第18話 二人目の証言


 上野さんの住んでいるマンションの一室は少し散らかっていた。テーブルの上には食べ終わったカップ麺が重ねられていて、ソファーの上には着る前か後かも分からない服が山のようになっていた。全て男性のもので、女性のものはない。


『すみません、汚くて……』


 パソコン越しに聞く上野さんの声は震えていた。頬がこけていて、肩に振れる程度まで伸びた髪には少し白い粉のようなものがのっているのが分かる。


『大丈夫ですよ。話を聞かせてくれると言ってくれて、とても嬉しかったです』


『嬉しかった……そうですか、それならいいんです。わ、私は、妻が、妻がなくなった理由が分かればなんでもいいので……その理由が分かるなら、なんでも協力します』


『私もできる限り協力させていただきます』


 リビングの椅子に座った上野さんは縮こまったように肩を寄せて、目を忙しなく泳がせていた。


『集団パニックが起こった時、上野さんたちはどうしてあの商店街にいたんですか?』


『妻が買い物に行くと言ったんです。そこで、はい、会社から帰る途中で、わ、私が合流したんですね、はい』


『それで買い物をしていた時に集団パニックが起こったということですね。なにか思い出せることはありますか?』


 上野さんは両手で自分の頭を抱え込んだ。


『思い出せること、思い出せること……妻、妻は喫茶店で人と会う約束をしてると言って、荷物をわ、私に渡して、先に帰ってほしいと言っていて……』


 喫茶店で人と待ち合わせをしていた。上野明希奈さんが喫茶店で誰かと会う約束をしていたのなら、喫茶店の前でトーテムポールに押しつぶされて亡くなったのも頷ける。


『わ、私は家に帰ろうと妻に背を向けたところ、悲鳴が聞こえて、思わず目が眩んで、気づいたら、倒れてて……』


 涼花さんから聞いた証言よりもはっきりしないものだ。彼女はもっと落ち着いて、事件の時のことを話してくれていた。しかし、パソコンの向こうの上野さんは頑張って話そうという気持ちは伝わってくるものの、証言に正当性が感じられない。


 着ている服だって、黒い半袖のTシャツを着ているのに首にはネックウォーマーをつけている。汗はかいているように見えないからきっとエアコンの冷房をきかせているには違いないが、見ているこっちが暑くなってしまう。


『その会おうとしていた人も集団パニックに巻き込まれたんですか?』


『それは、分かりません……。わ、私は妻が誰と会うのか、知らなかったので……でも、会おうとしていた人なら分かるかもしれないです』


 彼はテーブルの上にスマホを置いた。赤色のスマホには布で作られた花のストラップがついていた。


『妻はブログをしていて……SNSで彼女のブログを支持する人達とオフ会と言って、会ってお茶をすることが多かったので、あの日もそうだと思ったんです』


 スマホのロックはかけられておらず、画面には上野さんが言っているブログの画面が現れた。そのブログの名前を見て、僕は自分のポケットからスマホを取り出して、検索してみた。該当するブログを見つけて開く。ぱっと見た感じ、ニュースについて日々なにか語ったりしている日記のようなものだった。そのブログから「連絡はSNSのダイレクトメッセージへ」と書かれていて、SNSのアカウントが載っていた。


 SNSではよく絡んでくる人達と話をしていたようで、その中から「今度、お茶しましょう」など会う約束をしている人が何人かいた。


 しかし、それ以降の、どこで会うか、いつ会うかという文面は見当たらず、全て「後はダイレクトメッセージで話しましょう」という返信で終わっていた。


『妻のスマホを調べたら、あの日会おうとしていた人がいたんです……そこで、その人のことを調べようとしたんですが、情報開示請求は通らず……妻のふりをしてコンタクトをとろうとしても返信は来ず……』


『そうだったんですか……』


 五味教授も奥さんのことを亡くしている。失意のどん底にいる上野さんの気持ちが分かるのだろう。ずっと頭を抱えたままの上野さんに少し同情する。


『生活は大丈夫ですか? 家から出られないと電話で伺った時に言ってましたが……』


『外出……外出は、もう大丈夫になりました……』


『え、大丈夫になったんですか?』


『はい。ですから、これで、妻が死んだ理由も探せます……』


 ぎょろりと魚の目が動いたかのように、上野さんの目玉がこちらを向いた。


『何か、何か、し知ってる情報を話すんだ。なんでもいい。妻を殺した犯人。妻が死んだ原因。妻が亡くならないといけなくなった理由。全て全て全て、話すんだ』


 声にモスキート音をのせて常に喋っているような音がして、思わず顔を顰める。その音はノートパソコンから溢れ出し、リビングを高音で満たした。


 思わず、つばめさんは耳を両手で塞いでいた。僕も片耳を塞いだ。この音はノートパソコンの不調かと思っていると、パソコンの向こうで五味教授の声が聞こえる。


『し、知っている情報は、事件に巻き込まれた人のリスト、現場の状況写真、この事件に〝ハイダー〟が関わっていること、です』


 苦し気な呻き声と共に発せられた五味教授の声に思わず顔から血の気が引く。いったい何が起こってるんだ。


 こちらの困惑など意にも介さず、ぎょろぎょろと目を動かした上野さんはいまだに頭を両手で押さえたまま椅子から立った。


『〝ハイダー〟〝ハイダー〟とは、なななんだ』


『死体に憑りつき……その者の願いを歪んだ形で叶えようとしているもののことです……。彼らは人間の五感に刺激を与えて、影響を及ぼします。今回の集団パニックの事件はその〝ハイダー〟が視覚から影響を与えていると私は考えています……』


 上野さんはぎょろぎょろと目を回すと頭ではなく、首元のネックウォーマーを両手で掴んで、思いっきり上に伸ばした。彼の顔も頭も隠れたと思うと、隠れていた首が顕になる。


 そこにははっきりと縄の痕があった。


『そそそんなことは、どうでもいい! 妻の妻の死んだ理由! 探す!』


 五味教授が喋っている時には聞こえなかったモスキート音が、上野さんが喋りだすとまた激しくなった。ネックウォーマー越しに話しているから声はくぐもっているはずなのに、モスキート音はリビング内に響く。


 上野さんはネックウォーマーを頭まで引き上げたまま、どたどたと走り出してしまった。扉を勢いよく開ける音がして、リビング内は静寂に包まれる。


「お父さん! 大丈夫⁉」


 静寂を破ったのはマイクを手にとったつばめさんの声だった。五味教授の返事は少し遅れてやってきた。


『ああ、少し……気分が悪い……。知り合いの刑事に連絡することにします。二人は家で待機していてください』


 それを最後に画面が真っ暗になった。


 心の中できっと大丈夫だという言葉を繰り返す。様子がおかしい上野さんはリビングから出て行ったはずだ。五味教授に危害を加える様子もなかった。彼の手はずっと彼の頭やネックウォーマーを掴んでいて、五味教授には手を出さなかった。


 だから、大丈夫なはずだ。


 心の中で安心しようと努める僕の隣でつばめさんが顔をしかめたまま、一言呟いた。


「あれ、〝ハイダー〟だよ」

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