第26話 二度目の事情聴取


 病院の個室で僕は三鷹さんと対峙していた。もう初夏なのに、頭のてっぺんから足の先まで冷たい僕は病院で渡されたガウンを羽織って、反対の袖に両手を突っ込んでいた。


 三鷹さんが厚意で持ってきたのだろう温かいお茶には手をつけることができないでいる。


「落ち着いたか?」

「落ち着いたように見えますか?」


 口を開けば歯がガチガチと鳴りそうだ。落ち着いたように見えても表情は最悪に違いない。


「お店で言ってましたけど……集団パニックが起こったって本当ですか」


「ああ、本当だ。今回は店のホールにいた客と店員、十二名が巻き込まれ、そのうち一人が死亡した」


 死亡したのは田所さんだけだったらしい。


 彼が死んだ瞬間を僕は覚えていない。でも、しっかりとそうなる前のことは、覚えている。田所さんと僕はこの集団パニックの事件について、亡くなった人達数人が五年前の連続誘拐殺人事件に関わった人物だということに気づいた。


 そして、田所さんは僕のことを犯人ではないかと案の定言い始め、そして、気が付くと僕の目の前で田所さんは死んでいた。


「糸魚川くん。君は田所慎一郎とはどういう関係なんだ?」


「……彼とは五年前に知り合いました。五年前の事件について、僕の伯母さんを通さずに僕の前に現れて、取材してきた人です」


 三鷹さんは眉間に皺を寄せた。


 五年前の事件に三鷹さんも刑事として関わっていたのなら、気持ちは分かる。五年前の事件の時、八件も死体が見つかっているにも関わらず、一向に犯人を捕まえられない警察のことを報道陣は責めた。警察の捜査に対してくだらない疑問をいくつも作り出して、警察官に詰め寄ったり、警察署に電話するマスコミも現れたと聞く。


 そんなマスコミ関係の人間に、三鷹さんがいい顔をするわけがない。


「何故一緒に回転寿司に?」


 聞かれると思った。


 僕と田所さんの立場を考えると、僕らは犬猿の仲だろう。三鷹さんと田所さんが、刑事とマスコミという犬猿の仲だとすると、僕と田所さんは事件関係者とマスコミという犬猿の仲だ。関わろうとは絶対思わないはずだ。


「実はこの前、出かけている時に再会して……田所さんには僕が四つ目の集団パニックの現場にいたということが知られてて、話を聞かせてほしいと言われていたんです」


「なるほど……またネタがあると思って、糸魚川くんに飛びついたわけか」


 三鷹さんの眉間の皺がどんどん深くなっていく。

 田所さんに対して、いい感情を持たないのは僕も一緒だ。


 でも、あんな風に死んでいい人ではなかったはずだ。今、田所さんの血で汚れてしまった僕の服は病院のコインランドリーにあり、洗濯してもらっていて、僕は病院の入院着を一時的に着ている。それでも、ズボン越しに染みた血の感触が太ももに残っているようで、とても気味が悪い。


「何が起こっていたのか、教えてくれるか?」


「……本当に集団パニックの前のことは覚えていないんです。田所さんと話をしていたら、いきなり頭が真っ白になった気がして、気が付いたら、田所さんが……」


 思い出してしまって、思わず顔が強張る。死体なんて人生で何度も見るものではないはずだ。それなのに、どうして、短期間に何度も死体を見るはめになっているのだろう。


 僕が何か悪いことをしたのか。こんな目に合うようなことはしていないはずだ。家に帰りたい。家から出ずに布団の中に籠っていたい。


「糸魚川くん。例にも漏れず、今回の集団パニックも、君以外に巻き込まれた人間は正気を保っていない。叫んで暴れている人間もいるんだ。こうして、普通に話せるのは君しかいない」


 だから、なんだって言うんだ。


 僕だけがどうして、正気を保っていられるのか。最初、五味教授に説明したように右目が義眼なのがいけないのか。好き好んで義眼になったわけでもないのに。


「……まだ落ち着いていないというのなら、時間を置こう」


 三鷹さんは僕の様子を見て、視線をテーブルの上に落とした。


 僕のことを心配しているのは分かる。でも、僕のことを一番に思ってくれるのなら、関わらないでほしい。そんなワガママは言っていられないのは分かるけど。


「……また幻覚のようなものは見ました」


「幻覚……五味さんから聞いているが、交差点での集団パニックの時も見たと言っていたな」


「はい。交差点では無数の血走った目が僕のことをじっと見てくる幻覚を見たんです」


 三鷹さんはスーツのポケットから手帳を取り出すとペンを走らせた。高そうなペンだなとぼーっと見てしまう。


「今回の幻覚は細部まで交差点の時の幻覚と一緒だったか?」


 彼の持っているペンから意識が引き戻され、僕は慌てて、自分の膝に視線を落とした。回転寿司で僕が見た幻覚を思い出す。


 無数の視線を感じたのは交差点の時と一緒だ。違ったのは、僕の足元に五年前の連続誘拐殺人事件の記事や写真が積もっていたことだ。


「……ほとんどは一緒です。目の前が真っ白になった後、視線をたくさん感じました。あとは五年前の事件の記事や写真が足元に積もっている感じの幻覚で……」


 三鷹さんが手帳にペンを走らせる。きっと彼はいつもその手帳を使っているのだろう。開かれたページは手帳の真ん中あたりのページだった。真ん中のページまで進むのに、どれほど事件の聞き込みをしたのだろう。


「そうか。亡くなった田所とは具体的にどんな話をしたんだ?」


「交差点の集団パニックの時のことを話しました。……〝ハイダー〟の話はしてません。幻覚の話もしていないので、大した情報は話してないんです」


 僕は嘘をついた。


 三鷹さんが信用できないというわけでもない。そもそも田所さんも三鷹さんも信用しているかと聞かれれば、僕は首を振るだろう。別に信用しているからと言って、大事なことを話す性格ではない。


 僕が話さなかったのは、嫌われたくなかったからだ。


 もし、僕が田所さんと話したことを三鷹さんに全て話してしまったら?


 集団パニックの現場で亡くなった人達のほとんどが五年前の連続誘拐殺人事件に関わっていると話して、万が一、三鷹さんも田所さんのように僕が集団パニックの犯人だと疑ったら?


 お茶を買ってくれたり、助けてと電話で言って駆けつけてくれた三鷹さんの厚意を失いたくない。


 そして、三鷹さんが僕を犯人だと思ったら、間違いなくその意見は五味教授に伝えられ、つばめさんも知ることになるかもしれない。それは嫌だ。


 結局、僕は、できたばかりの友達に嫌われたくなくて嘘をつく嫌な奴なんだ。

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