第14話 母からの荷物
……あれ?
……ここは?
「だから何度言ったら分かるんだッ! ダメだと言ったらダメだッ!」
野太い男性の声が、部屋の外まで響き渡っている。
「私はあの学園に通いたい! しっかり勉強はするから!」
「許さんッ! あの意味の分からん学園なんぞに通わせるぐらいなら、地元の公立で勉強しろ!」
「あなた、そんな言い方しなくても……」
僕は半開きになった襖から、その光景を覗いていた。
大柄な男と、その横に女性、そして向かいに中学生くらいの女の人が座っている。これはそう、僕のお父さんと、お母さん。それに、姉さん――。
「絶対許さんからな! 全く、最近勉強を頑張っているかと思ったら、あんなところに通いたいなどとたわけたことを……」
「どうしてもダメ、なの?」
「あぁ、ダメだ! 絶対にな!」
お父さんは目を吊り上げて怒り心頭だった。なんでそこまで怒るのかは分からない。普段から頭が固くて融通が利かない人だったが、ここまで怒鳴っている光景を見るのは初めてだった。
僕は震えあがっていた。おしっこもチビってしまいそうだった。言葉なんてとてもじゃないけど出せるわけがない。
「分かった……」姉さんはゆっくり立ち上がった。「だったら、この家を出る! 学費だってバイトをしながら稼ぐ! 分からずやのお父さんにはもう頼らない!」
そう言うと、お父さんの顔が一層険しくなった。
「あぁ、そうか! だったら出て行けッ! お前なんかもう娘じゃない!」
――怖い。
一体何がどうなっているのか、僕には理解できなかった。ただただ、怖すぎて身体が震えあがっていた。
顔を強張らせたまま、背後にゆっくり歩いていく。
そしてそのまま、壁に背中を――、
ガンッ‼
「……はっ!」
気が付くと、目の前に天井がある。
後頭部がズキズキと痛む。若干だけど首筋にまでそのズキズキは広がっている。
――夢、か。
我に返り、なんとか身体を立ち上げていく。まだ寝ぼけてぼんやりしているが、段々と現実が視界に戻っていく。
そうだ、この夢は……。
「あの時の夢、か」
十年以上前の、まだ僕が幼稚園に通っていた頃に見た光景そのものだ。そして、僕が覚えている限り、最後に姉さんの姿を見た瞬間――。
今の今まで忘れていたけど、こんな形でフラッシュバックするなんて。
「ふぅ……」
僕はため息を吐いて、来ているネグリジェを脱ぎ始めた。昨日桜花さんに貰ったこれは、まださわさわした感触が慣れない。
痛む頭を抑えながら、僕はセーラー服に着替える。まだこちらの方が落ち着く気がする。
靴下を履き、ふと時計を見ると既に七時を指していた。早く起きたかと思ったけど、結構いい時間だ。僕は寝ぼけ眼を擦りながら一階に降りた。
「……おはよう、雪くん」
食堂では既に亜玖亜くんが黙々とご飯を食べていた。
「おはよう、亜玖亜くん」
「おっ、起きとったか」
今度は寮母さんが挨拶をしてきた。
「おはようございます」
「おう。そういえば昨日お主に荷物が届いとったぞ」
「荷物、ですか?」
「お主のオカンからじゃい。スマンのう、昨日渡すのをつい忘れてもうたわい」
苦笑い気味に寮母さんが平謝りをしてきた後、僕に凄く大きな包みを渡してきた。
「うわ、重ッ……」
抱きかかえるぐらいの大きな荷物を机の上に置くとドン、と大きな音が鳴る。送り名を見ると確かに「氷渡みぞれ」と母さんの名前が書いてある。
「お母さん……? 一体何を送ってきたのだろう?」
寮生活を送る僕にとって、親からの仕送りは非常にありがたいところだ。しかし、このタイミングで何をくれたのか、凄く気になるところだ。
恐る恐る、僕は包みを開けてみると――、
「……な、な、な」
言葉に詰まった。
「……何が入っているの?」
横から亜玖亜くんが覗き込んでくる。「見るな!」と声を荒げたいところではあるが、呆気に取られるそれをする余裕もなかった。
「あっ……」
亜玖亜くんが一瞬にして目を逸らす。そりゃあそうなるよね。何せ、僕の掌に一枚のピンク色のパンティーが握られているのだから。
それだけじゃなく、同じくピンク色のブラジャー、女性もののシャツ、スカート、メイク道具各種――。一応、申し訳程度にノートとかの文房具も入っているけど。
「お母さん……」
ふと、包みの底の方に一枚の手紙が入っていることに気が付いた。僕はそれを広げて読み始める。
『やっほー、雪。アンタ元気にしてる? お母さんは元気よ。お父さんは相変わらずブスっとしているみたいだけどね。あ、そうそう。なんか冬の姫? だっけ? それをやることになったって聞いたわよ。やるじゃん! まぁ、お父さんはカンカンに怒っているけど、深く気にしなくていいかね! それよりも、この際だから涼が使っていた衣服や勉強道具を送るね! ほら、家にずっと置きっぱなしにしていたからさ、邪魔だったってのもあるし。多分サイズとかは合うと思うから、ちゃんと使いなさいよ! それじゃ、心細いかも知れないけど頑張ってね! 母さんより』
――母さん。
僕はため息を吐きながら荷物を黙って仕舞った。
相変わらずいい加減なところがあるなと呆れながら、僕は再び荷物を抱えた。
とりあえず、これを部屋に置いて、急いで朝ご飯を食べよう――。
朝食を終え、僕と亜玖亜くんは二人で登校することにした。
昨日とは違い、ゆっくりと歩いて行けるのはなんだか新鮮な気がした。地面には何枚もの桜の花弁が舞い落ちていて、靴の裏にも貼りついていた。
「さっきはごめんね。変なものを見せちゃって」
「……変なもの?」
「えっと……、ううん、何でもない」
さっきの荷物のことなのだが、亜玖亜くんはどうやら特に気にも留めていないみたいだ。
「……雪くんのお母さんって、どんな人?」
あ、やっぱり少し気になるんだ。
「あはは、何て言うか、結構ざっくばらんとしているというか、能天気というか、ちょっと何を考えているのか分からない人かなぁ?」
「……ふぅん」
さっきの荷物を何のためらいもなく送ってくるような、変わり者と評判のお母さん。悪意はないのだろうけど、他に送ってくる物はなかったのだろうか、と突っ込みたくはなる。まぁ、そんな人だからこの学校に急遽転校することを認めてくれたのかも知れないけど。
――けど。
『まぁ、お父さんはカンカンに怒っているけどね』
この一文が僕にはどうも引っかかった。
「……お父さんはどんな人なの?」
亜玖亜くんが再び尋ねてきた。
「お母さんとは対照的に、頭が固い人かな。自分の意見を曲げないし、あまり笑ったところも見たことがないから……」
ぞくっ、と僕の背筋が凍るような思いが奔った。
僕が転校すると決めたとき、父さんは猛反対で剣幕の如く怒りだした。その光景はまるで、今朝の夢で見た時のような……。
そうか――。
あの光景にデジャヴを感じたのはこれだったのか。僕は脳内で納得してしまった。
「……雪くん?」
心配になったのか、亜玖亜くんが僕の顔を覗き込んできた。その顔にドキっとしてしまい、僕は我に返る。
「あ、ごめん……」
「……大丈夫?」
僕の脳裏に不安が過ぎった。
最終的には「この学校ではあくまで普通の生徒として普通に生活すること」を条件に転校を許可してくれたお父さん。だけど、僕が冬の姫になったことをお母さんが知っているということは、お父さんも知っている可能性があるわけで……。
――まさか、ね。
僕は一旦考えるのをやめた。
ふと空を仰いだ。道に聳え立つ桜並木から、何枚もの花弁が舞い散っている。綺麗だけど、この分だと今週中には全て散ってしまうだろう。
「桜、もうすぐ終わるかな?」
僕は無理矢理話題を変えた。
「……そうだね」
「この学校、本当に自然が一杯だからさ。桜が本当に綺麗でびっくりしちゃったよ」
「……有名だからね。この辺の桜は」
そうなのか。
季節をモチーフにした風習がある地域なだけあって、やはり風物詩ともいえる桜は非常に綺麗だと初めて来たときから感じていた。
折角だから、散る前にやりたいよな――。
「……ねぇ、雪くん」
「ん? 何?」
「……よかったら、だけどさ」
「う、うん……」
なんだろう? 思わずドキドキしてしまう。
「……今度の土曜日、みんなでお花見しない?」
――え?
亜玖亜くんからの思いがけない提案に、僕は一瞬戸惑ってしまうのだった。
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