第30話 五年前の事件
テーブルの上に広げられた資料は集団パニックの資料の四倍ほどの量があった。
「これ、警察署から持ってきたんですか?」
「〝ハイダー〟関連の事件だと思われるものは、コピーや自分で調べてまとめた資料があるからそれを持ってきた。警察署からは持ってきていない」
五味教授も三鷹さんも仕事があるのに、〝ハイダー〟についての調査も本業と同じぐらい頑張っているなと思っていると「あった!」と調査資料を見ていたつばめさんが声をあげた。
「これこれ。エミコって名前、この人じゃないの?」
リストには一人の被害者につき、その親族、恋人、親しい友人までの記載があった。関係者の中にエミコという人間がいるのなら、その人に話を聞いて、上野明希奈さんと出会ったかどうか聞くのが手っ取り早い。
「
五人目の被害者。
ということはこの淡田恵未子という人物は、五年前に亡くなっている。
「じゃあ、上野さんの奥さんが待ち合わせしていたのは、誰なの? 全然関係ない人?」
つばめさんが首を傾げると三鷹さんが「いや」と首を横に振って、淡田恵未子さんの名前の下にいる人物を指さした。
「彼女には家族がいた、両親は……事件後、事故で亡くなったが、弟がまだいるはずだ。上野明希奈のアカウントに接触してきたエミコというアカウントが、元々淡田恵未子のアカウントだったと考えると、それを利用できるのは彼女の生き残った家族しかありえない」
弟の名前は、
この資料には事件当時の年齢が書かれているのはリストの僕の欄を見て確認済みだ。となると、淡田天馬さんは現在二十五歳。
「この天馬さんは今どうしているのか知ってますか?」
僕の言葉に三鷹さんは険しい顔のまま首を横に振った。
「事件後の遺族の動向はさすがに把握していないが、こんな話は聞いたことがある。五年前の連続誘拐殺人事件の遺族が集まって、被害者の会を作っていると」
「被害者の、会……?」
「初耳か?」
「はい……そんなものがあるなんて……」
僕は一切聞いたことがない。周囲の情報をシャットダウンしていたから当たり前かもしれないが、寝耳に水だ。
「事件後、すぐに出来上がった会だ。警察の捜査の不手際やマスコミへの被害者に対する配慮の欠けた報道があると度々、どこかの誌面で被害者の会が物申している印象がある」
「なるほど……」
事件直後ということなら、そんな情報は伯母さんが僕に届かないようにしていただろう。
「もしかしたら、淡田天馬さんもその被害者の会にいるかもしれないということですね」
「ああ。しかし、俺は被害者遺族でもないから、潜入することもできない。当時から刑事だった俺の顔を覚えている人間もいるから近寄ることもできない」
三鷹さんの鋭い目が僕を見る。睨まれているようにしか感じないから、そんなにじっと見ないでほしい。
言いたいことは分かってる。
三鷹さんには無理でも、僕にできることがある。
「じゃあ、僕が行きます」
「糸魚川くんがですか……?」
僕とつばめさんが見てはいけないと思い、現場の写真や死体の情報が書かれた資料を見つけて、丁寧に横に避けていた五味教授が困惑したような声をあげた。
そういえば、僕は自分の立場を五年前の連続誘拐殺人事件の関係者としか言っていなかった。あ、と声が漏れる。僕が慌てて、言おうとする前に三鷹さんが口を開いた。
「五味さん。糸魚川くんは五年前の連続誘拐殺人事件の、唯一の生存者だ」
五味教授は驚いてソファーから資料を持ったままずり落ちて腰を打ってしまったので、つばめさんと僕が駆け寄って心配する。
関係者と言っていたことにより、僕のことを目撃者や被害者遺族だと思っていたのかもしれない。生存者の話は僕の今後の生活のことも考えられて、あまり大袈裟に報道しないようにという話もあったみたいだし、なにより、唯一の生存者なんて稀有な人間がこんな近くにいたなんて、驚くに決まっている。
「すいません。自分の立場を人に話すのがあまり得意じゃなくて……田所さんとか、人のいるところで五年前の話をするので、生存者とか被害者とかそういう言葉を使わないようにしてたんです。どこで誰が聞いてるか分かりませんし」
僕がぺこぺこと頭を下げて謝ると五味教授は自分の腰をさすりながら「大丈夫です」と何度か言って、ソファーに腰を落ち着けた。
「でも、まさか、五年前の事件の生存者にこうして会うことができたなんて……」
五味教授の瞳には好奇心が伺えた。
五味教授にとっては〝ハイダー〟が関わっていると思われる事件の一番犯人に近かった人間の証人が目の前に現れたのだ。僕がマシンガンのように質問が投げられることに覚悟していると三鷹さんが五味教授の肩に手を置いた。
「とりあえず、五年前の連続誘拐殺人事件の被害者の会のホームページに会長の連絡先が載っている。もし、君がその気なら、潜入して、淡田天馬から話を聞いてほしい」
僕はつばめさんの方を見た。
妙に落ち着いて、頭がすっきりしているのは、彼女のおかげだろう。
「僕にしかできないことなら、やります」
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