第21話 被害者のブログ


 三鷹さんの車は黒くて細いイメージの車だった。


 彼は五味教授のように最寄りの駅を教えてくれとは言わずに自宅の住所を教えてくれと言ってきたので最寄りの駅を教えた。しかし、この時間に駅から家に帰るまでに何かあったらどうすると言われて、仕方なくマンションの住所を教えた。


「伯母さんと一緒に暮らしていると聞いていたが」


「今は海外勤務をしています。忙しい人なので。僕は今の生活に満足しています」


 伯母さんだって一度も結婚していないし、子どもを欲しいと思ったこともないのに自分の弟が亡くなってしまったせいでその子どもの面倒を押し付けられてしまい、戸惑っただろう。子どもが苦手な伯母さんは僕の両親が生きていた時も顔を合わせたのは数度しかない。お年玉はいつも両親経由でもらっていた。


 だから、周りになんと言われようとも僕と伯母さんの距離感はこれぐらいでちょうどいい。


「君がいいというのなら、いいんだろう。なにか困ったことがあれば、言ってくれ」


「なにも困ったことなんてありませんよ。しいていうのなら、そうやって同情から色々してこようとする人がたまにいるくらいですね」


「……だから、五味さんたちには話していないのか」


 横断歩道の前で車が停止する。奇しくもその交差点は、僕が集団パニックに巻き込まれた交差点だった。僕は助手席の窓から横断歩道の手前を見た。


 あの日、僕はあの場所に立っていた。手にスマホを持つこともなく、ぼーっと赤信号を眺めて、信号の色が変わるのを待っていたはずだ。


「君が五味さんたちと知り合ったのは数日前のことだ。確かに、言いづらいだろう。自分が五年前の連続誘拐殺人事件の関係者だとは」


「……はっきりと言いますね。知ってる人でもたいていは濁すのに」


「濁したところで君の気分を損ねるだけだろう」


 それもそうだ。むしろ、腫物に振れるように話を聞かれる方が嫌だ。


 しかし、最近、僕の五年前の事件の話をする人は、田所さんといい、三鷹さんといい、はっきりと物を言い過ぎだと思う。腫物に触れるような扱いも御免だが、配慮がないのも嫌だ。


「それに俺は刑事としてではなく、五味さんの協力者として、君に聞きたいことがあるんだ」


「聞きたいこと?」


「犯人は本当に〝ハイダー〟だったのか?」


 三鷹さんの質問に僕はどう答えていいのか悩んだ。なにせ、五年前のことで、当時の僕は小学六年生だった。子どもが覚えている事件のことはあてにならないだろう。それに今更、話を蒸し返すには、まず頭の中を整理しないといけない。


「……とりあえず、その話はまた今度でいいですか。〝ハイダー〟の話を聞かされたのは数日前なので、いきなり五年前のことと結び付けられても……」


「……分かった」


 三鷹さんだって、〝ハイダー〟の存在を知った時は困惑しただろう。僕だって同じだ。しかし、自分が関わっていた事件が〝ハイダー〟によるものだと言われてもしっくりこない。


「俺の連絡先を君には教えておこう」


 赤信号から色が変わり、車が発進すると三鷹さんは口頭で自分の電話番号を僕に教え始めた。慌てて、スマホをポケットから取り出して、電話番号をスマホ内の電話帳に登録しておく。


 三鷹さんに僕が頼ることはこれから先ないだろう。五年前の話をまた今度と言いながらも、僕はこれ以上三鷹さんに会わないことを望んでる。三鷹さんに会うぐらいだったら、田所さんに絡まれる方がまだましだと思っている僕は少しずれてるんだろうか。


 マンションに到着し、車から僕が降りると、三鷹さんは「それじゃあ」とさっさと車を発進させて行ってしまった。


 餃子のおかげでお腹はいっぱいだったから、僕は帰ると自分の部屋のデスクの前に座った。


 スマホの閲覧履歴にあった上野明希奈さんのブログをパソコンで開く。彼女がSNSでどのような人と会っていたのかは知らないが、亡くなった彼女がどのような人物だったかはこの日記のようなブログを読めば分かることだろう。


 最新の更新は商店街の集団パニックにより、彼女が亡くなる前日だった。


『集団パニックが発生しているみたいで心臓が鷲掴みにされたようだわ。きっと罪もなにもない人が巻き込まれているのよね。こんな平和な日本で凄惨な事件を起こす奴らが信じられないわ! 事件を起こす人はおかしいのよ。事件を起こさない人間が普通なんだから。私は絶対に犯罪者を許さないわ。』


 なんともまぁ、正義感の溢れる文章に胸やけを感じた。


 彼女のブログの日記は、議会で問題発言をした議員に対する怒りだったり、バイト先の冷蔵庫に入った写真を投稿した若者に対する怒りなど、あらゆることに怒っていた。こんなに怒っていて、疲れないのだろうかとブログを読んでいるこっちが心配してしまう。


 少し気になって調べてみると彼女が名前を出している問題発言をした議員は、マスコミが議員の意図していないような発言の切り取りを行って、特定の人物を悪く言っているように見せて報道しただけで、元の議会の映像を見る限り、他人を悪く言うような意図を議員は持っていなかったことが分かる。


 バイトの若者にしても、ブログ内で上野さんは社員が見ているはずなのに、こんなことを若者にさせるなんてと断言していたが、この店は普段から真夜中の時間帯にバイトが一人か二人の状況で店を回していたことが発覚し、この時間帯のこの店にも社員がおらず、問題を起こしたバイトの若者しかいなかったという。


 怒るのは別に気にしないのだが、空回りしすぎじゃないのか。


 ブログの更新頻度は二日に一回ほど、ブログは年度ごとにまとめられていて、ほとんど怒りの日記だった。


 三年ほど前の日記まで遡って、自分はいったいなにをしているんだと椅子から立ち上がって、冷蔵庫からアイスコーヒーを取り出して、コップについで、デスクへと戻った。


 一度やり始めたのなら、最後までやらなくては気が済まない。とりあえず、日記を流し見ているとまた一年と日記が書かれた年を遡る。


「……五年前からブログを始めたのか?」


 ふと、五年前の日記までしか表示されないことに気づいた。しかし「自己紹介」と書かれたところには、ブログ誕生の年月日というものも書かれていて、そこに記されていた年は今から七年前のものだった。


 日記を書いたのが五年前からだというのだろうか。


 僕はとりあえず、ブログにのせられている日記の中では最も過去に書かれた日記まで全て読むことにした。


 一番過去に書かれた日記の内容は怒りではなく、謝罪だった。


『私がブログにアップした写真のせいでたくさんの人に不快な思いをさせたのは謝るわ。ごめんなさい。でも、私達はこういう現実から目を逸らしてはいけないと思うの。でも、私のやり方は少し過激だったみたいって私も反省しているわ。だから、今までのブログの日記は消して、心機一転やり直してみようと思うの。これからも私のブログを見てくれる人はよろしくね!』


 本当に謝罪の気持ちがあるのか疑わしいが、上野さんは人を不快にさせるような写真をブログにのせて、それをたくさんの人に指摘されて、仕方なくブログで謝罪をして、今までの日記を消すことにしたのだろう。


 そして、よく言えば心機一転、悪く言えば、忘れたふりをして逃げて、日記を五年間も続けていたことになる。別に罪を犯していないのなら僕が気にすることではないのだが、彼女がどんな写真を載せたのか気になった。


 彼女が載せた写真を見ることができないのが少し残念だ。

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