2.薬の効果

 ルークの胸元からは、ドクドクと大量の血が溢れ、肌着を赤く染める。ポタポタと血痕が道標の様に落ちる。

 それをジニアスが、不気味な雄叫びをあげながらゆっくりと追いかけてくる。


 早く先生に回復魔法を──と思った瞬間、ルークは思い出した。

 今はもう以前の自分ではない。魔法が使えるのだ。


 ルークは逃げつつ、魔法の授業で習った事を振り返る。


「ヒーリング!」


 手のひらから暖かい光が発され、ルークの傷をみるみる内に塞いでいく。

 傷痕も分からない程に、あっという間に全快した。

 血で染まった真っ赤な肌着は、流石に元には戻らなかったが。


「これでまだ戦える!」


 ルークは気力を取り戻し、ジニアスへ向き直ると、武道家よろしく拳を得意気に構えた。

 しかし、素人が見よう見まねでやっているのと変わらない為、その構えは滅茶苦茶だ。


 だが、先程の回復魔法で色々回復したのか、身体が軽い。先程とは違って、ジニアスの攻撃を余裕で避けられている。


 反撃できそうな隙も見えてきた。ルークはジニアスの懐に飛び込むと、後から生えてきた、ひしゃげた埴輪の様な顔に、老婆の時と同じように渾身の一撃を食らわせる。固くなったゴムの様な、固くざらついた感触が拳に伝わる。


「校長先生を馬鹿にした分だ!」


 ジニアスは衝撃でよろめくが、ダメージはそこまで無いようだ。

 ジニアスとは、マルディシオンを飲んだ者同士だからだろうか?老婆が言っていた『強さ』はあまり実感できない。


「確かに魔法は使えるようになったけど……。騙されたのかなぁ」


 しかし、どんなに頑張っても当たらなかったパンチは、二回連続で当てられ、今まで避けられなかった相手の攻撃も、今は全て避けられている。


 多少の効果は出ていると言って良いだろう。


 拳に手応えを感じなかった為、今度は魔法で戦う事にする。

 授業で習った今までの魔法が、面白いように発動する。


 ファイヤーボール、エアカッター、アイススピア……簡単な攻撃魔法を色々とぶつける。

 だが、ジニアスの表情がピクリとも変わらない為、効いているのか分からない。

 思わず力が入る。威力が上がったエアカッターが、周囲の木を巻き添えにしてジニアスを切り裂いていく。


 どす黒い血溜まりの中に、ジニアスの両腕が落ちる。これは流石に答えたのか、悶絶している。


「イタイ……」


 なんと、ジニアスが魔物となって以来、初めて言葉を発した。よく見ると、肩に完全にめり込んだ元の顔が、ぐしゃぐしゃに歪んでいる。


「ジニアス!?大丈夫か!?」


「イタイ、イタイ……」


 何度話しかけても同じばかりで、会話は出来ないようだ。


「タスケテ……」


 その瞬間、ルークの胸がズキンとなった。


 ──こいつを倒してはいけない──


 直感でそう判断したルーク。しかし、何もしなければこちらが一方的にやられてしまう。

 とにかく逃げようと、ルークは茂みから飛び出した。

 幸い、ジニアスは怪我のせいで、すぐには追ってこれないようだ。


 外はいつの間にか明るくなっていた。朝練目的の生徒が、ちらほらと校庭へ出て来ていた。


 その脇を、ルークが猛スピードで駆け抜ける。


「あの子だれ?」


「うわあ、怪我してる!?」


「誰だよ、朝っぱらから茂みに連れ込んだ奴は」


 当たり前だが、今のこの姿でルークだと気付く者は誰もいない。

 それどころか、胸元とボロきれのような肌着を血で赤く染め、裸足のままもの凄いスピードで走り行く少女を、すれ違う生徒達はみな不審な眼差しで見ている。


 しかし、このまま逃げていても何の解決も出来ない。

 いずれジニアスは茂みから出て来てしまう。生徒や先生に見付かってしまえば、戦いは避けられない。ジニアスはもちろん、他にどれだけの被害が出るか、想像もできない。


「どうしよう……。

 どうしよう、先生……!!」


 何か方法が無いか必死で考える。

 そして息を荒くしながら、あの像の近くまでたどり着いたその時、







 ドンッ!!








 像の影から急に現れた大きな壁にぶつかり、盛大に尻餅をついた。


「痛っ………!!な、なんだ……?」


 よく見ると、壁はなんとバァンだった。

 大きな鞄と、大きな模擬剣を担いでいるのを見ると、朝練へ向かう途中だったのだろう。


(最悪だ、こんな時に何でこいつに出会うんだ)


 ルークは嫌味に備えて身構えた。すると、


「お、おいお前、大丈夫か!?」


 バァンが、ルークの赤い胸元を心配して、焦った様子で駆け寄る。自分がやってしまったと思い、一瞬焦っていたが、違うと分かってホッと胸を撫で下ろす。


 普段自分に向けられる態度と違うので、ルークは戸惑い、その様子をただじっと見ていた。


 すると、バァンも何故かじっとルークの顔を見る。お互い見つめ合う不思議な時間が流れた。


「な、何だよ……」


 ルークが得体の知れない恐怖で、怯えながら口を開く。







「……美しい……」





「……ん???」


「は!!だ、大丈夫ッスか?すまねえッス……」


 バァンがそっと手を差しのべてきた。

 ルークが思わず手をとると、バァンは優しく引き起こした。


 そして模擬剣をそっとそばに置き、ルークの手を両手でぎゅっと握りしめると、


「あの、お友達からお願いします!!」


「何が!?!?!?」



 ルークがバァンの手を無理やり振り払うと、後方を指差して言った。


「そんな場合じゃないんだよバァン!早くここから逃げるんだ!!」


「ど、どうして俺様の名前を!?」


「後で説明するから!とにかくあれを見てみろよ!!」


 ルークが指差す方を見ると、ジニアスが二人のすぐそこまで迫っていた。


 あちらこちらで悲鳴があがっているが、注意がルークへ向いているお陰で、他の生徒達への被害はまだ無さそうだった。

 ルークが切り落とした両腕は、すっかり再生していた。


「うお!スッゲー!!スライムじゃねえ魔物だ!」


 まるで憧れの芸能人に出会ったようにバァンは目を輝かせた。


 そして、鞄からバスタオルを取り出し、ルークに向かって放り投げ、大きな模擬剣を構えた。


「今はとりあえずこれを巻いときな。

 こいつは俺様が華麗に倒してやるぜ!!」


 ルークは有り難く、はだけた胸元を受け取ったバスタオルで隠させてもらった。

 それは端から見ると、さながら主人公とヒロインのようだった。


「バァン辞めろ!戦うな!」


「俺様を心配してくれるのか?

 へへっ、ありがとな。でも平気だぜ」


「そうじゃないんだっつの!」


 戦いたいバァンと止めたいルークが押し問答をしていると、


「ルーク!バァン!大丈夫か!?」


 校長が教師を数人連れ立って空間転移してきた。

 先生達は皆、訓練用では無く本物の武器を携えている。

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