵黄に含まれる油分は冷めてから固くなるのを防ぐ作用があるし。浮き粉に含まれるデンプンは水まんじゅうに使われるぐらいだから、冷えても食感が損なわれづらいものね」


「でも、これで三つのタコ焼きすべてが明石焼きという推測は外れたことになりますね。だとしたら、なんでモナカさんはあんなに動揺していたんでしょう?」


 モナカがいきなり立ち上がった。


「かーかっかっ。その理由を教えましょう。なんとなくですわ!」


「なんとなくであの茶番を!?」


「下手な嘘ね、唯我独尊探偵。さっきの茶番の動機は――時間稼ぎ、でしょう?」


 モナカが眉をしかめた。時間稼ぎとはどういうことだろう。

 ミツキが目を細めてぼくに問いかける。


「それで。他になにか気づかなかったかしら」


 試されている。直感的にそう感じた。


「他には……具がなかったです。普通タコ焼きって刻んだキャベツや紅ショウガを入れたりするものじゃないですか」


「そうね。おそらくキャベツや紅ショウガ、それに天かすを入れていなかったのは、ハズレとアタリを見比べたときに外観の差異がある可能性を排除したかったからでしょうね。明石焼きの具材は伝統的にタコしか入れないことになっているから」


「あれ? でもタコも入ってなかったですよ」


「タコはぜんぶ私が食べたわ」


「そこは半分残しておいてくださいよ!」


「しょうがないじゃない。上手く切れないし、めんどくなっちゃったんだもの」


 ミツキはぷーっ、とタコ焼きみたいに頬を膨らませた。


「それで? 本当に他には何もなかった?」


「うーん……そうですね……。あ」


 そういえばあった。


「これは本当にわずかなんですけど。口に含んだときに、なにか爽やかな香りがしたような」


「そう。そう。それよ! わかってんじゃない!」


 ミツキは一転してニコニコしながら、ぼくの背中をバンバンと叩いた。


「これがわかんないようじゃ、グルメ探偵の助手は務まらないからね」


「どういうことですか?」


「『探偵は読者に提示していない手がかりによって解決してはならない』――ミステリを成立させるための最低限のルールの一つよ。おそらくはその香りこそが、あいつが仕掛けたトリックを解明するために必要な手がかりなのよ。手がかりを見逃すような奴は、助手である資格を持たないからね」


「手がかりを見逃す助手は――すなわち手がかりを提示できない、信頼できない語り手になるということですか」


「そういうこと。もしも、この手がかりをあなたが見逃していたとしましょう。そのときは私がゲームに勝利したとしても、あなたをクビにしていたのは確かよ」


 それにしても。普段はストレートにミツキから賞賛されることなんてないせいで、ちょっと気恥ずかしい。思わず目を逸らしてしまう。


「あん? せっかくヒトが褒めてやってんのに、なにソッポ向いてんのよ。アリガトウゴザイマス、くらい言えないの?」


「ふ、普段の扱いがひどいからですよ! そもそも勝手にぼくのクビを賭けたりするし。クビにするのを取り消したって言ったって、こっちがお礼を言うようなことじゃないです。あと、タコだって一人で食べちゃったし! 根に持ちますからねっ!」


「あー、悪かったわよ……タコは。食の恨みは恐ろしいってやつね」


 ミツキはポリポリと頭を掻いた。

 頬の紅潮がおさまったのを見計らって、ぼくはミツキに向き直る。


「それで……あの香りってなんだったんですか?」


「そうね。口にしてからすぐに鼻へと抜けていく、独特の上品さを漂わせる青々しい香気。容疑者は限られるわね。残りのタコ焼きも食べてみなさい」


「わかりました」


 ぼくは残された右のタコ焼きを食べてみる。ぼくが最初に選んだタコ焼きだ。


「こっちも……普通のタコ焼き、ですね。具材がないのも真ん中のタコ焼きと同じです。っていうか、タコを一人で丸々二つも食べないでくださいよ」


「あら、心外ね。そっちのタコ焼きについては私もタコを食べてないわよ」


「え?」


「めっめっめぇ。そのタコ焼きですが……タコを入れ忘れてしまいましたわ」


 なんだその笑い声。もう笑い声の体をなしてないだろ。

 それにタコが入ってないタコ焼きなんて……。


 あれ?


 明石焼き。タコが入っていないタコ焼き。そして犯行現場にわずかに残された香りと、不可解な一ツ星モナカの時間稼ぎ。これまでぼくが得た情報が、濁流のように脳内を駆け巡っていく。そうか。


 もしかして、これはなのか?


「それに、こっちのタコ焼きにはさっきのタコ焼きにあった香りがない……」


「どうやら、たどり着いたようね」


 ミツキはとっくに真相に到達していたようだ。それもそうだ。なにせ美酒蘭ミツキは、三度の事件よりメシが好きなグルメ探偵なのだから。


「あなたが感じた香りの正体はを中心とする香味成分の残滓。ここまで言えばわかるわね」


「はい。『予告殺人タコ焼き』のトリックがぼくにも分かりました。ミツキさん。このゲームの解決編は――ぼくにやらせてください!」


「なに言ってんの。解決は私がやるわよ?」


「え」


「だってあなたは助手で、私は探偵だもの。美味しいところだけ食べるのはグルメ探偵の専売特許だし」


「そっかぁ……」


「ふふふ。それにね」


 ミツキとぼく、二人の目が通じ合った。どくん、と鼓動が高鳴るのを感じる。


「たまには私がカッコイイところ見せないと、あなたに見限られちゃうかもだしね」


(続)

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