第37話 事件の顛末


 井澤さんは、スマホを片手に友人との待ち合わせ場所に向かおうとしていた。彼女の後を離れた位置からつけているのは三鷹さんだ。僕とつばめさんは五味教授の車の中で待機だ。


 車の中で僕は五味教授に頼み込んで貸してもらった上野明希奈さんの赤いスマホの画面を眺めていた。


 井澤さんが喫茶店で友達と楽しそうに会話をして、食事を終わらせる頃、視界の端に見覚えのある人が映り、僕は車から飛び出した。静止する五味教授の声を無視して、僕の後につばめさんが車から出てきたが彼女のことも振り返らずに進む。


 歩道をスマホ片手に歩いていた井澤さんの前に立つ。これ以上先には彼女を進ませることはできない。


「は? あんた、どうして……」


「井澤さん、匿名掲示板に書き込みをしましたよね。五年前の連続誘拐殺人事件の被害者たちのことを詳しく書いた上で、でたらめなことを」


「え、なんであんたがそんなこと知ってんの⁉」


 スマホから目を離した井澤さんは鋭いネイルをつけた人差し指を僕に向けた。


「いや、あんたがなにを知ってても関係ないじゃん。だって、私、あんたのことは書き込んでないし!」


「僕のことはどうでもいいです。でも、あなたは被害者の関係者でしょう? 大切な人を失ったのは他の被害者の会の人と同じはずなのに、どうしてそんなことを書き込んだんですか」


「別にどうだっていいでしょ」


「自分の大切な人を悪く言われて、他の被害者遺族が悲しむと思わなかったんですか?」


 もしかしたら、彼女がここで謝罪の言葉を口にしてくれたら、天馬さんも彼女のことは殺さないでいいと思えるのかもしれない。でも、それには口先だけの謝罪ではダメだ。


「自分の婚約者の園田さんが好き勝手にネットで言われてたらどう思うんですか? 死んだ園田っていう男は婚約者がいるにも関わらず、他に女を作って、しかも、その女にも結婚しようと言いまわっていたとか」


「うるさい! 彼はそんな人じゃないわよ!」


 休日の歩道には人がちらほらと透っているが、人は多くはない。僕が井澤さんを止めてから二人ほど、道の端を通り過ぎている。


「他の被害者遺族の人だってそう思ったと思いますよ。死んだあの人はそんな人じゃない。悪く言われるようなことはない。ましてや、死んでも文句は言えないなんて、そんなことを言われるような人じゃないって」


「あんた、いきなり現れて気持ち悪いのよ! さっさと消えて!」


 どんっと胸を押されて、意外にも強い力で押されたのか、僕は突き飛ばされて尻餅をついた。どうしても彼女に罪の意識を持ってほしいと顔をあげて、何か言おうと口を開いた時、後ろから抱きしめられた。


「危ない!」


 目の間に大きな何かが落ちてきた。それが歩道の真横で行われているビル工事に使われている鉄骨だと気づいたのはすぐのことだった。僕の足元にごろりと転がったそれの下に赤い何かが広がる。


 心臓に氷の杭を打たれたかのようにどんどんと指先まで冷たさが広がっていく。鉄骨の下から出ている鋭いネイルのついた手から目が離せない。


「響くん、響くんってば!」


 つばめさんの声が遠くで聞こえているのか、それとも近くで聞こえているのか分からなくなると、僕の冷たい手を誰かが握った。柔らかい手が誰のものか分からないうちに、指先に温かさが戻る。心臓も活発に動き出したようで、寒さは消えて、落ち着く。


 気づくと僕の手をつばめさんが握っていた。


「立って! まだやることはあるでしょ!」


 僕は彼女に手を引かれ、工事現場にかけられていた青いビニールシートを掴む。振り返ると呆然としていた通行人が足を止めて、スマホを落ちてきた鉄骨とそれに潰された井澤さんの死体へと向けた。


「写真を撮るな!」


 鋭い声を飛ばしたが、通行人の行動は止められず、かしゃりと呆気ないふざけた音と共にフラッシュがたかれた。


 一瞬、視界が真っ白に包まれ、すぐに悲鳴と叫び声が聞こえた。


「や、やっぱり……響くんの言った通りになっちゃった……」


 一緒にビニールシートを掴んでいたつばめさんがその場にいて、叫んだり泣き始めた通行人を見て、青ざめていた。


 集団パニックにより、殺されたのではない。


 殺されて、死体の写真を撮られたことにより、集団パニックが起こった。


 五味教授が聞いた証言でも、最初にチカチカしたなど、眩しかったという表現があった。それがスマホのカメラなどのフラッシュ機能の光だと気づいたのは夢から目覚めた時だ。


「大丈夫ですか!」


 声が聞こえてきて、制服姿の警察官が駆け寄ってきた。僕はつばめさんと目を合わせると、つばめさんは駆け寄ってきた制服姿の警察官の手に触れた。


「君、言ってる言葉、分かるかい?」


 警察官が彼女の目を見て、質問したが、彼女は答えずに僕を振り返った。


「響くん! この人、〝ハイダー〟だよ!」


 僕は急いでつばめさんの手を握り、古布さんから遠ざけた。彼は目を丸くしていた。


 きっと、集団パニックの現場に僕以外にも正気を保っている人がいて、びっくりしたのだろう。


「今朝、気になって、釜下さんのところに行きました」


 交差点近くの交番にいた釜下さんと話したいというと彼は僕と二人きりで話をしてくれた。僕が不気味だと思っていたのに一対一であの人と会おうと思ったのは、三鷹さんから釜下さんのことを聞いていたからだ。


 釜下さんは、元々刑事課にいた刑事で、五年前は、三鷹さんの先輩刑事だったらしい。


 だから、僕のこともすぐに五年前の事件の生き残りだと彼は分かって、集団パニックの事件に五年前の事件の被害者が巻き込まれたということを知って、カウンセリングなどを挟まずに質問責めにするのもどうかと思って、家に帰すことにしたらしい。


 何故、刑事をやめて交番勤務をしているのかと聞いたら、彼はこう答えた。


五年前に最愛の恋人を失った古布の姿が見ていられなかった。目を離したら死ぬんじゃないかと思って、事件を解決できなかった負い目もあり、刑事をやめて、彼を見守ることにしたと。


「古布さんは、天馬さんのお姉さんの恋人だったんですね」


 僕の言葉に古布さんは目を丸くした。


古布さんは、五年前、最愛の恋人である淡田恵未子さんを亡くした。釜下さんが心配していた通り、彼がそれを苦に自殺をしたらどうだ。その時に〝ハイダー〟となったら?


彼は五年前、自分の恋人の死体がネットにあげっているのを発見した。写真でも動画でも。それは投稿者が削除しても、誰かが保存して、恋人の死体の画像と動画は残り続ける。


 十字架に飾られた淡田恵未子さんの死体は、裸の状態でキリストの磔のような状態で公園に曝されていたという。


「古布さんは、自殺する前、何を一番に願ってたんですか。それは、死体を撮る人間をなくしたいという願いじゃないんですか」


 三鷹さんに確認したところ、集団パニックの事件では死体などの写真が一切撮られておらず、監視カメラなどの映像も遠くからのカメラの写真なども全て表示されない状態になっていたらしい。


 天馬さんが殺しを行い、そして、死体が出来たところを誰かが写真に撮り、古布さんの〝ハイダー〟としての能力が発動して、集団パニックが起こった。


 そう考えるとつじつまが合う。


 今までの現場にだって古布さんはいた。警察官が駆け付けたといえば、誰だって不思議だと思わないだろう。


「なにを言ってるんだ、君は」


 古布さんは訳が分からないと不快感を表情全体に押し出してきた。


 〝ハイダー〟は自分が〝ハイダー〟だと認識していない。見ただけでおかしいと分かる上野修平さんは稀なのだと言う。


 古布さんから見れば、僕は異常者かもしれない。

 僕から見ても、僕は異常者だ。


 つばめさんの手を引いて、彼女の頭を抱えるようにして抱きしめた。古布さんの後ろから手足をでたらめに振り回しながら走ってくる上野修平さんが、飛び上がった。


「うわっ、なんだ、お前っ!」


 修平さんが後ろから古布さんを押し倒し、後ろからの衝撃を予期していなかった古布さんの顔面がアスファルトに叩きつけられる。


「晃……っ」


 工事現場から慌てた様子で出てきた天馬さんが修平さんの横っ面を殴りつけたが、痛みを感じていないのか、修平さんは天馬さんの顔面をお返しに殴りつけていた。


「二人ともっ」


 五味教授が被害を受けないように三人の乱闘を避けながら僕らの元へとやってきた。


「お父さん! あの警官、〝ハイダー〟だよ!」

「やはり、糸魚川くんの推測通りでしたか……」


 五味教授につばめさんを渡す。三鷹さんは警察の応援を呼んでいるらしい。彼も上野修平さんと古布さんが〝ハイダー〟だと分かっているから近づけないみたいだ。


 化け物の消滅の仕方が分からないから。


「二人とも、先に車に入ってください」


 僕は五味教授とつばめさんの背中を押して、二人を急かした。二人が車に乗り込んで、扉を閉めたところで叫ぶ。


「上野さん! 奥さんを殺したのはあなたの右の人だ!」


 修平さんはぎょろりと天馬さんの方へと目を向けるとカチカチと歯を鳴らしてから、大きく口を開いた。耳に響く大音量のモスキート音と共に修平さんは天馬さんに「死ね」と叫びながら飛び掛かった。


 首を絞められたからか、それとも〝ハイダー〟としての能力かは分からないが、天馬さんは口から泡を噴いて、倒れていた。


「あ、ああっ、天馬!」


 古布さんが修平さんを突き飛ばして、もう死んだ、生きているとしてもすぐに死ぬ天馬さんに駆け寄った。


「……古布さん。ここにいるのはパニックに巻き込まれた人と事情を知ってる人しかいません。誰も写真は撮りません」


 僕は、異常者かもしれない。


 目の前で幼馴染の死に涙する古布さんの方がよほど人間らしい。


「写真を撮りやすく人を殺してくれるあなたの友人はもういません。あなたはもう死体の写真を撮らせて、人々を家に閉じ込めることはできない!」


「君は……、君は被害者じゃないのか! どうしてこんなことができるんだ!」


 古布さんはその場で天馬さんの身体を抱きしめて、泣き叫んでいたと思ったら、唐突に、その声は止まり、彼の身体は、干からびていった。身体の一部だった粉が風に持ち去られ、筋肉がなくなったかのように腕も足もしぼみ、大昔見た教育用の本で見たミイラのようになっていた。


「あはは! 死んだ! 明希奈! 明希奈! わ、私はやったぞ!」


 一際大きな笑い声をあげた上野修平さんも立ったまま時間が止まったかのように干からびていき、重力に耐えられなくなり、その場に崩れ落ちた。


 僕は上野修平さんの奥さんの赤いスマホを取り出して、干からびた彼の隣に置いた。


「糸魚川くん!」


 駆けつけた三鷹さんが僕の肩に手を回す。気が抜けたのか足元がおぼつかない。


「君がやったのか」

「……はい。僕がやりました」


 奥さんのスマホを使い、上野修平さんに連絡をした。この場所と犯人がいるという連絡をすると、彼はやってきた。


「……これは……」


 干からびた死体が二つに天馬さんの死体と鉄骨の下敷きになった井澤さんの死体とパニックになったままの人々。阿鼻叫喚の図を見て、三鷹さんは息を呑んだ。


「五年前の〝ハイダー〟のことで話があります」


「糸魚川くん、今は……」


「僕が殺しましたよ。警察の事情聴取で最初に話した通りです。僕が殺しました。焼却炉に押し込んで、下半身は入らなかったけど、出られないように死ぬまで押し込んでました。でも、警察の人は嘘をつくなと言いました」


 僕は異常者だと改めて思う。僕は今回、人を殺したのだ。三鷹さんは今度は僕を止めない。


「当たり前ですよね。焼却炉に顔を突っ込んでた男の死体は干からびてましたから。あの死体は数年前の死体のものだから、犯人ではない。君はおかしくなっただけだって言われました」


「……やはり、君は」


 僕の口から乾いた笑い声が出た。


「僕は、被害者でありながら、人を殺した犯人です」


 今回も五年前も変わらず。

 振り返ると、車の窓越しにつばめさんが泣きそうな顔でこちらを見ていた。

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