第13話 ジャーナリスト
お互い、黙ったまま手を合わせて十数秒後に、目を開けて、お互い、目を合わせる。
「なんのお願いをしたの?」
「もちろん、今回の事件が終わるようにお願いをしたよ」
僕がつばめさんを神社に誘ったのだ。神様に願うことなどそれぐらいしかない。僕個人の願いなんて叶えてくれないことは今までの人生で証明できているのだから。
家族とずっと一緒に暮らせますようにという願いも結局叶わなかったし、誕生日にあの玩具が欲しいという願いも結局叶わなかった。他にはなんと願ったか忘れたが、叶わなかったはずだ。
いや、一つだけ思い出した。
僕は確か、神様に友達が欲しいとお願いをしたんだ。
「お守りってなにを買えばいいんだろ……」
合格祈願。学業成就。恋愛成就。縁結び。交通安全。安産祈願。商売繁盛。家内安全。金運上昇。出世祈願。無病息災。厄除け祈願。開運祈願。旅行安全。勝利祈願。成功成就。長寿祈願。
ぱっと見るだけでそれぐらいの種類があった。
この中で僕らが買うとしたら、厄除け祈願、いや、成功成就だろうか。勝利祈願でも同じような気がする。
「とりあえず、個人的に厄除け祈願は欲しい……」
集団パニックの現場に居合わせてしまったことも今までの人生のことも考えると一番僕に必要なのは厄除けだろう。
「それじゃあ、私は成功成就かな」
お互いにお金を払って、お守りを買うと僕はショルダーバッグに、つばめさんはスマホのストラップをひよこからお守りに替えた。
「あとは屋台に行こうか」
「糸魚川少年……? やっぱり、糸魚川少年じゃないか!」
平日の午後に僕と同じ苗字の人間が神社にいる可能性は低い。だったら、呼ばれているのは間違いなく僕だ。
振り返ると賽銭箱とお守り売り場がある場所まで階段で登ってきた男の人がこちらに笑顔を向けていた。つばめさんのように無邪気な笑顔でもなく、五味教授のように安心するような笑顔でもない。獲物を見つけた時の獰猛な肉食獣のような表情だ。一瞬、身体が強張るが、隣できょとんとしているつばめさんを見て、気を取り直す。
青いTシャツにメッシュ素材の袖なしの白いパーカーを羽織っている男性の頭は縮れた金髪で、黒く丸いサングラスという、誰が見ても「怪しい大人」そのものだった。
「……誰でしたっけ」
「これは手酷い返しだなぁ」
男性は大して落ち込んでもないのに「やられたぁー」と頭に何かぶつかったようなジェスチャーを右手と痛がる表情で表現すると、僕を見た。
この男の人のことは知っているが、名前を覚えていないのは本当のことだ。
「もう一度、名刺を渡した方がいいか? 五年前のことだから、どうせ俺の名刺も捨てちまってるだろ」
「そうですね。名刺は捨ててます。あなたみたいな人からもらった名刺は全部」
僕が五年前にもらった名刺や手紙などは伯母さんがチェックした後にほとんどを捨ててくれたらしい。おかげで僕は名刺に書かれた会社や人名、手紙の内容などはほとんど知らない。
しかし、この人は唯一、伯母さんを通さずに直接名刺を僕に渡してきた人間だ。彼の放った言葉もはっきりと覚えている。
「それじゃあ、改めて自己紹介をしよう」
彼は腰にとりつけた鞄から、名刺入れを取り出すと片手で僕に差し出してきた。
「
たぶん、捨てる。
名刺には名前の上に小さな文字で「フリージャーナリスト」と書かれていた。
「……五年前は新聞記者だったのに、今はフリーのジャーナリストですか」
「そういう糸魚川少年は平日の真昼間から彼女とデートとは、出世したねぇ」
田所さんはつばめさんを見て、ヒュウと口笛を吹いた。こんな男に出会うことになって僕も気分は悪いが、彼女扱いされたつばめさんの方がよっぽど気分が悪いに違いない。
「違うよ。私たち、友達なの! 初めての友達!」
「と、友達?」
あまりにも無邪気につばめさんが元気に答えると田所さんは頭を掻いた。からかおうとしている相手が悪かったみたいだ。
そうだ。なんてことはない。僕らは友達だ。高校にも行っていないただの十七歳の男女の友達。
「僕も彼女も高校に通っていないので、どこでなにをしてようといいでしょう」
「でも、高校生の年齢の君たちが平日に遊んでるとなるといい顔をする大人はいないでしょ~」
にやにやと笑う田所さんの表情が「糸魚川少年にはいい顔をしない大人が周りにいないだろうけど」と意地悪なことを喋っているようにしか思えない。
「でも、まさか、糸魚川少年とこんなところで出会うとは思わなかったなぁ。俺から探し出して、挨拶をしようと思っていたところだったのに」
「探し出してって……」
僕はつばめさんの方を見た。田所さんがつばめさんの前でなにか余計なことを言わないのか心配になった。もしも、僕が彼女に過去の重要なことを隠していると知られてしまったら、彼女は僕のことを幻滅するだろうか。
ふと、手水舎での彼女の動作を思い出す。
彼女も僕に話していないことがある。でも、彼女はまた今度と言ってくれた。僕だって、ずっと隠しているつもりはない。いつかは話そうかと思ってはいる。
「つばめさん、ちょっと僕はこの人と話さないといけないから……」
「知り合いなの? 大丈夫?」
「大丈夫だよ。ほら、この名刺渡しておくから。僕からの連絡がなかったら、五味教授に警察に連絡するようにお願いしてほしい。僕になにかあったら、十中八九この人のせいだから」
「ひどいいわれようだな、俺」
「うん、分かった! 人相もばっちり覚えたから、警察に通報する時は任せて! 今日は楽しかったよ。また今度、一緒にかき氷食べようね!」
遊びの約束を途中で無碍にされたにも関わらず、彼女はスマホのついたお守りを大切そうに握ると笑顔で手を振って、階段を駆け下りて行った。絶対に手を振られたわけではない田所さんが手を振り返しているのが気に入らなくて、彼のことを睨みつける。
「それで、何の用ですか。今更」
「なぁ、あの子、本当に糸井川少年の恋人じゃないのか?」
「数日前に友達になったばかりの子です。ていうか、僕が恋人を作れると思いますか?」
「中学に通い始めて一ヶ月でリタイアして、その子、引きこもりになった糸魚川少年には無理な話だろうな」
彼は「ここで話すのもなんだから」と僕にカフェに行かないかと提案した。彼の言葉になんのメリットもなく乗るほど馬鹿ではないので奢りならということで了承して、昼飯もかねて、少し歩いた先にある焼肉屋に入ることになった。
「いかにも高そうな焼肉屋の個室って……今時の高校生は金を持ってるなぁ」
「田所さんに払わせるために入ったんです」
「俺の懐のことを考えてくれよ」
「どうせ、僕の記事で稼いだんでしょ。それなら、お金を少しは僕に還元すべきじゃないんですか?」
ステーキ屋の座席にあがり、座ると僕はテーブルの向こうの田所さんを睨みつけた。田所さんは僕に睨まれたところで平気そうで、むしろにやにやとしていた。
「まぁ、糸魚川少年には昔も今も世話になることだろうから、このぐらいはなぁ」
「昔も、今も……?」
昔はともかく、今、僕は彼に提供できるようなネタは存在しない。あったとしても、提供するつもりはないのだが、彼のようなネタに飢えた人種には、インタビュー相手の意思など関係ないのだ。
「注文しろよ、糸魚川少年。俺に昔も今もツキを恵んでくれてるんだからな。俺は、数日前お前が交番のおまわりさんに連れて行かれるのを見て、何かあると思って後をつけたんだ」
「……高校生が学校をサボっていると思われたんですよ。珍しいことでもないです」
彼はメニュー表を僕に突き出してきた。連れてきてもらったからには断るわけにもいかず、メニュー表を受け取る。彼は灰皿を自分の目の前へと移動させながら、険しい顔をしている僕を見て笑った。
「誤魔化しても無駄だぜ。集団パニックの渦中にいたんだろ?」
「……交番での会話を盗み聞きとはいい趣味をお持ちですね」
精一杯の皮肉に彼は大きな声をあげて笑った。まさか、そこまで聞かれていたとは……。交番の扉が開きっぱなしだったことを今になって思い出す。情報漏洩も甚だしい。僕はため息を吐いて、メニュー表に視線を落として、一番高そうな肉を選ぶことにした。
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