第14話 少しお高い肉


 田所さんは五年前に僕のところに訪ねてきた新聞記者だった。新聞もニュースの報道もあの頃は見ていなかったので、彼の記事がどのように世に出たのかを僕は今まで知らなかった。


「糸魚川少年についての記事は上に却下されたんだよな」


 網の上に味付きカルビをのせながら、田所さんは肩を竦めた。僕は運ばれてきたオレンジジュースに口を付けて、キムチに箸を伸ばす。


「結局、僕の記事は出したんですか? そもそも、僕はほとんどしゃべってなかったと思いますけど」


「喋ってなくても様子から色々想像して文章を膨らませることはできるんだよ」


 田所さんは大きなグラスに注がれたジンジャーエールを喉を大きく上下させながら半分以上飲んだ。


「恋愛禁止のアイドルとドラマで共演した男優が夜中に一緒に歩いていた写真を撮るだろ? そして、その後、話を聞くために突撃する。たいていは「事務所を通してください」とか「お話しできることはありません」と断られるが、その時の動作や表情を見て想像を膨らませるんだよ。バレたことへの焦燥感から慌ててマスコミを振り切ったとか、自分の保身のために逃げ出したとかな」


「……それ、ほとんど想像じゃないですか」


 そういう人々の想像を掻き立てるような下世話な話題は新聞ではなく週刊誌向けだと思うのだけど、もしかして、この人の性分は新聞記者に向いていなかったから、今はフリーのジャーナリストをしているのではないだろうか。


「想像でもいいんだよ。ネタが盛り上がればな」


「それで、僕のことはなんて書いたんですか?」


「大丈夫さ。思いっきり不幸のどん底にいますーみたいな記事を書いてやったから。上には却下されたが、週刊誌に伝手があって、そこで出せた。俺の記事を信じた奴らは絶対に糸魚川少年が一生家から出ることができずに怯えたまま人生を終わらせると考えてるだろうさ」


「……まぁ、考えていた最悪な記事ではなかったからいいです」


 実際、僕だって、最初は引きこもりのまま人生が終わると思っていたから五年前に田所さんがそんな内容の記事を出しても「的を射ている」と思っていたことだろう。時間が経って、外に出るのもそこまで恐怖ではなくなったことも昔の僕からは想像がつかなかったと思う。


「最悪な記事ってのはあれか? 糸魚川少年が犯人かもしれないっていう記事か?」


 田所さんの的確な指摘に僕はキムチを咀嚼しながら頷いた。やってもいないことをやったと捏造された記事が出ることを最悪だと思っていた。しかし、少なくとも田所さんはそんなことを記事にしていないようで安心した。


「そういう説を唱える記事もあったけど、眉唾物だって一蹴されてたな。いくら想像を膨らませて何でも書けると言っても現実味がないとなにも受け入れられないからな」


 そういうものなのだろうか。


 だったら、僕や五味教授やつばめさんが探している〝ハイダー〟なんて大した記事にもならないだろう。集団パニックの犯人が〝ハイダー〟という化け物だなんて、現実からは一番離れている。


「世間話はこれぐらいにして、本題に入らせてもらおうか」


 注文した肉がいったん全てテーブルにそろったところで田所さんは身を乗り出した。


「集団パニックの現場にいたのは本当のことなんだろう?」

「本当のことですけど、実際、なにも覚えていないんですよ」


 幻覚のことは黙っていよう。警察にも幻覚のことを言っていないのだから、田所さんに話す義務はない。


「でも、おかしいなぁ。集団パニックに巻き込まれた被害者たちは全員正気を失って、引きこもりになってるっていうのに、どうして糸魚川少年は平気な顔をして彼女とデートしてるんだ?」


「友達です。デートじゃないです」


 僕はともかくつばめさんに間違ったイメージを抱くのはやめてもらいたい。僕の友達なのだ。友達がここにいないとしても間違った印象を持たれるのは不愉快だ。


 しかし、田所さんの疑問はもっともだ。僕以外のほとんどの被害者が引きこもりになっているとなったら、平気に外出をしている僕はイレギュラーに見えるだろう。


「僕は引きこもりに耐性があったからじゃないですか?」


 かと言って、彼の疑問に真面目に付き合うつもりもない。〝ハイダー〟は人間の五感に影響を与えるから、視界に影響を与えたとしても僕は右が義眼なので意味がないんですよ、と言ったところで信じてもらえるわけがない。僕だって、半信半疑なのに。


 〝ハイダー〟なんてものがいるのかどうか。はっきりとはしないが嫌いではないから協力をしている。そんな感じ。


「ああ、確かに糸魚川少年には引きこもりの過去があったな」


 僕が適当に言ったことで納得してくれたようで、彼はさらに嫌味なことを言い出す。


「死体にも耐性があるはずだから、あの現場にいたところでなんとも思わなかったわけだ」


「……五年前もそうでしたけど、田所さんって本当にデリカシーがないですよね。人への配慮が欠けているというか」


「フリージャーナリストに配慮があったら、食っていけねぇんだよ」


「配慮を持っているフリージャーナリストなんてたくさんいると思いますけどね」


 少なくとも、僕は配慮を持っているジャーナリストに会ったことはないが。


 それに僕は引きこもりにも死体にも耐性があるわけではない。ていうか、引きこもりに対しての耐性ってどういうことだ。引きこもりを経験した人間が引きこもりをしにくくなると思っているのだろうか。


 自分が適当に言ったことを今更後悔しても遅いが、どうしても馬鹿な考えのように思えてきて、ため息をつくのを抑えて、焼けた肉を手元の皿に移した。甘口の焼肉のたれをつけて、ご飯の上にのせてからご飯と一緒に口の中にいれる。高いお肉なだけあって、口の中に美味しさが広がっていく。


「そういえば、糸魚川少年の伯母さんはどうしたんだ?」

「今は一緒に住んでないですよ。一人暮らしです」

「金は?」

「それ、言う必要あります?」


 奢ってもらえるから、集団パニックの件は話していいところまで話すが、それ以外のことについて詳しく教えるつもりはない。僕が田所さんのことを睨むと田所さんは首を横に振った。


「たった十七歳の子供が一人暮らしだなんてな。心配になっちまってよ」

「田所さんが、心配……?」


 信じられない言葉が出てきて、思わず鸚鵡返しにすると田所さんは大袈裟に心外だといわんばかりに口をへの字に曲げた。


「俺だって、人並みに心配する心ぐらいは持ってるっての」

「五年前、僕のことを心配しましたっけ?」

「それとこれとは話が別だ」


 口をへの字に曲げるのをやめて、焼けた肉に箸を伸ばして、たれもつけずに口に放り込む彼は僕の質問から逃げた。しかし、肉を飲み込んだ後に、こちらをじっと見たかと思うと彼はため息をついた。


「糸魚川少年の記事を出した後に逃げられたんだよ」

「逃げられた?」

「妻と子供にだよ」

「えっ、田所さん、結婚してたんですか」


 人に配慮もできないこの人が結婚できていたとは驚きだ。田所さんは「手酷いな」と呟くとため息をついて、ネギの乗ったタンを網の上にのせた。先ほどから自分の分だけではなく、僕の分も焼いてくれているし、ひっくり返してくれている。いや、もしかしたら、彼が食べようとしている肉を僕が食べている可能性もあるけど、田所さんはなにも言わなかった。


 言動には一切配慮ができないのに、行動は配慮できる人なのかもしれない。だからといって、彼のことを見直すことはしないけれど。


「子どもに対して、ひどいことをするなんて許せないってことが書かれた手紙を置いて、実家に逃げられたんだよ。謝りに行っても妻は俺と別れることしかできないとか言い出してな。子どもも俺には育てることは絶対にさせないって聞かなくって……。まぁ、元々看護師として働いていたからフリーのジャーナリストよりは安定してるってことで親権は譲ったさ。面会は一切許してもらえてないけどな」


「まぁ、当たり前ですよね」


 僕には彼を擁護できない。ていうか、するつもりは微塵もない。彼のような性格が悪い人に育てられる子どもはかわいそうだと思う。他人の子どもに配慮に欠けた酷い物言いをするのだから、いつかそのナイフのような言葉を自分の子どもにも向けるかもしれない。田所さんの奥さんも僕と同じようなことを思ったのだろう。


「小学生の子どもに、両親が死んだと知らされた気分を教えてくれなんて言い出す頭のおかしな人と家族なんてやってられないでしょうね」


「本当に手酷いな、糸魚川少年は……。昔は無口なだけだったのに」


「まだ今も子どもですけど、五年も経てば変わるんですよ。ほら、三日経てば見違えるとか言うじゃないですか」


「男子、三日会わざれば刮目して見よって奴か。それもそうだな。大人の五年よりも子どもの五年の方がそりゃ、色々変わるわな」


 僕の件で彼が奥さんと離婚することになったとしても、僕のせいではない。元々、彼の性格に引っかかっていた奥さんが事を起こすきっかけになっただけだ。僕の件はただのきっかけ。僕のことがなくても、いつかは離婚していたのだろう。奥さんが田所さんのことを見限って、子どもを連れて出て行ったはずだ。


 それは田所さんもよく分かっているようで「まぁ、自業自得だけどな」と笑って、ジンジャーエールを飲み干した。焼けたタンを、上にのったネギを落とさないように皿へと避難させる。

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