第二章 春宴編

第28話 日曜日の朝

 鳴り響く目覚まし時計の音を止め、僕は上体を起こす。

 昨日まで色々ありすぎて身体の節々が痛くなる思いをしていたけど、一晩ぐっすり眠れたおかげで足も腕も痛みがあるどころか軽くなったような気分だ。こんなにすんなり目が覚める日も珍しい。

 外は既に明るい。時計を見ると八時を回っている。

「う……、ん……」

 二、三度、身体を伸ばす。相変わらずふわふわしたネグリジェの感触に違和感があるけど、もう大分慣れてきたかも知れない。

 この、変わった学校に転校して一週間――。

 思いがけず女子生徒の服を着て生活することになって、そして冬の姫に選ばれて、更にはお父さんに連れ戻されそうになって、説得するために演劇の練習をして――。

 思い返すだけで色々あったな、とため息を吐く。

 なんとかこの学校に留まることに決まって、とりあえずは肩の荷が降りた。

 というか、昨日はあれからお花見でひたすらはしゃぎすぎて、夕べは疲れが一気に来てしまった。それからすぐに眠ってしまったため、その分寝つきが良すぎたのかも知れない。

 今日は特にやることもない日曜日だし、一日ゆっくり休むことに専念しよう。

「顔でも洗ってくるか……」

 そんな独り言を呟きながら、僕はとぼとぼと一階へと降りていくのだった。


『ファンシーヤンキー♪ ファンシーヤンキー♪ 絶対タイマン無問題♪』


 ……。


 何だ、この歌?

 一階に降りた途端、僕の耳に聞きなれない音楽が響き渡ってきた。

 恐らくリビングからなのだろうけど……。

『マリアンヌ・リリィ……あなたにはこのクリスタル・チャカを。そして、マリアンヌ・ルゥ。あなたにはこちらのクリスタル・ドスをそれぞれ授けましょう』

『でも、このアイテムは、違法じゃ……』

『大丈夫だっち! バレなきゃ犯罪じゃないっち!』

『そうだよ、リリィ! 使ったもん勝ちだって!』

 ……なんだ、これ?

 リビングのテレビからは髪の色が目にも鮮やかな二人の少女と、なんだか丸っこい生き物、そして美人の女神様的な女性のアニメーションが映っている。

 名前だけは聞いたことがある。

 ファンシーヤンキー・リリィ――。日曜日の朝から放送している、小さな少女と大きなお兄様お姉様方に大人気のテレビアニメだ。とはいっても、内容は全くと言っていいほど知らないんだけどね。

 そして、そのアニメを凝視するかのようにテレビに張り付いているのが……。

「ふむふむ。なかなかこのアイテムは凝っていますわね。既におもちゃ屋さんで発売されているみたいですけど、これなら作ることも可能でしょうか……。やはりマリアンヌ・リリィのコスプレをするなら誰かにルゥをやって欲しいところですが……」

 春の姫、染咲桜花さんだ。

 柔らかなクッションをラッコのように抱きかかえながら、赤く充血するぐらいに必死でテレビを凝視している。

 僕はどう反応していいのやら、リビングの入り口からアニメの続きと桜花さんの姿をじっと眺めていた。

『ファンシー♪ その力を解放してー♪』

 と、そんなことをしているうちに、アニメはエンディングを迎えていた。

『次回、ファンキーヤンキー・リリィ。大血戦!? プリズムランドの抗争! 次回もファンシーにケジメつけるよ!』

 ――どんな話なんだよ、本当に。

「あー、また来週が楽しみで仕方ありませんわ! ルゥとリリィのパワーアップアイテムの真の力が発揮されるみたいですけど、どういうものになるのか……。新コスチュームの撮影もいずれ……」

「……あの」

 僕は居たたまれなくなって、遂に声を掛けてしまった。

「はっ……」やっとこさ桜花さんがこちらに気が付いて、僕の方を見た。「あ、あ、あ、あ、ああああああああああ……」

 桜花さんの顔が一気に赤くなっていく。

 というよりも、このシチュエーション、ついこないだも見たような――。

 あぁ、そうか。そういえばこの前、桜花さんに演劇の衣装を頼もうとした時と一緒だ。しかもあの時はアニメキャラクターのコスプレまでしていたし。そういえば、そのときに着ていた衣装って……。

「……好き、なんですね。このアニメ」

「あ、えええええあああああああ……」

 どうやら言葉にならないらしい。

 まぁ、コスプレが好きってことはアニメが好きってことなんだろうし、今更な反応なんだろうけど。見られてる側としてはやっぱり恥ずかしいものなのだろうか。

「いいですよ。好みは人それぞれですし……」

 そう尋ねると、桜花さんはこくり、と頷く。

「ほ、他の人には、内緒ですわよ……」

「はいはい……」

 まぁ、特に喋る理由もないし。

 それにしても……、

「さっきのアニメ、少ししか観ていないんですけど面白そうですよね」

「えっ……」

 率直な感想だ。

 アニメなんて小学生以来ほとんど観ていないし、女児向け作品なんて縁が無きに等しい人生だったけど、思った以上に引き込まれていた自分がいる。内容にツッコむところは多々あったけど、それはそれで面白そうなんだよね。

「マリアンヌ・ルゥでしたっけ? あの子すっごい可愛いですよね」

「そ、そうですわね! ルゥはいい子だし、子どもから大人まで人気が凄いですわよ! でも、やはりわたくしはリリィですわね! あの毅然とした姿、このわたくしも見習いたいぐらいですわ!」

 どんどん饒舌になっていく桜花さん。

 本当に好きなんだな、このアニメ。

「……一話から観れば良かったかな」

 僕がそう呟くと、

「是非是非! 観てくださいな! 実はこっそり録画もしてありますし、自分の部屋で観るならサブスクっていう手もありますわ! ヌコヌコ動画にも一話だけ無料で試聴できますし、Pアニメなら月額五百円で見放題、他には……」

 目を輝かせて説明を続ける桜花さん。

 なんだろう……。これまで高貴なお嬢様(まぁ男性なんだけどね)ってイメージが強くて絡みづらいところがあったけど、こうして見ると結構お茶目な人なんだな。

 僕はふっと笑みをこぼして、話を黙って聞いていた。


 と、そんなことをしていると、二階からゆっくりと誰かが降りてくる音が聞こえてきた。

「朝からやかましいぞ、染咲」

 あ、大地さんだ。

「あ、その……すみません」

 珍しく素直に謝る桜花さん。いつもなら「随分神経質ですこと」とか言って反発しそうなものだけど。騒いだという自覚はあるみたいだ。

「アニメを観るのは構わんが、もう少し静かに観てくれ。まだ寝ている連中もいるのだぞ」

 あぁ、陽夏とウィンディアさんのことか。あの二人ならこれぐらいじゃ起きないような気もするけどな。

 それにしても……。

「おはようございます、大地さん。今日は随分と決め込んだ恰好をしていますね」

 大地さんの恰好は、スラっとした黒いスーツに、鮮やかな黄色いネクタイ。髪の毛もいつもよりしっかり整えてある。

「あぁ、まぁ……。ちょっと大事な商談が、な」

 成程、そういうことか。

 大地さんは僕と同い年ながら社長として会社を経営している。何でも、親が会長をしているグループの子会社らしいけど。それでも凄いことだと僕は思う。

 ただ、何だろう。大地さんの反応がどことなくたどたどしい。何かこっそり咳払いも混じっているし。

 ――うーん。

 会社のこととか、僕にはよく分からないからな。何と言っていいのやら……。

「あ、雪くん。おはよう……」

 二階から、今度は亜玖亜くんが降りてきた。

「おはよう、亜玖亜……」


 ――あれ?


 亜玖亜くんの姿を見て、僕は再び言葉に詰まった。

 大地くんとお揃いの黒いスーツ姿。違うのはネクタイの色が水色だということぐらい。勿論、キッチリと着こなしていて、女の子だとは本当に思えない。

「その恰好は……」

「……あぁ、これ」

「オレのスーツを貸した。ちょっとな、今日は水波にも付き添いをお願いしたくて」

 ――付き添い?

 亜玖亜くんが、商談と何か関係があるのだろうか? 僕が知る限り、そういうこととはほとんど無縁のような気がするけど。

「デートですの?」

「否。それは断じて違う」

 うーん。そういう関係なのか、気になるようなならないような……。

「……」

 亜玖亜くんはといえば、じっと黙ったまま俯いている。何か緊張でもしているのかな?

 こういうときに、僕が出来ることと言えば……。

「恰好いいね、亜玖亜くんのスーツ姿」

「……えっ?」

 亜玖亜くんは俯いた顔を挙げ、赤らめた。

「いや、なんていうか、凄く新鮮かも。スーツかぁ、やっぱり男の憧れというか、なんというか……」

 ――あっ。

 これ色々ダメな奴だ。

 僕はこれ以上特に上手い言葉が思いつかず、一度口を噤んだ。

「……ありがとう」

 亜玖亜くんは顔を赤くしたまま、俯いた。

「それじゃあ、オレたちはそろそろ行くぞ」

「あ、うん。行ってらっしゃい。商談、上手くいくといいね」

「……行ってきます」

 そう言って亜玖亜くんと大地さんは出掛けていった。

 商談、かぁ……。一体どういうものなんだろうなぁ。

 あの二人の反応にちょっと引っ掛かるところがあったけど、とりあえずは上手くいくことを心の中で祈ることにした。

「さて、僕は部屋に戻……」

「あっ、おったおった、桜花はーん!」

 二階から今度は一葉さんの声が聞こえてきた。

「一葉、さん?」

「何してはりますの? 桜花はん、はよう支度せな」


 ――支度?

「も、も、も、も、も……」


 ――藻? 桃?

「今日は大事な日なんやろ? モタモタせんと」

「もももも、勿論ですわ! 今行こうと思っていたところですの!」

 何だ何だ?

 今度は桜花さんの反応が一気におかしくなったぞ。

 冷や汗をかきながら、全身が硬直している。表情筋の大部分が引きつっている。目も痛くないのか心配になるほど大きく見開いている。

「あの、桜花さん。一体何が……」

「あぁ、雪はん。ちょっと手伝って欲しいんやけど……」

「手伝うって、何を?」

「着付けどす」

 ――着付け?

 というと、和服か何か着るのかな?

「で、で、で、で、でも……、わたくしも、まだ、その、心の準備というもの、が……」

「あきまへん。ウチも桜花はんのご両親に頼まれているさかい、きっちりやらせていただきますえ」

「わ、わ、わ、分かりましたわ……。わたくしも、その、覚悟を……」

「あの……」僕は緊張している桜花さんの言葉を遮った。「一体、何をするんです? 着付けとか、覚悟とか……」

「それは、その……」

「お見合い、どす。桜花はんの」


 ――あぁ、そういうことか。

 お見合いね。

 お見合い、お見合い、お見合い、おみ、あい、お、み、あ……、


 ――って。


「お見合いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ⁉」


 寮中に響き渡る声で、僕は驚いてしまった。

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