第22話 あの日、選んだ道

 ここの並木道を通るのは、いつぶりだろうか――。

 私の視界には、既に散り去った桜の花弁たちが道を埋め尽くしていた。おそらく、今日が最後なのだろう。桜たちも、雪くんも……。

 私は教師失格だ。この学校に通うことを決めて、そして冬の姫の役目を申し出てくれた雪くんを守ることができなかった。ずっと考えていたけど、どう考えてもあのお父さんを説得できる気がしなかった。いや、私はあの人に合わせる顔がないのだ。


 ふと、桜の木を見つめる。

 ――懐かしいな。

 この学校に入学した時も、春宴で舞台に立った時も、こんな風に咲き誇っていたっけ。


 小学校の卒業を控えた秋、突然私は父から転勤を告げられた。しかも、場所はオーストラリア。旅行ならまだしも、そこに住む気にはなれなかった。

「涼、ちゃん……」

 翌日、私は涼に泣きついた。

 彼女と離れ離れになるのが怖かった。小さい頃からずっと一緒だった涼。いつしか、私の中で誰よりも特別な存在になっていた。

「ど、どうしたの?」

「私、遠くに引っ越しちゃう……。涼ちゃんと離れ離れになっちゃう……、ううぅ……」

「ちょっと、落ち着いて! ゆっくり話して!」

 そこから私はなんとか涙声を抑えて話し始めた。涼は時折私を宥めながら、うんうん、と頷いて話を聞いてくれた。全てを話し終えると、「そっか……」とそれだけ言ってくれた。

「……どうしよう」

「どうもこうも、私たちようやく中学生だからねぇ……。一人暮らしなんてとてもじゃないけどできないでしょ」

「だったら涼ちゃんのところに住むぅ……」

「いやいやいや、そんな部屋ないって! それに、絶対うちの父親が反対するから!」

「うっうっ……」

 本当に凄く甘えたなぁと思う。小学生だったとはいえ、ここまで幼児みたいに泣いたのは久しぶりだった気がする。

 涼はといえば、しばらく考える様子を見せた後、

「分かった! 私もいい方法を探してみるよ!」

「本当ッ⁉」

 途端に私は泣き止んで、ぱあっと顔が一気に明るくなった。

 よしよし、と頭を撫でてくれた手がとっても柔らかかったことは今でも覚えている。優しくて、逞しい手……。誰よりも安心させてくれた涼のことが、私は好きだった。


 それからしばらくして――。


「ねぇねぇ! どうせなら一緒にこの学校に通おう!」

 涼が意気揚々と持ってきてくれたパンフレットを見て、私は驚いた。中高一貫校で、しかも寮がある。確かにそこに通えば問題は解決するけど……。

「涼ちゃんはいいの?」

「ん? 私は問題ないよ」

「いや、お父さんのこと、とか……」

「大丈夫だって! 絶対に説得してみせるから!」

 にこやかにいう涼。

 けど、私は知っている。涼のお父さんは並大抵のことじゃ動じない人だ。地元の公立中学に通うはずの娘をそんな不純な理由で全寮制の学校に通わせることなんて、簡単には許可してくれなさそうに思える。

 しかも、この学校は……。

「それでね、私はこの学校に行ったら、学ランで生活しようと思っているんだ」

 ――また突拍子もないな。

 私立四鈴学園。あの地域には男女が逆転して生活する風習があり、制服もどちらの服を着るかは自由だ。まさかとは思ったけど、本当に男子の制服を選ぶとは……。

 けど、似合うとは思う。正直、見てみたい。

「う、うん……。じゃあ両親と相談してみるけど」

 私はたどたどしく返事をした。

「うん、じゃあ決まりッ! あ、それじゃあさ。ひとつ聞いてもいい?」

「何、かな?」

「もし璃々が通えるなら、男の子として通う? それとも女の子として通う?」


 ――また何を聞いてくるのかと思えば。


 話がどんどん進んで行くから、ちょっとついていけない。正直、そこまで考えているほどの余裕なんてない。

 と、言いたいところだったけど……。


「じゃあ、私も、男の子として通う……」

 思わずそう口に出してしまった。

 理由は単純だ。涼と同じでいたかった。ただ、それだけだ。

「よし、じゃあ来年からは二人とも男の子、だね!」

「そうだね……。よろしくね、涼、くん……」

「うん!」

 なんだかあれやこれやという間に色々決まってしまった。というよりも、決められてしまった。

 その後、私は両親の許しを得て四鈴学園に通えることになった。それと同時に、髪も一気に切って、心から男子としての生活を送ることを誓った。

 涼も同時期に髪を切った。やはり似合っている。恰好いい――。

 私たちは二人で、男の子として四鈴学園に通うことに決めた。

 後で知ったのだが、涼はほぼ勘当も同然に親と喧嘩をしていた。私は非常に申し訳なかった。元はと言えば、私の我儘でこうなってしまったのだが。

 そして、嬉しかった――。

 それから四鈴学園で男子の恰好で生活することになった。そのときはまさか自分たちが揃って若に選ばれるなんて思ってもみなかったけど。でも、一番幸せな時期だったと今でも思っている。こうして二人で一緒にいられて。


 そう……。


 ――私は、涼のことが好きだった。


 四鈴学園に通う、ずっと前――。もうかなり幼いころから、一途に彼女を思い続けていた。親友としてではなく、恋人になりたかった。けど、周りの目が怖かった。だから、そういった恋にも偏見が薄いこの学校は本当にありがたかった。


 ――あのときが、ずっと続けばよかったのに。


 昔のことを思い出しながら歩いていると、ようやく目的の舞台が見えてきた。教師になってからも宴がある度に来ている。そして、自分たちの頃と影を重ねて懐かしむ。まるで呪いのように、記憶の中からあの頃の思い出が湧きだしてくる。

「はぁ……」

 ちょっとだけ足が重くなってきた。ゆっくりと歩きながら、ようやく前が見えた。


 ――あれは。


 ある意味、一番見たくない人物の姿が目の前にいた。広い肩幅、そしてかなりの強面。涼や雪くんの父親とは思えない、厳格な表情。

「……貴様もここに来たのか」

 鋭く睨まれ、私は一瞬肩を竦めた。細かく呼吸を繰り返し、ようやく深呼吸することができた。

「お久しぶり、です……」

「フンッ!」

 雪くんのお父さん――豪さんは軽く鼻であしらってきた。どうしよう、と戸惑ったけど、私は落ち着いて軽くお辞儀をした。

「お父さんも、呼ばれたのですか?」

「貴様にお父さんと呼ばれる筋合いはない」

 やはり怖い。

 教師という立場上、モンスターペアレントには何度も会ってきた。だけど、この人はそういう親とは一際違う雰囲気で圧倒してくる。


 ――どうしよう。


 私はどぎまぎしていると、舞台に誰かが上がってきた。

「あれは……」

 担任ではないけど、名前は知っている。ウィンディアさんだ。

 でも、一体どうして――?


「あー、あー、マイクテスデス」

 何だろう、何が始まるんだろう。

 私は固唾を吞んで、舞台の方をじっと見つめた。

「それデハ、始めマス! これより、冬宴番外編の舞台デス!」

 そして、ウィンディアさんは傍らに置いてあるめくりを捲った。


「これより始まりマスは、この地に伝わる哀しい恋の物語……」


 ――あれは。


 そして、そのめくりにはこう記されていた。

『雪桜と天女』


「雪桜と天女、はじまりはじまりデス!」

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