第15話 突然の来訪者
「花見かぁ、いいな。楽しそうじゃん」
体育の時間の後、僕は陽夏に花見の件を打診してみた。
普段男女がややこしくなるこの学校だけども、体育だけは男女の体格差を考慮してか、きちんと身体的な性別で分かれている。体操着もジャージだし、僕がこの学校で男に戻れる瞬間はこことトイレの時だけである。ブルマを履かされるのではとちょっとだけ不安になったけど、杞憂に終わったのは内緒だ。
で、体育はA、B、C組とD、E組で分かれているので、C組の陽夏とは嫌でも顔を合わせることになるのだ。
「多分今週の土曜日が最後のチャンスかなって思うし。みんなを誘ってどうかなって亜玖亜くんと話していたんだけど……」
「俺は賛成だぜ! ウィンディアも多分乗ってくれるだろうな」
「あぁ、ウィンディアさんは間違いないだろうね……」
僕はスカートを履いてから、ジャージを脱ぐ。流石に下着姿をさらけ出すのは男子しかいない教室内でも抵抗がある。
「火糸の奴は俺が誘っとくし、一葉はもしかしたら料理とか作ってくれたりするかもな」
「こないだの一葉さんの料理美味しかったもんね。寮母さんにも聞いてみた方がいいかな」
「そうだな。まぁ、OKはしてくれるだろうよ」
陽夏は何のためらいもなくブラジャーを着けた肌を晒す。コイツらしいといえばコイツらしいけど、もうちょっと恥じらいとかないのだろうか……。
「で、あと桜花さんと大地さんだけど……」
「うぅん、あの二人は少し難しいかもしれないな……」
陽夏はセーラー服に袖を通しながら、難しい顔で答えた。
「難しいんだ……」
「ほら、アイツら春の姫と若だからさ。二週間後に迫った春宴の練習とか準備とかで忙しいんだよ」
――そっか。
そういえば、春宴のことは聞いていたけど、実際にどういうことをするのかこの目で見たことはなかったな。この地域に来たのがついこの間だから仕方がないのかも知れないけど。
「春宴の準備って、そんなに大変なの?」
「一応神様に見せる演目、ってことになっているからな。中途半端なものを見せたら怒りに触れるとかなんとかって話だぜ」
「……そんなに大変だったんだ」
予想していたものと大分違って、僕は言葉に詰まった。
てっきり学級発表会みたいな感じで緩く出し物をすれば良いのだと思っていたけど、そこまで真剣に取り組まないといけないものだったとは……。
「春宴は春の姫と若が中心になるけど、俺らも無関係じゃないからな。主役はアイツらだけど、何かしらのサポートとかはしなけりゃならないと思うし」
「うん……。肝に銘じておくよ」
僕は反省した。
そんな大事な時期に、呑気に花見をしようなんて話をするのはどうなのだろうか――。
一応、寮母さんに話だけはしてみようか。まぁ、無理なら無理で断られるだけだろうし。
――あと、そうだ。
僕はもうひとつ、寮母さんに聞いておくべきことが見つかった。
「何? 花見じゃと?」
こよみ寮に帰った後、僕は寮母さんに話をしてみた。相変わらずの強面で、僕を見下ろす寮母さんに、僕は思わずたじろいでしまう。
「……む、無理なら、諦めます、けど」
「ええじゃないか」
そうだよね、やっぱり駄目だよね。
――えっ?
「えっと、だってそろそろ春宴もあるし……」
「息抜きも必要じゃろ。任せておけ、あの二人に断られても無理矢理連れ出したるわい」
思った以上に好反応だったみたいだ。僕はほっと胸を撫でおろし、一気に緊張が解けた。
「あ、ありがとうございます!」
まぁ、無理矢理連れ出すって言葉が少し引っかかるけど、そこまで暴力的なことはしないだろう。多分。
「みんなにはワシから言うておくからの。折角だし、パーっとやろうや」
「そうですね! あ、あと別件でもうひとつお願いが……」
僕はもうひとつお願いするべきことを寮母さんに聞いてみることにした。
一瞬眉をひそめる寮母さんだけど、話をしたら黙って頷いてくれた。そして、そのまま寮の奥にある物置に僕を案内してくれた。
物置の中は少しも埃っぽくはなく、きちんと整理されている。寮母さんは奥のほうをガサゴソと漁って、僕はしばらくその様をずっと眺めていた。
しばらくして、寮母さんが僕のほうにやってきた。そして、一枚のDVDを手渡してきた。
「すまんのう。これしかなかったわい」
DVDには十年前の日付で「春宴」と書かれている。
「ありがとうございます。なかったんですね……。姉さんが出ていた冬宴の記録」
「間違えて処分してもうたのか、紛失したのか分からんが、探しても見つからんかったわい。ただ、こっちのほうにも涼は出ていたから、こっちを見るとええ」
「いえいえ、突然お願いしてすみません」
そう。僕は一度も春宴や冬宴を見たことがない。
どういうものなのかしっかり見たほうがいいと思い、寮母さんに記録した動画がないか聞いてみたのだった。で、折角だから姉さんが出ていたものがあればと思ったけど、どうやらなかったみたいだ。
「大広間のテレビにプレイヤーもついておるけぇ、そこで見るとええ」
「はい、ありがとうございます!」
僕は意気揚々と大広間に向かった。
学校が終わった直後だからか、部屋には誰もいなかった。
今ならテレビを独占できるかと思い、僕は電源を点けてDVDをセットした。
――姉さん。
姫と若の風習を知ったのも、姉さんがその仕事に就いていたのを知ったのも、僕がこの学園に転校してきてから。実際にどういう雰囲気だったのか、僕は全く知らない。
一度しっかり見ておいて損はないだろう。もしかしたら姉さんがどういう理由でこの学園に入学を言いつけたのか分かるかもしれない。
画面に舞台が映し出された。左端のほうには大きなピアノが置いてある。
桜並木が横に並んでいる屋外のステージを、観客たちは今か今かと待ち遠しいかのようにざわついている。しばらくはその光景が続いていた。
僕は固唾を飲み、しばらく画面を凝視していた――。
「……何を見ているの?」
「うわっ!」
突然横から声を掛けられて驚きの声を挙げてしまった。
いつの間にか、Tシャツ姿の亜玖亜くんが僕の隣に座りこんでいる。ていうか、ちょっと顔が近くてドキっとしてしまうよ……。
「……もしかして、昔の春宴?」
「あ、うん。そうそう。実際に春宴がどういうものなのか見ておいた方がいいかなと思ってね。あと、これに姉さんが出ていたみたいで……」
「……ふぅん」
亜玖亜くんが返事をする。まだ僕の胸の鼓動が止まらない。不意に来られると本当にびっくりするんだよ……。亜玖亜くん、イケメンすぎるから。
「……ボクも見ていい?」
「あ、うん……。いいよ」
一人で見るのもアレだし、僕はためらわずに頷いた。
亜玖亜くんは姉さんのことを尊敬していたらしい。だったら、一緒に見て思い出に浸るのも悪くないだろう。
そんなこんなでしばらく待っていると、画面から開始のブザー音が流れてきた。
「お、始まった!」
映っている舞台に、ようやく誰かがやってくる。姉さんではない。今のと変わらないセーラー服姿の生徒だ。手に楽譜を持って、舞台の上手から現れたその人物は、お辞儀をした後ピアノの椅子に腰を掛けて楽譜を広げた。
ピアノを引き始め、メロディーが流れた。それに合わせるかのように木から木の葉がひらり、と舞い落ちていく。
――優しい曲。
イントロからどことなく、そう感じた。
「この人が、当時の春の姫、なのかな?」
「……多分ね」
この人も一見普通の女子と見間違えるほどの美人さんだけど、おそらくそうなのだろう。少なくとも分かっていることは、この人の指先から奏でられるピアノの音が、繊細で綺麗だということだ。
そして――。
『光溢れ~紡がれる言の葉よ~』
壇上に、一人の生徒が歌いながら上がってきた。やや低いが中性的な声がピアノの音と調和していて、聞き惚れてしまう。
やがて、その生徒の姿がスポットライトに照らされる。学ラン姿の、淡い茶髪の生徒だ。男子に見えるけど、おそらくは女性なのだろう。つまり、この人が当時の春の若、というわけだ。
――あれ?
この人、どことなく誰かに似ているような気がする。何度も見たことのあるような顔だけど、思い出せない。
誰だろう?
『やがて時は満ち~影が生まれていく~』
と、考えているうちに、新しい声が重ねられていく。春の若であろうその人よりも更に低いが、かなりの美声だ。
そして、その声には聞き覚えがあった――。
『神秘なる陽炎よ~』
『月を照らしまた夢へと還せ~』
――姉さんだ。
壇上に新たに現れた、学ラン姿の人物。短髪だが、僕と同じような水色の髪。凛々しい顔つきから放たれる歌声もまた、隣の若と調和している。
この人は見覚えがある。間違いない、姉さん――氷渡涼だ。
男装してはいるけど、記憶の底に眠っている姿と合致している。
僕は目を見開き、少しだけ涙が滲んでしまった。
「……涼、さん」
横にいる亜玖亜くんをふと見つめる。僕と同じように、目に涙が浮かんでいた。
それから二人はずっと黙ったまま、画面をじっと見ていた。
そして――、
『夢へと~還せ~』
歌が終わった。
画面から一瞬、音が消える――。そこからまばらに、パチパチと手拍子がなったかと思ったら、あっという間に歓声が広がっていった。
――凄い。
こんなにレベルの高い合唱は、とてもじゃないけど僕が今まで通っていた学校では聞いたことがない。二人だけなのに、ここまで調和した音を綺麗に出せるなんて――。
言葉を失い、そのまましばらく画面を見つめている。
姉さんと、春の若の人、そしてピアノを弾いていた春の姫の人――。更に、舞台横から他の生徒たちが現れ、深いお辞儀をして舞台から去っていった。おそらく、裏方をやっていた他の姫や若の人たちなのだろう。
「凄い……」
そして、しばらく他の観客のガヤ音が流れた後、映像はプツン、と途切れてしまった。
僕と亜玖亜くんは、そこからしばらく現実に戻ってくることは出来なかった。
「……涼さん、凄い」
亜玖亜くんの口からもそれ以上は出てこなかった。
ふぅ、と僕は呼吸をして、ようやく現実に戻された。
「これが、春宴……」
かなりレベルの高い催し物だった。流石、神に見せる演目というだけある。
こんなの、僕らに出来るのだろうか――。
「……雪、くん」
「ん?」
「……ボクたちも、頑張ろうね」
亜玖亜くんが僕に向けて、そう言ってきた。相変わらずの乏しい表情だったけど、僕には分かる。これは、亜玖亜くんなりの“笑顔”なんだと――。
「うん!」
僕もそれに負けじと、精一杯の笑顔で返した。
……それにしても。
映像に出ていた春の若の人、本当にどこかで見覚えがある気がする。
あの髪の色、まるで……。
『あら、氷渡くん!』
突然、担任の浅見璃々先生の顔が脳裏を過ぎった。
――まさか、ね。
似てはいるけど確証も持てないので、ここは違うだろう、と僕は首を振って忘れることにした。
「……雪くん?」
「あ、ごめん。何でもない」
亜玖亜くんは不思議そうな顔で僕の方を見てきた。いけない、またすぐに余計なことを考えてしまう……。
――と、そんなやり取りをしていると。
ピンポーン!
と、チャイムの音が聞こえてきた。
誰だろうと思い、僕は慌てて玄関の方に向かっていく。
「はーい、どちら様……」
と、僕が意気揚々と出ていった瞬間、目を丸くした。
そこに立っていたのは、大柄な年配の男性。髪は白く、灰色のスーツをビッシリと着こなしている。
僕はその人のことを良く知っている。だって、何故なら――。
「雪……」
「お父さん……」
――何で?
突然の来訪に、僕は言葉を失った。
「何て恰好をしているんだ、お前!」
父さんは僕のネグリジェ姿を見るなり、怒鳴ってきた。
「父さん……、何でここに?」
僕が恐る恐る尋ねると、父さんは僕を鋭く睨みつけて言い放った。
「今すぐに着替えろ! そして、荷物をまとめて帰るぞ!」
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