第3話 教授宅


 五味教授と五味少女の家は、ファミレスから車で三十分ほど移動した場所にあった。家族に帰るのが遅くなるように連絡しておくといいと言われたが「はい」と返事をしておいて、本当はメールもなにもしていない。そもそも、一人暮らしも同然の生活をしているので、連絡する相手がいないのだ。


 人の良さそうな二人のことだ。家に帰ったところで人がいないなんて言ったら、夕食も一緒にどうかと言いかねない。


「ここが私達の家なの。同じくらいの歳の子が来るなんて初めて!」


 車の中で五味少女が積極的に話をしていたから分かったことだが、彼女も僕と一緒で高校には通っていないらしい。


「そうなんだ」

「あ、名前はなんていうの? 聞いてなかった!」


糸魚川響いといがわひびき。毛糸の糸に、食べる魚に、流れる川で、いといがわ」


「じゃあ、響くん! 私のことはつばめって呼んで!」

「つばめさん」


 呼び捨てはさすがに気が引けて、さん付けで呼んだが、彼女はそれさえも嬉しいようで満面の笑みを浮かべた。歳は僕と同じ十七歳らしいが、小学生のような無邪気な笑顔だった。


 五味宅は、黒い屋根に白い壁のモダンスタイルの二階建ての一軒家だった。庭にはガラス張りのサンルームがあり、その中には植物がたくさんあるのが外からでも分かる。


 そんな一軒家があるのは住宅街の一角で、五味教授が小さな丸っこい車をガレージにいれ、僕らは車を降りた。


「響くんはなにが飲みたい? オレンジジュースとリンゴジュースがあるの」

「リンゴジュースかな」


 つばめさんは友達ができたとはしゃぐ小さい子どものようだ。僕も同年代の異性と話すのは本当に久しぶりだ。小学校以来と言っても過言ではない。中学校は通い始めても一ヶ月も経たずに不登校になってしまったから。異性同性関係なく、あの頃はまともな会話ができなかった気がする。


「我が家へようこそ。協力してもらえることになって、とても嬉しいです。私では〝ハイダー〟の能力を受けてしまう可能性があったので」


 綺麗なリビングの赤いソファーに腰かけるとつばめさんがリンゴジュースをガラスのコップに入れて、テーブルの上に置いた。


「それって、やっぱり、僕にその……危険な化け物に近づけっていうことですか?」


 僕の言葉に五味教授は勢いよく首を横に振った。


「さすがに私も自分の娘と同じ歳の子どもを危険にさらすことなんてできません。君には詳しく、状況を教えてほしいんです。そして、集団パニックにあった人達から証言を聞いて、それを繋ぎ合わせて、手がかりを作ってほしいんです」


「手がかりを……?」


「はい。〝ハイダー〟が幻覚を見せたということは、それが願いを叶える手段となるからです。だから、唯一、幻覚を見ても正常な君がその幻覚の内容を明らかにすることで、どのような願いを叶えようとしているのか分かることになり、しいては犯人が分かるかもしれないんです」


「なるほど……」


 死地に飛び込めと言われるわけではなくて、本当によかった。しかし、集団パニックの他の被害者の証言を聞いて、か。


「被害者には直接会うんですか?」


「いえ、私は教授の肩書きを利用して会うことはできるでしょうが、学生の歳の君は厳しいでしょう。証言を聞いて、その録音した内容を君には聞いてもらいます」


 僕はほっと胸を撫で下ろした。被害者にあって話を聞くことにならなくてよかった。


「それじゃあ、僕は話を聞いて、幻覚で見た内容をもっとはっきりと思い出せばいいんですね?」

「そういうことです」


 それなら、危険な目にも合わないし、役に立てるかもしれない。しかし、話に付き合おうとは思ったが、本当にそんな化け物がいるんだろうか。もし、化け物がいなくて、僕が見た幻覚も気のせいだったら、この行動に意味はないし、五味教授をがっかりさせることになるかもしれない。


「実は〝ハイダー〟は遥か昔から存在しているんです。しかし、その実態は顕になっていません。糸魚川くんも話を聞くのは初めてでしょう」


「そうですね……」


 本当に化け物がいるのかどうかも怪しい。


「とあるところに一人の男がいて、本当のその人は死んでいるのに、人間ではない何かがその人の形をして、その人の代わりに生きている、という話は聞いたことがあるでしょう?」


「確かに……ゲームの話で聞いたことはあります」


 名前は忘れたが、そんな化け物が登場するゲームがあるというのは聞いたことがある。


「その話と似たようなものだと思ってください。もしかしたら、あの人は本当は死んでいるのかもしれない。偽物かもしれない。そんな不安から出た物語だと言われていますが、実際にそのような化け物はいるんです。〝ハイダー〟という名前は私がつけました」


「ハイダーってどういう意味なんですか?」


「安直だとは思いましたが、隠れる者という意味ですよ」


 英語の「hide」からきているのだろう。無駄に分かりにくい言葉を並べられるよりはましだ。


 死んでいることを隠して、偽物だということを隠して、人間に紛れて暮らす隠れる者。五味教授が探そうとしているのは、その隠れている者ということだ。


「その〝ハイダー〟が関わっている事件って、今回の事件の他にもあるんですか」


「関わったとされる事件はいくつかありますね。直近二十年の間にも、十七年前の婦女暴行事件や十年前の連続タワー放火事件、他にも五年前の連続誘拐殺人事件」


 思わず、リンゴジュースが注がれたコップに手があたって、テーブルにリンゴジュースをぶちまけてしまった。


「す、すいませんっ」

「大丈夫? ズボンにかからなかった?」


 つばめさんが慌てて、布巾を持って、駆け寄ってきた。せっかく注いでくれたのに、と何度も謝るとつばめさんは「大丈夫だよ」とまたリンゴジュースを注いでくれた。今度は倒して、大丈夫なようにリンゴジュースを先に飲んでおくことにした。


「大丈夫かい?」


「いえ、あ、はい……。結構、事件に関わってるんですね……」


「関わっているんじゃないかという予想だけどね。実際、この全ての事件に共通している事項があるんだ」


「共通していること?」


「犯人が捕まっていない。もしくは捕まった時点で不審死を遂げている点だ」


 確かに、先ほど五味教授があげた三つの事件は全て犯人が見つかっていないか不審死をしている。


 具体的に言うなら、婦女暴行事件と連続タワー放火事件は犯人が捕まった後に檻の中で不審死を遂げている。ネット上では、死んだ犯人は祟りにでもあったのか、死後数年は経過している状態で檻の中で死んでいたらしい。


 そして、連続誘拐殺人事件の犯人は捕まっていない。いまだにどのような人物がどのような目的で犯行に至ったのかさえ明らかになっていない。


「〝ハイダー〟の存在理由は願いを叶えることです。事件を継続することで死んだ身体の持ち主の願いを叶えていましたが、警察に捕まってしまったことにより、願いを叶えることは不可能ということになって、消滅したと考えられるんです」


「数年前に身体は死んでいたから、〝ハイダー〟がいなくなって、死体の状態に身体が戻って、死後数年後という噂がネット上に溢れたわけですね」


 僕の言葉に五味教授は力強く頷いた。彼は自分の部屋から〝ハイダー〟に関する資料を持ってくると行って、リビングから出て行った。いつの間にか、僕の隣には嬉しそうに自分の分のリンゴジュースをいれたコップを持ったつばめさんがいた。


「ねぇ、もしかして、響くんが学校に行かないのって身体が理由なの?」

「まぁ……そうだね」


 大きな理由は他にもあるが、身体のせいだと感じる部分もあるから間違ってはない。


「それじゃあ、私と一緒だね!」


 つばめさんも高校には通っていないと言っていたけど、その理由までは聞いていない。一見しただけでは健康体に見えるが、彼女も身体になにか抱えているのだろうか。


「響くんがいいよって言ってくれたら、いいんだけど……私と友達になってくれないかな?」


 きらきらと吸い込まれそうな黒い瞳は、下心もなく、友達を望んでいるように見えた。


 僕は手伝いの名目でこの家に来たし、彼女も最初は僕の証言が聞きたくて近づいた。でも、友達になろうと言ってくれたのは、手伝いとは無関係で、心からの気持ちだと思いたい。


「い、いいよ……」


 友達なんて小学校以来だ。

 僕の言葉につばめさんは嬉しそうに両手をあげて喜んだ。

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