第10話 転校初日の朝の風景
「はぁ――」
僕はため息を吐きながらセーラー服に袖を通した。ブラジャーとかも着けたり、髪をいつも以上に整えたりしたから思いのほか時間が掛かってしまった。
そろそろ女子の服にも慣れてきたところではあるけど、これを着て学校に行くと考えると緊張する。一応、昨日はジオンまで女の子の服を着て行ったけど、みんなと一緒だったのもあるし、何より人の出入りが多いからなんとかなるだろうという安心感が多少はあった。
けど、学園生活はそういうわけにはいかない。この学園独特の風習があるとはいえ、毎日のように通学するわけだから嫌でも皆に顔と名前を覚えられるわけだ。
――うん、なんとか出しゃばらずに地味に暮らそう。
おそらくそれが僕の精神衛生的に一番過ごしやすい学園生活だと思う。勿論、冬の姫としての責務はしっかり果たすし、ちゃんと勉学にも励む。無理しないようにしよう。
なんてことを考えていると――、
「……雪くん、入っていい?」
誰かが僕の部屋のドアをノックしてきた。声からして亜玖亜くんだろう。
「あ、どうぞ」
僕が返事をすると、ノブを回して部屋に亜玖亜くんが入ってきた。既に学ランに着替えている。首元に掛けたヘッドフォンをいじりながらどこか緊張気味に話しかけてきた。
「……おはよう」
「亜玖亜くん、おはよう。もう着替えたんだ」
「うん……」
「あ、それでどうしたの?」
「……いや、大したことじゃないんだけど。その、良かったら……一緒に学校に行かない、かな?」
――ん?
なんだ、そんなことか。
今更そこまで緊張するようなことじゃないけど、今日の亜玖亜くんはそわそわした様子だった。
「うん、いいよ」
「……いい、の?」
「寧ろありがたい申し出だよ。ほら、僕は転校初日だからさ、まだ慣れないことも多いし、学校も迷っちゃいそうだからさ」
少し照れ気味に僕は答えた。
「……ありが、とう」
どうしたんだろう? 今日の亜玖亜くん、どこか元気がないな?
――あ、そうか。
昨日まで春休みだったんだもんね。誰だって長期休暇明けは憂鬱な気分になるもんだよね。いつも感情を露わにしない亜玖亜くんだけど、きっとそんな気分なのだろうと僕は勝手に決めつけて納得することにした。
準備を整えて階段を降り、食堂に入ると既に大地さんと火糸さんが食事をしていた。部屋の中からは美味しそうな味噌汁の匂いが漂ってくる。
「遅かったな」
大地さんが僕らの方を見ながら声を掛けてきた。
「うん、まだ制服とか色々慣れなくて」
「全く、桐音も染咲も日向の奴も、こういうときにアシストしてやるべきだろ。同じ姫同士なのだから。アイツらはもう飯を食って先に行ったぞ」
「そうなんだ……」
一葉さんと桜花さんはともかく、陽夏がこんなに朝早いのは意外に思えた。それにしても、確かに大地さんの言うとおりちょっとぐらい待ってくれるとか手伝ってくれるとかしてもいい気はする。まぁ、あまり我儘言うのも悪いんだけど。
「それじゃあ、オレは先に行く」
あっという間にご飯を食べた大地さんは、眼鏡を正して部屋を出ていった。相変わらずせわしない人だ。
「……ボクたちも、食べよう」
「あ、うん」
亜玖亜くんに促されるまま、僕は席に着いた。
目の前の席に座っている火糸くんは相変わらずぶっきらぼうな表情を浮かべている。僕とは目を合わそうとはしない。ちょっとぐらい話とかしてもいいんじゃないか。
――なんて、考えていると。
「オッハヨウございマアアアアアアアスッ!」
意気揚々と甲高い声が食堂内に響いてきた。
「……ウィンディア君、おはよう」
対照的なテンションで亜玖亜くんがウィンディアさんに挨拶をする。
「オッハヨウデス! 水波サン! それに、焔サンもッ!」
そう言って、ウィンディアさんは火糸くんの背後に回って胸を掴んだ。
「おい、何しやがんだッ⁉」
突然のスキンシップ(?)に、火糸くんは困惑気味に怒鳴った。そりゃあそうなるよね。
が、ウィンディアさんは物怖じする気配もなく、
「イヤァ、相変わらずいいオムネシテマスネェ」
「殺す――」
火糸くんが鋭い形相で睨みつけている。いや、これ怖いやつだよ。ウィンディアさん、絶対やっちゃいけない類のことやっているよ。ていうか、よくよく考えてみたらこれ女の子同士のやり取りだよね? 僕が思い描いているようなものと大分乖離しているんだけど――。
「オオ、スミマセン、そこにムネがあったもので……」
「てめぇに揉ませる胸はねぇッ! そしててめぇも見てんじゃねぇッ!」
何故か火糸くんの怒りが僕の方にまで飛び火してきた。目の前の席でそんなやり取りしていたら誰だって見てしまうよ――。
「ハハハ、火糸サン照れてマスねぇ」
「照れてねぇッ! いい加減に……」
――あーあ。
ここまで叫ぶと、多分いつものパターンで来ちゃうよ。あの人が。
と思っていると、
「おい、てめぇら……」
――ほら来た。
二人の背後に、一際大柄な人影が。恐怖のオーラも半端ない。
「げ、寮母、さん……」
「とっとと朝飯食って学校行かんかいワレエエエエェェェェェッ!」
寮母さんがかなりの厳つい声で怒鳴った。流石のウィンディアさんも火糸くんも背筋をビクッと揺らして黙り込んだ。そしてそのまま静かに席に座ってご飯を食べ始めた。
……やれやれ。
なんて、呆れている場合じゃない。僕は時計を見た。
「げ、もうこんな時間⁉」
転校初日だからなるべく早く行くつもりで準備していたはずだが、気付いたら時計が八時を過ぎようとしていた。僕は急いでご飯を食べようとした。
――そういえば、亜玖亜くんは?
「……ごちそうさま」
何事もなかったかのように亜玖亜くんは食べ終えた食器を片付けようとしていた。
この騒ぎの中で、よくもまぁ静かに食事できたもんだね、と僕は心の中でため息を吐くのだった――。
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