第17話 桜並木道で、不思議な人と出会う

「浅見先生、ちょっとお時間よろしいですか?」

 翌日の放課後、僕は璃々先生を呼び止めた。

 先生はにこやかに「いいよ」と言ってくれて、近くの空き教室へ案内してくれた。向かい合って座り、僕はじっと彼女の顔を見つめる。

「実は……」

 正直に、父さんが寮にやってきたこと、そして突然一方的に「帰るぞ」と言われたことを話した。

 ちょっとだけたどたどしくなってしまったけど、何とか正直に全て話すことはできた。

「そうなの……」

 璃々先生は黙って聞いてくれた。僕はちょっとだけホッとする。

「先生、うちの父のことは知っているよね」

「ま、まぁ……。一応、ね」

 先生はどことなく歯切れが悪い返事をする。

 璃々先生のことは小さい頃から知っている。というよりも、近所に住んでいて、姉さんとも凄く仲が良かった。僕も小さい頃は何度も遊んでもらった記憶がある。

 ――そういえば。

 姉さんが家を出て行ってから、璃々先生と会うこともなくなったっけ。僕が小学校四年生の頃だったか、彼女が実家に里帰りしてきたときに、僕は偶然出会った。「うちにも寄っていきなよ」と誘ったけど、その時も歯切れ悪く「ごめん、遠慮しておくね」と返されたっけ。

「父さん、本当に強引だから……。ごめんなさい、折角転入のこととかでお世話になったのに」

「いいのよ……。やっぱり、まだ許していないのね」

 ――許していない?

 やっぱり、先生と父さんの間に何かあったのかな?

「先生?」

「あ、ごめんなさい……」

 ひたすら汗を拭う先生。

 どうしよう……。父さんとのことを聞きたいところだけど、やっぱり悪い気がする。

「……雪くんはどうしたいの?」

「僕は……、やっぱり冬の姫として、この学校に通いたいです」

「そう……」

 先生はどこか物悲しそうな表情になる。

「だから、なんとしてでも父さんのことは説得したいです! こんな、転入したばかりでいきなり帰らされるのも横暴だし、納得がいきません!」

「気持ちはありがたいわ……」先生は眼鏡を外し、もう一度かけなおす。「私たちとしても、折角の雪くんの気持ちを無駄にしたくはないし、なんとか出来るように考えてみるわね……」

「ありがとうございます!」

 嬉しい――。

 やはり、頼りになるのは先生だ。

 でも、どことなく気になることもある。というより、この話をしている最中の先生はどこか辛い気持ちを抑えているような感じがある。

 そうだ、あのことを聞いてみるか――。

「先生……」

「はい?」

「先生って、もしかして昔、春の若をやっていませんでしたか?」

 それを尋ねると、先生ははっと目を見開く。

 拳をぐっと握りしめているのが分かる。なんだろう、聞いてはいけなかったのかな?

「え、ええ……。そうよ」

「姉さんと同じ時期に?」

「そ、そうよ……。それが、どうしたの?」

「あ、ええと、それだけ、です……」

 僕はそこで質問をやめた。それ以上尋ねるのが悪い気がしてきたからだ。


 ――先生。


「とりあえず、しっかり考えておくわ。ごめんなさいね、あまり力になれなくて……」

「い、いいえ。ありがとうございます。お時間を取らせてすみません」

 どこか煮え切らない気分で、今日のところは話を終えることにした。



「はぁ、どうしよう……」

 僕はとぼとぼと、桜並木の道をずっと歩いていた。

 散りばめられた桜の花弁がアスファルトを染め上げている。この分だと、やはり今度の土曜日には完全に散ってしまうだろう。

 春だというのに、まだ転入してきたばかりだというのに、僕の気持ちは鬱屈していた。

「はぁ……」

 これでいいのだろうか。肝心の璃々先生もどこか言い淀んでいる空気というか、何かを隠しているような感じがずっと漂っていた。

 桜の花弁を靴に貼り付けながら、僕はずっと足下だけを見て進んで行く。周囲には建物がない。いつの間にか地面もアスファルトから湿った土へと変貌していく。


 ――って、あれ?

「ここ、どこ?」


 気が付くと、本当に見知らぬ場所に来ていた。てっきりこよみ寮がある場所に来たかと思ったのに、周囲にはめぼしい建物はおろか桜の木しかない。


 ――どうしよう。

 考え事をしながら歩いていたから、道に迷ったみたいだ。

 桜からはひっきりなしと言わんばかりに花弁が散っている。こんなところでお花見が出来たらなぁ……、って、今はそんなことを気にしている場合じゃない!

「あぁぁぁぁぁあ、完全に迷っちゃったあぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 その場で僕は頭を抱えて叫びだした。

 ここからどうやって帰ろうか、来た道を戻ればと思うのが定石だけど、こういうときはどんどん先に進んだ方がいいっていうし、誰か通りがかりの人に助けてもらうべきか、というか助けてもらうって言っても人っ子一人いないし、どうしよう……。

 僕がクシャクシャと髪の毛をかき乱していると、

「……あら?」

 背後から、綺麗な声が聞こえてきた。

 ――よかった、人はいた。

「あぁぁあぁぁぁ……」

 思わず僕は声にならない叫びを挙げてしまう。

「君、もしかして迷子?」

「はい……」

 否定できない……。こないだの買い物のときといい、どうも僕は方向音痴の気があるようだ。

 声を掛けてきた人をまじまじと見る。なんだろう、美人さんなんだけど、その一言で済ませてしまうのは勿体ないような気がする。

 淡い桜色の長い髪、目に優しい黄緑色の着物姿、頭には紅葉をあしらったかんざしを着けていて、そして何より透き通った雪のような白い肌――。

 まるで日本の季節が、この人に集結したような、そんな感覚に陥る。

 着物は女性ものだけど、この町のことだから男性か女性かは判別しづらいな……。声もどことなく中性的だし。

 ――なんて、見とれている場合じゃない。

「あの……」

「はい、何かしら?」

「こよみ寮って、どこですか?」

 半分涙目になりながら、僕はこの人に尋ねた。

「こよみ寮……」着物の人は少し考え込んで、「この先を進んで行けば辿り着くわよ」

 それを聞いて、僕は一気に安心した。

「ありがとうございます!」

「いいえ……。それよりもあなた、もしかして、“姫”かしら?」

 そう尋ねられて僕はギクっとした。けど、考えてみたらこよみ寮の場所を聞くぐらいだからそう思われても仕方ないか。

「はい……。とはいっても、最近こっちに来たばかりなんですけどね」

 そして、今再び帰らされそうにはなっているけど……。

「そう……」着物の人はクスっと微笑んだ。「だと思った。あなた、似ているもの」

「似ている? 誰にですか?」

 僕は首を傾げた。

「昔ね、あなたにそっくりな人がいたのよ。その人も“冬”だったかしらね?」

 ――へぇ。

 僕にそっくりな人、ねぇ。

「それってもしかして……」

 姉さん、なのかな?

 あまり似ているとは思えないけど、まぁ姉弟だし傍から見たら似ているとか言われてもおかしくはない、か。

「その人はね、恋をしていたの」


 ――え?


 突然、何を話すんだろう、と僕は呆気に取られた。

「恋、ですか?」

「ええ。あまりにも哀しい結末になってしまったけどね」


 ――えっと。

 一体どういうことなのだろう?


『あんな……、姫と若同士での恋愛は、哀しい結末にしかならないっていうジンクスがあるんや』

 ふと、前に一葉さんたちが言っていたジンクスのことを思い出した。

 まさか、本当にジンクス通りになってしまったのかな? だとしたら哀しすぎる……。それに、もしそれが姉さんだったとしたら――。

「ふふふ、あなたは恋、しているのかしら?」

「恋、ですか?」

「例えばそう、同じ冬の“若”の子とかに、ね……」

 ――ドキッ!

 僕は唐突に亜玖亜くんの顔を思い出して赤面してしまった。

「そそそそそっそそそそそっそそそそ、そんなわけないじゃないですかッ!」

 そうだよ、亜玖亜くんにはお世話になっているけど、僕にとっては大事な友人だし、それに亜玖亜くんは男……、じゃないから問題ないのか、ていうかそういう考え自体偏見かもしれないけど、っていうか、あぁぁぁぁぁぁぁ……。

「あらあら、じゃあそういうことにしておきましょう」

「そういうことですから、ハイッ!」

 僕はなんとか心を落ち着けて、ゆっくり深呼吸をした。


 ――不思議な人だな。


 なんだか、心を見透かされてしまいそうな気にさせられる。表情は柔らかな笑顔を崩さずにしているからちょっと怖くも感じる。

「……っと、いけない。早く帰らないと。教えてくれてどうもありがとうございます」

「どういたしまして……。ねぇ、最後にひとつだけいいかしら?」

「えっ?」

 まだ何かあるのかな?

「あなたが今抱えている悩みに、ひとつだけアドバイスしてあげるわね」

「アドバイス?」

 確かに、今は父のことで考え込んでいるけど――。

「答えはあなたの身近な場所にある、それだけよ」


 ――身近な、場所?


 どういうことだろう? 大体、何でこの人は僕が悩んでいることを知っているんだ?

 僕が不思議そうにしていると、


 ヒュッ!


 と、風を切るような音が一瞬聞こえて、僕は思わず一瞬目を閉じてしまう。

 そして、目を開けると――、

「あれ?」

 先ほどのお姉さん(かお兄さんか分からないけど)の姿は無くなっていた。代わりに、近くの桜の木から花弁が何枚も、つむじ風のように舞って、そしてゆっくり地面にひらひらと落ちていた。

「なんだったんだろう、今の人……」

 僕は不思議な顔をしながら、その場を見つめていた。


 ――答えは、身近な場所にある、か。


 その言葉がどこか脳裏に引っ掛かりながら、僕はこよみ寮へと帰っていった。

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