第9話 君に会えて良かった

「もう! ホントに恥ずかしかったんだからね!」

 ストバのアイスティーを飲みながら、僕は陽夏を睨みつけた。

「悪い悪い。まぁ、迷子センターじゃなかっただけありがたいと思えよ」

 ――そういう問題じゃない。

 と、僕は心の中で叫びながら再びアイスティーを飲んだ。

 

 迷子案内で呼ばれてから、息も絶え絶えと言わんばかりの全力疾走でサービスカウンターに向かうと、そこにいたのはニヤニヤと笑っている陽夏と一葉さん。正直腹立たしい。

 そして――、

「……ごめん、僕のせいで」

 ――いた。

 凄く申し訳なさそうに顔を俯かせている亜玖亜くんの姿が見えた。

「いいよ。僕が突っ走ってしまっただけなんだし」

 どこにいたのか聞いたら、ただ近くのお手洗いに行っていただけだったらしい。ずっと寡黙な彼だからどこではぐれたのか気付かなかった。つまるところ、僕らが悪い。

 お互いに謝った後、店内のコーヒーショップ「ストップバックス」で休憩することにした。

「まぁウチらも悪かったんやから。一旦ここで休みまひょ」

 一葉さんは落ち着いてきた様子で上品に抹茶ラテを飲んでいる。いかにも大和撫子という雰囲気の一葉さんらしい。

「……ところで、下着は買えたの?」

 ――ぶっ!

 唐突に亜玖亜くんに尋ねられて、僕は飲んでいたアイスティーを思わず吹き出してしまった。

「か、買えたけど……」

 ここまでストレートに聞かれると戸惑ってしまう。というよりも、亜玖亜くんはそんなことを聞いて恥ずかしくないのだろうか。

「……それなら良かった」

 良かった、と言われると僕は尚更戸惑ってしまう。

 亜玖亜くんのことをすっかり忘れるぐらいに買い物に夢中になってしまい、結果的に放置してしまったような形になった。

 ――いけない。

 不意に昨日の亜玖亜くんの泣きじゃくった声を思い出した。今日はちょっとでも亜玖亜くんの気分転換になれば、と思っていたのだけど、これじゃあ……。

「ねぇ、亜玖亜くん……」

「……ん?」

 僕が恐る恐る尋ねると、亜玖亜くんはきょとんとした様子で頷いた。

「今日、楽しい?」

「……うん、すっごく」

「そっか、それなら……」

 ――よかった。

 と、一概に言っていいのだろうか。

 亜玖亜くんの表情から、どこか俯き加減が見える。多分、まだ気持ちがモヤモヤしているのかも知れない。

 心を落ち着かせて、僕は真剣に亜玖亜くんの表情を見つめた。

「いつもいつもごめんね、頼りなくて。本当は僕の方が……」


 ――守らなくちゃいけないのに。


 その一言が、どうしても出てこなかった。

 四鈴に来てからというもの、亜玖亜くんには本当に世話になりっぱなしだ。最初に出会ったバスのときだってそうだ。なんだかんだで僕の方がずっと迷惑ばっかり掛けてしまっている。昨日の歓送迎会だって、酔っぱらって寝てしまったと思い込んで、迂闊にも亜玖亜くんの前で姉さんが亡くなった話をしてしまって――。

 段々自分が情けなく思えてきた。

 亜玖亜くんには返しても返し切れない恩がたくさんある。それなのに、毎度毎度迷惑ばっかり掛けてしまっている。

「……大丈夫?」

 亜玖亜くん心配そうに声を掛けてきた。

 ――いけない。

 弱気になりすぎては、尚更亜玖亜くんに心配を掛けてしまうことになると思った。

「うん、大丈夫。心配かけてごめんね」

「……ううん。雪くんが大丈夫なら、それでいいよ」

 優しい。

 亜玖亜くんは本当に優しくて良い子だ。

「ありがとう、本当に……」

 と、僕が感謝を述べていると、

「オイ……。お前なぁ、さっきから俺らは何見せられてんの?」

「あ、ごめん。なんかずっと二人で会話してて」

「だからそれやめろっての!」

 陽夏が僕の後頭部をパーン、とはたいた。

「い、痛いよ陽夏……」

 はたかれた後頭部を抑えながら、僕は陽夏のほうを見た。

「『ありがとう』と『ごめん』を言いすぎなんだよ、お前は。水波に恩を感じているのは分かったけど、イチイチ何でもかんでも感謝してたらキリがないぞ」

「で、でも……」

 反論しようと思ったけど、言葉に詰まった。

「あんなぁ、水波はんもな、ずっと雪はんに迷惑掛けてるかもって不安やったんやえ」

「えっ……?」

 亜玖亜くんが――?

 そんな素振りは微塵も見せたことがなかったから、驚いた。

「転校したばかりの雪はんに、姫という大役を押し付けてしまったのではないかって。口には出さなかったけどずっと水波はんなりに気にしてたんやで」

「そんな……、別に気にしなくても」

「……一葉さん」

 亜玖亜くんが会話を遮った。

「すんまへんなぁ。でも、言っておかへんと、モヤモヤしたままなのも嫌やろ?」

「……ううん、いい。ありが、とう」

 ――あれ?

 一瞬、亜玖亜くんは一葉さんに対して怒っているのかと思ったけど……。一体、何が言いたかったのだろう?

「……ボクは、君に……、ヒック! 申し訳、ねぁい……」

 心なしか、亜玖亜くんの呂律が徐々に回らなくなってきている。

「あ、亜玖亜くん……?」

 この光景、つい昨日見たような気がする。

「オイ、水波のやつ、何注文したんだ……?」

「そういえば……『期間限定のをお願いします』って頼んでいましたなぁ」

 陽夏も一葉さんも、心当たりがないらしい。

 僕は店内に貼られているポップを見ると――、


『桜とチョコレートの新しい組み合わせ 桜ショコララテ』


「あれか……」

 僕は頭を抱えた。

 亜玖亜くんはポリフェノールを過剰摂取すると酔っぱらうという不思議な体質のせいで、昨日の歓迎会では酷い目に遭ったばかりだ。

「しかも水波のやつ、チョコレートケーキも食ってるし……」

 ――ホントだ。

 よく見たら皿の上に食べかけのチョコケーキも置いてあるし。話に夢中で全然気が付かなかった。

「ぜ……ヒック、全然、よっぱら、って……」

 そのまま、亜玖亜くんはソファの上に突っ伏してしまった。

「どないします?」

「どうしよう、これ……」



「……で、こんなんになってしもうたというわけか」

「……すみません」

 呆れ顔の寮母さんに、僕はただ頭を下げて謝るしかなかった。

「まぁええわ。今日のはわざと飲ませたわけじゃないじゃろうし」

 結局、タクシーを拾ってなんとか寮まで亜玖亜くんを運んで、今は彼の部屋のベッドに寝かせている。

 亜玖亜くんといえば、何事もなかったかのようにすやすやと寝息を立てている。今回は完全に亜玖亜くんに落ち度があるせいか、ちょっといい気なもんだなと思ってしまった。

「こうしてみると、凄い可愛らしい寝顔してますなぁ」

 一葉さんも一葉さんで、呑気なことを言ってる。

「とりあえず、後は雪に任せてもいいか?」

「あ、うん。大丈夫。寮母さん、ありがとうございました」

「おう、後は頼んだ」

「ウチも部屋に戻りますえ」

「じゃあ、俺も……」

「そうはいかん」

 寮母さんは立ち去ろうとする陽夏の首根っこを掴んだ。

「え、だって後は雪に任せてもいいって……」

「昨日のことを忘れたわけじゃないじゃろ? 歓迎会でワレがわざと水波を酔わせたことは分かっとるんじゃいッ!」

「いや、あれはウィンディアが……」

「ウィンディアの奴を問い詰めたら、どうもお主もグルになっとって計画しとったらしいやないかいッ! 罰として、今から風呂場とトイレの掃除手伝えぃッ!」

「いやいや、それは俺だけじゃなくて一葉も……」

 と、陽夏が言いかけたが、既に一葉さんはその場からいなくなっていた。

「もういっちゃったみたいだね」

「ああああぁぁぁぁぁッ! アイツゥぅぅぅぅぅぅぅッ!」

「さて、覚悟はできたようじゃの。今日はしごいてやるけんのぅッ!」

「ゆきぃぃぃぃぃぃぃぃッ!」

 寮母さんに引きずられるように、陽夏は部屋から去っていった。

 ようやく室内が静かになった。なんだか落ち着かない。

 ついさっきまで騒々しかったにも関わらず、亜玖亜くんは相変わらず安らかに寝息を立てている。普段男装しているからあまり感じないのだけど、凄く寝顔が可愛い。僕は思わず見入ってしまう。

「あくあくーん」

 僕はそっと亜玖亜くんの耳元で囁いてみた。

 当然、返事はない。

「……やっぱ寝ちゃったか」

 僕は思わずふふっと笑ってしまった。

「……起きてるよ」

 ――えっ?

 突然、亜玖亜くんから声が出てきて僕は驚いた。

「えっと、騒がしくて起こしちゃった、とか? だとしたらごめん」

「そういうわけじゃないけど……。あと、また謝った」


 ――再びの沈黙。


 今のは別に謝ってもいい場面のような気もするけど。

 なんだろう、亜玖亜くんの凄い煮え切らないような感じが伝わってくる。

「もう大丈夫なの?」

「……大丈夫、のような、大丈夫じゃないような」

 どういうことだろう?

 亜玖亜くんは布団の中から顔を覗かせながら、僕の方を見つめた。

「……ひとつ、聞いてもいい?」

「あ、うん。なぁに?」

「涼さんは……、本当に亡くなったの?」


 ――突然の質問。

 僕は言葉を詰まらせた。唾を飲み込み、しどろもどろになりながら亜玖亜くんの顔を見るしか出来なかった。

「……ごめん、昨日寮母さんと話してたのを聞いた」

「そっか……」

 おそらく、僕が想像する以上に亜玖亜くんはショックなのだろう。気の利いた台詞のひとつでも掛けてあげたいところではあるが、言葉が全く出てこなかった。

 ――そういえば。

「ねぇ、亜玖亜くんは姉さんと知り合いだったの?」

 亜玖亜くんにそう尋ねると、こくん、と頷いた。

「……涼さんは、昔両親を助けてくれた恩人。あの人みたいになりたくて、そして今度は自分が恩を返したくて、この学校に入学した」

 ――そういうことだったのか。

 具体的なところまでは聞く気にならなかったけど、なんとなくの事情は把握できた。

「姉さんらしいな……」

 僕は思わず笑みをこぼす。

「……涼さんは、やっぱりいいお姉さんだったの?」

 亜玖亜くんにそう聞かれて、一瞬僕は戸惑った後、「分からないな……。ほとんど一緒には暮らしていなかったから」

「……そう、なの?」

「まぁね。僕が小さい頃にうちの両親と喧嘩して、そのまま離れ離れになって暮らしていたからさ」

「会ったことは?」

「それから一度もなくて……。たまに手紙でやり取りしていた程度。実はさ、この学校に来たのも姉さんの遺言なんだよね」

「……それで学校のことあまり知らなかったんだ」

「そっ。まさか、こんな風習があるところだって思わなかったよ。姉さんも何でこの学校に通えだなんて言ったのか、未だに理由がよく分からないんだよね」

 僕は気恥ずかしさのあまり思わず照れ笑いをしてしまった。

「……そっか」

「もしかしたら、亜玖亜くんとこうして巡り合えたのも偶然じゃないのかな?」

「……えっ?」

 亜玖亜くんはきょとんとした目で僕の方を見てきた。

「なんていうのかな……。姉さんはもしかしたら僕がこうして冬の姫になることを見越していたのかも、なんて思ったり……、なんてね」

 照れながら僕が話すと、亜玖亜くんはそのまま黙り込んだ。

 こほん、と僕は咳ばらいを挟んだ。

「ねえ、亜玖亜くん」

「……なぁに?」

「さっき姉さんに恩を返したいって言っていたけどさ……、僕は君と出会ってからずっと恩を感じている。本当に数え切れないくらい。いや、その……、僕じゃ姉さんの代わりにはなれないかもしれないけど、姉さんもきっと、君のその姿を見て喜んでくれてると思う」


 ――何言っているんだろうな、僕は。


 亜玖亜くんに気の利いた台詞を言ってあげたかったけど、言葉を発するたびに何が言いたいのかよく分からなくなってきた。ごめん、亜玖亜くん。怒っていいよ――。

「……そうだといいな」

 予想に反して、亜玖亜くんは好意的に捉えてくれたようだ。

「うん、きっと姉さんも喜んでくれてる。そして僕も……、こうして君に会えて良かった!」

 僕は精一杯、亜玖亜くんに笑顔を向けた。

「……ありがとう」

 亜玖亜くんは弱々しく感謝をした。顔が段々赤くなってきている。もしかして、まだ酔っているのかな?

 あまり負担かけすぎてはいけないと思い、僕はそっとベッドから離れた。

「じゃあ、僕はそろそろ行くね。夕食の時間になったら呼ぶよ」

「うん……、あっ……」亜玖亜くんが掠れ気味の声で呼び止めた。「あ、ありがとう……。こうして話ができて、嬉しかった……」

「うん、こちらこそ!」

「……ボクも、君に会えて良かった」


 ――そっか。


 さっきは勢いのように言ってしまったけど、もしかしたら本当に僕と亜玖亜くんが出会ったのは、神様の引き合わせなのかな、と思ってしまった。それもまた悪くないし、何より姉さんのことを慕ってくれている人と知り合えたのは良かった。

 不安だらけだったけど、明日からの学校生活が楽しみになってきたのかもしれない。


 そんな期待を胸に抱きながら、僕は亜玖亜くんの部屋を後にした。




 自室に戻った僕は、買ってきた下着を見つめながらため息を吐いた。

「これを明日から着て行くわけか……」

 正直、今日試着した時はもう頭が真っ白になってしまって、どんな感覚だったかは全然覚えていない。なんかやたらさわさわしていたような、それぐらいの記憶だ。

 ドキドキと心臓が高鳴っていく。唾を二、三度ほど呑み込んだ。


 ――練習しよう。


 どのみち明日からは身に着けていかなければならないのだから、と僕は意を決した。

 シャツを脱ぎ、そっとブラジャーを手に取る。胸に当てて、肩に紐を通す。

 果たしてこれは必要あるものなのだろうか、正直疑問ではある。本来、女性の胸部を保護するための下着なのだから、男の僕には物理的に必要ないはずである。ここまでしなければならないこの学校、というかこの地域の風習は一体どういう神経をしているのだろうか、などと悪態すら吐きたくなってくるが、そこは抑えよう。

 背後のホックを留めようとする。が、上手くつかない。

「あ、これ難しいな……」

 二度、三度と繋げようとする。が、失敗。

 四度目の挑戦――。

 カチ、とようやく小さな金具にブラジャーが固定されて、ほっと息を吐いた。

「やっと着けれたけど、なんだろうな、これ……」



 雪くんが部屋に戻ってから、ボクはずっと彼のことを考えてしまう。


『僕は君と出会ってからずっと恩を感じている。本当に数え切れないくらい。いや、その……、僕じゃ姉さんの代わりにはなれないかもしれないけど、姉さんもきっと、君のその姿を見て喜んでくれてると思う』


『うん、きっと姉さんも喜んでくれてる。そして僕も……、こうして君に会えて良かった!』


 ――なんだろう、この気持ち。


 ずっと探していた、冬の姫。それを引き受けてくれたのは、ボクがずっと憧れていた人の弟さんだった。

 そして彼が見せたあの表情――。

 それは涼さんそっくりな、あの優しい表情だった。

 その顔を思い出す度に、顔が赤く火照ってしまう。

「……なんだろうな、これ」



 ――僕は。


 ――ボクは。


 ドキドキしながら、心の中で呟いた。



「胸が、苦しい――」

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