第2話 化け物の説明


 五味少女がポケットから取り出した子供用の携帯電話で彼女のお父さんに助けを求めてから三十分ほどが経過して、ファミレスに男性が入ってきた。骨が浮き出た腕に細いフレームの眼鏡の男性は、店内をきょろきょろと見回し、五味少女を発見すると笑顔になり、こちらに駆け寄ってきた。


 五味少女の隣に座ると男性はこちらに微笑んで、ポケットから名刺を取り出した。


「つばめの相手をしてくれてありがとう。私はこういうものです」


 差し出された名刺を受け取る。


『詩聖院大学教授 五味朋広ごみともひろ


「大学の教授……?」

「民族学について教えてるんです」


 五味教授はそういうと僕に向かって身を乗り出した。


「今回の集団パニック〝ハイダー〟と遭遇して正気を保っている証言者を見るのは初めてなんです。是非、話を聞かせてほしいです」

「えっと……」


 親子そろって頭のネジが外れているのか。


 集団パニックに巻き込まれたり、変な人達に話を聞かせてほしいと言われたり、本当に僕は運が悪い。


「もちろん、君の時間をもらっていることには変わりないから、謝礼金は払いましょう。ここの代金も私がもちます」


 変な人間がわざわざ話をしただけでお金を払うだろうか。お金をもらえるのなら、話をしてもいいのではないか。

 バイトもしていない高校生の年齢の僕からしたら、バイトもしないでお金をもらえるというのはとても素晴らしい話だ。


「分かりました」


 僕が頷くと五味教授は嬉しそうに顔を綻ばせた。人の良さそうな顔のわりにさっさと鞄からボイスレコーダーを出すあたり、ちゃっかりしているなと思う。


「先ほど集団パニックが起こった交差点に行ってきたんです。警察の人達がたくさんいて、近寄ることができなくなっていました。そこで質問なんですが、どうして、平日の昼間に制服も着ずにあそこにいたんですか?」


「……」


「君にどんな事情があって、学校を休んでいたにしろ、私達は君が通っている学校に話をしたりしないと誓いましょう。ご家族にもなにも知らせないことを約束しましょう」


 五味教授の表情には裏がなさそうに見える。人の良さそうな笑みは変わらない。彼の隣の五味少女も教授が来た時にコーヒーと共に注文したチーズケーキを頬張っている。話に聞き耳は立てているようだが、口を挟むつもりはないらしい。


「……僕、高校には行ってないんです」


 平日の昼間に外出している少年に対して、世間の意見が厳しいのは知っている。しかし、僕は高校に行っているわけでもなければ、バイトをしているわけでもない。


「今日、出かけていたのは夕飯の買い出しに行こうと思っていたので、外出していただけです。普段は、家で通信教育とか、そういうのの勉強をしてます」


 五味教授は「なるほど」と何度か頷くと彼の言う〝ハイダー〟という化け物に話しを戻した。


 どうやら、僕の外出や事情に関してはさほど興味がないらしい。願ってもいないことだ。


 〝ハイダー〟というのは五味少女が言っていたように、死体に乗り移り、その人間の願いを叶える化け物らしい。しかし、厄介なのは誰もその人が死んだことに気づかず、願いは歪んだ形で叶えられるところで、〝ハイダー〟には超能力のような不思議な力があり、人間にはできないことをやってのける。


 だから、今回の集団パニックの事件を五味教授は〝ハイダー〟の仕業だと思っているらしい。


「集団パニックがこの地域で多発しているのは知っていますか? 先月に一回、今月に入ってから、二回起こっています。今日ので四回目です」

「そんなに起こってたんですか」


 ニュースは見たくないから見ていないが、きっと集団パニックの事件が報道されていたことだろう。


「ええ、そうなんです。そして、ほとんどの人間が集団パニックの現場にいて、何が原因でパニックになったのか、何を見たのか、何を考えていたのかをほとんど覚えてません」


 ファミレスに来る前に体験した地獄絵図を思い起こす。死体もトラックに飛び込む人もへたりこんで泣き出す人も気絶した人も叫んでる人もいた。あのような状況が今まで三回もあったなんて。


「そして、集団パニックの現場にいたほとんどの人間がその後、外出することへの恐怖を示すようになってしまったみたいです。一人、二人の人間が集団パニックの悲惨な現場にあって、外出に不安を覚えることは分かります。しかし、ほとんどの人間……いや、君以外の人間が全員恐怖を覚えるという現象はさすがにおかしいんです」


「僕以外、全員が?」


「そう。〝ハイダー〟は人間の五感のうち、一つに作用して人間の脳になんらかの変化を与えることが可能なんです。どのように人間に変化を与えるのかは〝ハイダー〟によって違いますが……今回、私は視覚に影響を与えて、人間に外出への恐怖を与えると考えています」


 視覚。


 だから、五味少女は僕になにを見たかと聞いてきたのか。しかし、なにを見たかと言われても眩しくて目を瞑ったら、無数の目に凝視されているという幻覚を見たぐらいで、犯人らしきものを見た覚えも化け物らしきものを見た覚えも全くない。


「見たと言っても目を瞑った時のことなので、視覚に作用したかどうかは怪しいんですけど……無数の目が僕を見ているような幻覚は見ました」


 今となっては幻覚というよりも夢だったのではないかと錯覚してしまうが。

 五味教授は僕の話を聞いて、顎に手を当てた。


「そもそも、君が正気を保っていられることが驚きです。視覚に影響し、無数の目に凝視されるという不可思議な感覚を味わったのなら、君も正気を失っていてもおかしくないのに……」


 僕はあることを思い出して「あの」と声を出した。奢ってもらえるということで教授が来た時に僕もチョコレートケーキを追加してしまったので協力できることはしてしまおうと真剣に話に付き合うことにした。


「僕、右目が義眼なんですよ」

「え」


「だから、視覚から影響を受けたとしても、他の人達と比べたら影響が少なかったんじゃないかと。あ、他の要因があったとしても、耳の方も左は聞こえにくいですし」


「なるほど……。教えてくれてありがとう」


 同情するでも奇異なものを見るような視線を向けるでもなく、五味教授は微笑んでくれた。その反応に思わず安堵する。身体のことを話すと一定数の人に「かわいそう」だの「大変だったね」だの、こちらが望んでもいない言葉をかけられるのだ。


 もう自分の身体は受け入れている。こんな身体になった要因に対しても気にしないようになってきた。


「あ、じゃあ、もしかして、今回の〝ハイダー〟に影響を受けないってこと? お父さん、それなら、手伝ってもらった方がいいかも!」


 五味少女が初めて友達ができた小学生のように満面の笑顔になった。五味教授は少し困ったような顔をして、僕の方を見る。


 学校に通っていないことも話してしまった。通信教育は受けているが、正直、他にやることがないので高校三年生の勉強までは問題なく答えることができる。

 要するに暇だ。


 この二人の表情からして悪意はなさそうだし、久しぶりに人と話すのも初めてだ。

 なにより、僕の身体について、特別な感情を向けなかったことがとても心地よかったので僕は頷くことにした。

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