第18話 本当のヒーロー

『やっぱりお父さん、そっちにいるのね……』

「うん。かなり剣幕で怒鳴り込んできたよ」

『あの人ったら、相変わらず強引なんだから……。いいわ、お母さんもお父さんに電話して説得してみる。ただ、あの石頭だからねぇ……納得させるのは骨が折れるわよ』

「ありがとう……」

 こよみ寮に帰った後、僕はお母さんと長電話をしていた。こういうときに一番頼りになるのはやっぱりお母さんだけど、相手があのお父さんだからな……。

『本当ならお母さんもそっちに言って話し合いをしたいところだけどねぇ……。ごめんなさいね、土曜日はどうしても外せない町内の会合があって……』

「無理しないでいいよ、ありがとう」

 やはり難しいか。僕らでなんとか説得するしかないみたいだ。

『折角あなたに涼のお下がりを送ったのにね。あれ、役に立ってる?』

「ま、まぁ……」

 こないだ送られてきた荷物のことだ。文房具や参考書はともかく、下着や衣類は未だに使うのをためらってしまう。

『そう、それなら良かった。あまり役に立てなくてごめんね。それじゃあ、また何か進展あったら電話してちょうだい』

「ありがとう、お母さん」

 そうお礼を言って、電話が切れた。

 僕はふぅ、と一息吐いて、ふとあの荷物を見た。

 まだいくつかの物品はダンボールに入ったまま部屋の隅っこに置かれている。もし実家に帰ることになったら、勉強に使う品はともかく、女物の下着なんかはどうすればいいのだろうか……。

「一回整理しておくか」

 中に入っているものを全部は確認していなかったし、一応、一通り目を通しておくのも必要かも知れない。

 このまま使わなければ、と思ったけど、それは考えないことにした。

 僕がダンボールのほうに近付こうとした、その時――、

「……雪くん、いる?」

 ドアをノックする音と一緒に、亜玖亜くんの声が聞こえてきた。

「いるよー。入ってきていいよ」

 僕が呼びかけると、ガチャリとドアを開ける音と共に亜玖亜くんが部屋に入ってきた。

 部屋着に着替えており、どこかホカホカと全身が火照っている。多分、お風呂に入ってきたばかりなのだろう。

「どうしたの?」

「……ちょっと、話したいことがあって」

 なんだろう?

 少し暗い表情を浮かべている亜玖亜くんに、僕は部屋の真ん中へと座ってもらった。しばらく沈黙が続いて、じっと顔を見合っていた。

「話したい事って、何?」

「実は……」奥歯に物が挟まったように話し始める。「涼さんのこと、なんだけど……。ちゃんと話しておいた方がいいかなって思って」

 ――そういえば。

 姉さんと亜玖亜くんの関係について詳しく聞いてなかったっけ。何でも、過去に亜玖亜くんのご両親を助けたことがあるとかないとか……。

「昔、姉さんと何かあったの?」

 そう尋ねると、亜玖亜くんはこくり、と頷く。

「うん……。僕がまだ四歳ぐらいの頃、両親は他の町で小さな工場を営んでいたんだ。最初は上手くいっていたと思ったんだけど、次第に景気が悪化して、資金繰りに困って潰れかけて……」

 それって……、

「まさか!」

「この学園の近くにある崖から飛び降りようとした」

 ――なんだって!?

「亜玖亜くんの過去って、そんな壮絶なものだったの!?」

「……うん」

 なんてこった……。事実は小説よりも奇なりっていうけど、そんなことが本当にあったなんて。

「それを、姉さんが助けたってこと?」

「うん……。本当に偶然だったけどね……。父さんと母さんが僕を道連れに飛び降りようとしていたところを、通りかかった涼さんがやってきて……」

「それで、どうしたの?」

 亜玖亜くんは、一瞬間を置いた。


「こう言ってくれた……。『今からあちらで面白い演目が始まります。よろしければ見ていってください。お代はいりません』って、それだけ言って去っていった」


 ――ドッ!

 思わず僕はこけてしまった。

 なんだよ、それ……。面白い演目って、それって……。

「まさか、それって……」

「……冬宴。それも、涼さんが主役で出てるやつ」

 ――それって。

「亜玖亜くんとご両親はそれを見たの?」

「……うん。どうせ死ぬ前だし、って。最初は期待しているような感じじゃなかった。でも……」亜玖亜くんの顔がすこし「内容はよくわからなかったけど、とってもキラキラしていた。優しくて、暖かくて、見ていて自然と涙が出てきた。隣にいたうちの両親も、いつの間にか泣いていた」

 ――何だろう。

 姉さんらしいな、と僕は思った。

 どことなくお人好しだけど、カッコよくて、おどけるときはおどけて、クールに決めるときはクールに決める。

「それで、ご両親は……」

「……なんか、勇気を貰ったというか、生きていこうって思えたんだって。それで、もう一度頑張って働いて、工場は立て直したどころか前よりもずっと大きくなった」

 ――凄い。

 僕は姉さんのことが一層誇らしく思えた。亜玖亜くんも、亜玖亜くんのご両親も救って、紛れもなく姉さんは本当のヒーローなんじゃないかって思えた。

「ありがとう、教えてくれて。姉さんがそんな凄い人だったなんて、僕も誇らしいよ」

「……雪くんも、充分凄い人だと思うよ」

 亜玖亜くんがぼそっと言ったけど、僕には聞き取れなかった。

「亜玖亜くんはそんな姉さんに憧れてこの学校に入ったんだね」

「……うん」亜玖亜くんはこくり、と頷いた。「恩返し……、したかった。誰かに勇気を与えられる、そんな若になりたかったし、卒業して一人前になったら涼さんに、その……」

 次第に亜玖亜くんの顔が赤くなっていく。

「ど、どうしたの……?」

「……好き」


 ――えっ?

 今、何て言ったの?


「……好き、だった」

「えっと……」

 これって……、僕に対しての告白ではないよな。

 話の流れからいって、それはつまり……。

「もしかして、姉さんって、亜玖亜くんの……」

「……初恋の相手、だった」

 ――そっか。

 まぁ、そんな出来事があったら恋に落ちても不思議じゃないよな。憧れを通り越してそういう感情になったっておかしくない。

「そっか……」

「……変だと思った?」

「いや、全然。ありがとう……」

「えっ?」

「ありがとう、亜玖亜くん。姉さんのこと、好きでいてくれて」

 僕は亜玖亜くんの顔をじっと見て微笑んだ。どことなく顔が赤くなったような気もする。

 この言葉と気持ちに嘘偽りはない。姉さんが亜玖亜くんの家族を救ったこと、そして亜玖亜くんが姉さんのことを好きでいてくれたこと――。全部、嬉しくて誇らしく思えた。

「……あ、うん。どういたしまして」

 亜玖亜くんはたどたどしく答える。照れくささがあるのか、言葉に詰まったような感じがある。

 

 ――そうだ!


「ねぇ、亜玖亜くん。実はさ、お母さんから姉さんが昔使っていた私物をいくつか送ってきてもらったんだ。もしよかったら、亜玖亜くんにも使って欲しいかな」

「……いいの? だってそれは」

「いいよ。亜玖亜くんに使ってもらえるなら姉さんも喜んでもらえるだろうし」

 たくさんの荷物を送ってきて貰ったし、僕一人で使える自信はないからね。どうせなら亜玖亜くんにも少し分けてあげよう。

 そう思って、僕は部屋の隅っこに置いてある箱を取ってきた。

「よいしょっと」

「……一杯あるね」

「まぁ、ずっと部屋に置いてあった物だからね。使わずに取ってあったものだし、何か気にいったものとかあれば……」

 そう言って箱から何かひとつ取り出した……。


 ら――、


 僕はひとつ、赤い布切れを手に持っていた。

 いや、これは……、ブラジャー?

「……それを僕にくれるの?」

「い、いやいやいやいや! これは違う、違うから!」

 まぁ亜玖亜くんは身体は女性なのだからあながち間違っていない気もするけど……、じゃなくて、これじゃあまるでセクハラみたいじゃないか!

「……じゃあ、もしかして、雪くんが使うの?」

「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや――!」

 ――もっとない!

 確かに今、姫として女性物の下着は使っているけどさ、こんな派手な色なんか使うはずがないから!

「……他の物はないの?」

「そ、そうだね……。今のはナシで」

 僕は一旦気を取り直して、ブラジャーを箱に戻して、別の物を取り出すことにした。

 とりあえず今度は布類以外のもの、と箱の中をまさぐっていると、一冊のノートみたいなものが入っていた。これならいいか――。

「じゃあ、これで……」

 と、僕がそれを取り出した瞬間――、


 カラン――。


 何か別の物が一緒に床に落ちてきた。

「……これ」

「なんだろう……」

 僕はふと、それを手に取ってみた。

 一枚のCD、いや、DVDがケースに入っている。一瞬英語のリスニングにでも使うのかなと思ったけど、そこの表面に書いてある文字を見て、思わず目を見開いた。


『氷渡涼 冬宴』


 ――これって。


 もしかして、姉さんが出ていた冬宴の記録?

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