すばる

第1話

 夏が嫌いだ。

 線香の煙も、

 風鈴の音も、

 子供のはしゃぐ声も、

 爽やかな風も、

 纏わりつくような暑さも、

 眩しいほどに晴れ渡った青空も。

 全部、全部、大嫌いだ。


 それもこれも、君のせいだ。


 今日はなにか楽しいことが起こるよ、と君は嬉しそうにはにかんだ。

 夏がくると毎日それを言うものだから、信憑性なんて欠片も無い。だいたい、夏なんてただの季節で過程だ。君が全身で感じているそのワクワクは、一生俺には理解ができないことなんだろう。

 だけど、少し羨ましいかもしれないなと思った。来るもの去るもの、全てを君は全力で受け止めて大事そうに抱きかかえるから。それを眺めて心底愛おしそうに微笑むから。

 そんな君が好きだった。


 ◆◆◆


 その日は恨めしいほどいつも以上に暑い日だった。耳をつんざくセミの鳴き声を払いのけて、ひたすらに自転車を漕いだ。


「死ぬなら、めっちゃ夏!っていう日がいいな~。ほらあたし、夏が一番好きだからさ」

 すだれの下がる縁側でアイスの棒を咥えた君が、冗談めかしてそんなことを言っていた。

「夏のどこが好きなんだよ。暑いだけだし、なんにも良いことない。」

「そんなことない!夏は素敵だよ。なんでわからないかなあ…」


 最悪なタイミングで、いつの日かの会話を思い出した。クソ、邪魔だ。今は漕ぐことに集中しろ。それを思い出したところで誰が救われる訳でもない。

 頼むから、俺を置いていってくれるなよ。


 ◆◆◆


 冷えた病室の扉を勢いよく開ける。

 神妙な顔をした医者が一人、無表情の看護婦が一人、ベッドにうつ伏せて嗚咽する女性が一人、そのベッドで横になっている女の子が一人。

 俺に気づいた医者が静かに訃報を告げる。

 遅かった。なにもかも。

 頭が真っ白になるのを感じた。

 もっと早く気付いていれば。

 もっと早く、君に伝えられていれば。

 唇を噛み、握った拳に力を込める。

 下を向くな。前を向け。

 いくら泣いたって、君は戻ってこない。いくら望んだって、君の声はもう聴けない。いくら願ったって、この世の輝きを全て閉じ込めたような瞳は見られない。俺が大好きだった、あの笑顔も、泣き顔も、怒った顔も、嬉しそうな顔も全部もう見られない。もう君はどこにもいない。もう君に触れられない。もう君に何も届かない。


 それでもいい、無意味でもいい。だから、この言葉を君に。

 俺はこの理不尽で醜い世界に抗うように、声を出した。


「ごめんね、大好きだよ」


 世界で一番美しく綺麗な君の寝顔。その冷えた唇にそっとキスをした。

 君の頬の涙をそっと拭って、

 ほら、なんにも良いことないじゃん。と嗤った。


 ◆◆◆


奈津なつ、さっさと支度しちゃいなさい。もう出る時間でしょ」

「はーい」

 喪服は制服でいいと言われたので、履き慣れたスカートに足を通した。

 晴美はるみの葬式には、晴美の親族、クラスメイト、教師数人が参列した。式自体は案外呆気なく終わった。咽び泣く女生徒達を横目に、そっとその場を後にした。


『ほらあたし、なつ・・が一番好きだからさ。』

 普段は直球な言葉で話をする晴美が、その時だけまわりくどい言い方をした。


「もっと早く気づいてれば、幸せになれたのかな。」


 線香の煙と共に、ひとつの恋が終わる。

 眩しいほどに晴れ渡った青空の下で、ひとつの夏が終わる。

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すばる @tikuzenn

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