第33話 被害者遺族たち
宇崎さんと天馬さんと古布さん以外に会議室に来たのは二人の女性と一人の男性だった。
「これで全員だ」
「六人、ですか?」
五年前の事件で亡くなったのは八人。ここにいるのは六人。被害者遺族が全員参加しているわけではないみたいだ。
「宇崎さん、その子供は?」
僕に視線を投げかけた女性は明るい茶色の髪に、色とりどりのネイルやメイクなどで着飾っていた。
彼女の名前は
そんな彼女と一緒に会議室に入ってきた六十代の男女は夫婦で、八人目の被害者である
「彼の名前は糸魚川さんです。五年前の事件の、九人目の被害者で、唯一の生き残りだ」
「い、生き残りってほんとにいたの⁉ しかも、いくつよ!」
三人とも目を丸くした。井澤さんが驚きながら、僕のことを指さす。どうやら、被害者の会でも僕のことを知っていたのは少数だったみたいだ。いや、この状態は僕の存在が眉唾物だと思われていた可能性が高い。
「えっと、今年で十七歳です」
「ってことは、五年前は十二歳⁉ 小学生じゃない!」
井澤さんの後ろで嘉穂さんと流さんが顔を見合わせていた。同情ではない。一瞬だけ不機嫌そうな顔になったが、すぐに表情が元に戻る。
八人目の被害者の飯沼健吾さんは、男子大学生だった。
もう少し、警察に見つかるのが早ければ、健吾さんは生き残っていたのかもしれない。もしくは僕の方が早く殺されていたら、健吾さんは生きて家族の元に帰ったのかもしれない。
五年前の連続誘拐殺人事件の手口は誘拐から一ヶ月後から半年以外に死体をアートのように飾り付けることで有名だった。
警察が見つけた犯人が所有していた建物には被害者を一人ずつ捕まえておいた部屋があり、僕の証言から被害者同士の交流はなかったとされている。
だから、僕が誘拐されて犯人に監禁されていた時、別の部屋で健吾さんは殺されていたのだ。
一人目に殺された宇崎さんの娘さんは僕が誘拐されるより前に死体が発見されていたので時期は被っていないが、少なくとも警察によると六人目の死体が出る前から僕はあの建物の中にいた。
「よく生きて帰ってきたわね……しかも、五体満足で」
顔を顰めた井澤さんの婚約者だった園田さんの身体はパーツ事に分解されていて、港に敷いたブルーシートの上に黒いテープでかかれた人の輪郭の上にそのパーツが置かれていた。さながら正月にやる福笑いのようだったらしい。
婚約者がそんな状況でなくなった彼女からすれば、僕はとても幸運だろう。なにせ、死体を調べたところ、園田さんは手足を切られた後も一ヶ月間は生存していたらしいから、殺されていなくても身体はバラバラにされていたのを彼女は知っているかもしれない。
手足は繋がっているが、それだけだ。
「……まぁ、僕が生き残っているのは不幸中の幸いですけど」
「いいわね。生き残れて」
冷たく突き放すような井澤さんの物言いに腹が立たないことはなかった。死んだ方がかわいそうだと思いたい気持ちは分かるが、初対面の子供に冷たい態度をとるとは思わなかった。
「お父さんとお母さんはさぞかしあなたが帰ってきたのを喜んだんでしょうね」
「あなた、僕が救出された後、無理やり場所を調べて、取材してきた記者の人と同じぐらい無神経ですね」
思わず口をついて言葉が出た。彼女は全て悪いわけではない。しかし、彼女も婚約者を失って被害者遺族を名乗って、こんな被害者の会という名前の集まりに参加しているのなら、当然、事件関係者への配慮など身に染みて分かっているはずだ。
僕は宇崎さんを見た。
「宇崎さん、この会ではマスコミや警察の至らぬ点を見つけて、問い合わせしたりするんですよね?」
ホームページに書いてあった活動の内容を確認すると彼は頷いた。その顔はバツが悪そうだった。
「ええ、そうです……」
「ここまでデリカシーのないことを言われるとは思わなかったです。知らないとはいえ、言っていいことと悪いことの区別もつかない人がいるなんて」
井澤さんの方を向き直ると彼女は顔を真っ赤にしていた。
「なによ! あんたはなんの被害にもあってないじゃないの!」
「だったら、あなたは右目をくりぬかれてもなんの被害にもあってないと豪語するんですね。自分が被害にあって、右目を目の前で絵の具の中にいれられても、被害にあってないって言えるんですね」
生きているから被害にあっていないなんて、おかしい話だ。どうして、この人はあの犯人に誘拐されてもいないのに、自分こそが被害者だみたいな反応をするんだろう。
井澤さんは僕の右の目を見て、ようやくそれが義眼だということに気づいたらしく、息を呑んでいた。
「両親なら喜んでないですよ。死にましたからね。僕が行方不明になって一ヶ月程した頃に、変わり果てた息子の死体を見るくらいならと二人とも部屋を目張りして、七輪を密閉した空間で焚いて死にました」
「糸魚川さん」
僕の言葉を遮った宇崎さんは申し訳なさそうな顔をしていたが僕は一分一秒でもこの空間にいたくなかった。
「もういいです。話したいことがあるのなら、被害者の会の人達でどうぞ。僕はメンバーじゃないので」
僕は会議室を出た。
市民館の入り口近くにあった長椅子には五味教授が座っていた。
「どうでしたか?」
「腹が立って、出て来ちゃいました。すみません、なんの情報もないです」
五味教授は首を横に振る。僕が彼の隣に腰を下ろすと、五味教授はポケットから出した手を僕に差し出した。その手の中には紫色の包みとオレンジ色の包みがあった。飴だ。
僕はオレンジ色の包みを手に取って、早速飴を口に放り込んだ。
「……僕って幸運でしょうか」
「五年前の事件で生き残ったことですか? 今回の事件で生き残っていることですか?」
「五年前のことです」
会議室で何があったのか詳しく話さなかったが、五味教授は「うーん」と唸ると顎に手をあてて前かがみになって、考え出した。
「幸運も不運も、他人に決められることではないと思います。例えば、神社のおみくじで大吉を引いた人がいるとします」
「それはどちらも幸運なんじゃないんですか?」
「一人はそう考えるでしょうね。今年はずっといいことが続くんだ。自分はラッキーだぞ、と。しかし、もう一人はこう思います。今年の一年、最初で運を使ってしまったから、あとから不幸になるのかもしれないと」
その場合、前者は自分を幸運だと思っているのだろう。後者は大吉などで運を使うよりも小吉や吉を出して、そこそこの結果が出た方がよかったと思うんだろう。
僕は事件に巻き込まれたから不運か、それとも巻き込まれても片目を失って、その他にもいろいろなことはあったが、ともかく生きているから幸運なのか。
正直言って、どうでもいい。
幸運か不運かなんて、僕は考えたこともない。あったことは仕方ないと割り切っていた。伯母さんのそのタイプの人間だ。過去にあったことは変えられないとしても、これからのために人間は行動を起こすことができる。だから、前を向こうと伯母さんは僕に言ってくれた。
でも、そんな僕だって、お前は幸運だからいいよな、なんて言う人が現れた。これはさすがに許せない。
「僕は大人げないことを言ってしまったかもしれないです」
「なにを言ってるんですか。君は大人ではないですし、嫌なことを言われたら、子供も大人も関係なく、はっきり嫌だと言っていいんです。大人げなくなってもいいんです」
五味教授と話していて、本当に五味教授とつばめさんと話していると落ち着くなと思っていると通路の奥から人の足音が聞こえてきた。
もう被害者の会の会議は終わったのかと思っていると、通路の奥からやってきたのは古布さんと天馬さんの二人だけだった。二人は僕の姿を見つけて、次に五味教授の姿を見つけると、訝し気に五味教授を見た。
「ここまで送ってもらったんです」
「知り合いならいいんだ……」
古布さんがほっと胸を撫で下ろした。天馬さんが僕の前にかがんで、子供と目を合わせるようにして「すまない」と謝ってきた。
「お二人はなにも悪くないんですけど……」
「いや……でも、井澤があそこまで無神経なことを言うとは思わなかった。そもそも、あいつは最初から生き残った人間がいると言っても否定していたし、認めないと言っていたから、少なくとも宇崎さんはいきなり糸魚川くんをここに連れて来ちゃダメだった」
天馬さんは先ほどの宇崎さんのように申し訳なさそうな顔をしていた。
古布さんも少しバツが悪そうな顔をしているのは意外だった。彼は四つ目と五つ目の集団パニックの現場で僕に出会っていて、彼と一緒に僕と会った警察官の釜下さんよりと違い、僕のことを疑ってかかっていたと思うのに。
「いえ……僕も亡くなった方に関しては知らないので、知らないくせに生意気なことを言ってしまって……」
「……俺の姉さんとは会ったことはあるか?」
「天馬さんのお姉さん……」
「五人目の被害者だ」
僕は首を横に振った。亡くなった淡田恵未子さんのことは資料を見て知っているか、彼女のことは見ていない。時期を考えても彼女は僕が誘拐する前に殺されて、公園に飾られていたはずだ。
「そうか……。姉さんは人が朝通る交差点に飾られてたんだ。怪我もほとんどなかったみたいで……姉さんが死んだっていうことに悲しみを覚えない第三者の人間は「綺麗な死体だ」とか「作り物みたいだ」とか言ってた。好き勝手に。冗談じゃないよな。姉さんは死んだんだ。殺されたんだ。知り合いも「他の人よりは死に方はましじゃない?」とか言い出す。しかも、それと同じようなことを井澤は言ったんだ。確かにあいつの婚約者は身体をバラバラにされたが、家族を殺されたんだ。綺麗とかそういうのは関係なく……。だから、お前が怒るのは、分かる」
彼と僕の立場は違う。それでも、無神経な人間に対する僕らの怒りは似ている。
親近感を感じた彼に僕は口を開いた。
「天馬さんの家に行ってもいいですか?」
「え?」
「僕が今回ここに来たのは……被害者の人に線香をあげようと思ったからなんです。もちろん、天馬さんが許してくれるのなら、ですけど。今のところ、他の方は難しそうですし……断られたとしても受け入れます」
僕の提案に天馬さんは戸惑っていた様子だったが、やがて頷いた。
「姉さんに線香をあげる人がいるなんてな……」
彼は僕と連絡先を交換すると会議式の状況を教えてくれた。井澤さんと宇崎さんが言い争いをしていて、それを飯沼夫婦が黙って聞いている様子だった。飯沼夫婦が宇崎さんの意見も井澤さんの無神経もどちらも肯定しなかったことにはあまり驚かなかった。
僕の方が先に死んでいれば、彼らの息子は死なずに済んだから、割り切れないものがあるだろう。
「それじゃあ、僕はおいとまする方がいいですね」
「そう、だな……宇崎さんには俺から言っておくから、帰っていい。井澤と鉢合わせすると面倒なことになると思う」
天馬さんは会議室へと戻っていった。彼の後をすぐについていかない古布さんに僕は首を傾げる。
「まさか、五年前の事件の関係者が集団パニックの体験者だとは思わなかった」
「僕も巻き込まれると思いませんでしたよ」
ため息を吐く。行きましょうかと五味教授が席を立ったので僕も席を立った。
「そういえば、釜下さんっていただろ? 俺と一緒にいた警察官」
「ええ、知ってますけど」
「あの人がどうして質問をしてたのに君を返したのか気になってたけど、君が五年前の被害者だって分かってたから、返したんだな。あまり刺激をしないようにって」
「……え?」
古布さんが僕に集団パニックの現場にいたことについての質問をしていた時、釜下さんは僕のことを家に帰した。あの時の微笑みは不気味だと思っていたが、あの時すでに僕が五年前の事件の被害者だと釜下さんが気づいていたんだとしたら、あの表情の訳も分かる。
だとしたら、彼はいつ僕のことに気づいたんだ。
最初から?
もしくは帰す直前?
「もう巻き込まれるなよ。事情聴取を何回もされるのは嫌だろ?」
「僕から巻き込まれたことは今まで一度だってないです」
「それもそうだな」
古布さんは話したいことは話し終わったみたいで、天馬さんのことを追いかけて会議室へと向かった。僕と五味教授は市民館を出て、車に乗り込んだ。
「警察の方ですか」
「はい。四回目の集団パニックの時に逃げるのを見られてて、次の日に呼び止められて質問とかされました。でも、その時にさっきの人じゃない釜下さんっていう刑事がもう質問は終わりでいいみたいな雰囲気を出して、帰っていいって言ってきたんです」
「……それは不思議ですね」
エンジンをかけながら五味教授は首を捻った。
「糸魚川くんは事件の重要な参考人です。警察の方が糸魚川くんへの質問もそこそこに家に帰すとは思えません」
「ですよね」
「でも、今はそれよりも天馬さんのことです。よく家に行く約束を取り付けましたね」
実は、被害者遺族に話を聞く必要があると思った時から、被害者に線香をあげるという作戦は思いついていた。線香をあげたいと言う人間を遺族は邪険にしないはずだ。
その時に、彼のお姉さんの話を聞いたりすることができる。
「とりあえず、帰りましょう。つばめと三鷹くんをいつまでも待たせるわけにはいきません」
いったい、つばめさんは三鷹さんと二人きりの時にどんな話をしているのだろう。まったく想像できなかった。
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